第二回 建花寺村②

 平山家の屋敷は村の中でも最も高台、まるで内住郡全体を睨みを利かすように建っていた。居住区画の屋敷と内住郡代官所が併設し、二つの建物は渡り廊下で繋がっている。

 清記を出迎えたのは、佐々木三郎助ささき さぶろうすけという平山家の用人だった。佐々木家は代々平山家の用人を務め、家政の全てを取り仕切っている。三郎助は父・三郎衛門の隠居を受けて、昨年の暮れに跡を継いだばかりである。

 背が低く小太りな三郎助は、清記の二歳年上で兄弟のように育った仲だ。主従であるが、友とも呼んでもいい感情を抱いている。心配性で一々細かいその性格が、用人に向いていて、父からの信頼も厚い。


「お役目、ご苦労様です」


 そう言って頭を下げた三郎助は、この暑さからか滝のような汗を流していた。小太りには厳しい季節なのであろう。


「ああ」

「お怪我は?」

「毛ほどの傷もない」


 すると、三郎助は大福のような顔に、安堵の笑みを浮かべた。内住郡代官という職分が表の顔で、裏では御手先役をしている事を知っているのは、平山家中でこの三郎助を含めて僅かなものである。

 佐々木家は元々直参の藩士であったが、御手先役創設の際に平山家の与力となり、時の流れと共に用人の家柄となった。御手先役という役目の事は、用人の職を引き継ぐ時に明かされ、三郎助も用人となった時に父から直接聞いたという。


穴水主税介あなみ ちからのすけ様が、来られております」


 三郎助が、耳元で囁いた。


「何か用があったのか?」

「さて、そこまでは。私が尋ねましたら、『実家に帰るのに一々理由は要るのか?』と、冷ややかに言われてしまいました」

「確かにあいつの言う通りだな。お前も敢えて気にする事はない」


 主税介は、父が後妻に生ませた二歳年下の異母弟である。正妻であり清記の生母を病で失った父は、近隣の庄屋から後妻を娶った。それが主税介の母で、この後妻は我が子を内住郡代官にと跡目を欲した為に、主税介は父によって馬廻組の穴水家へ養子に出されてしまった。後妻はこれに猛反発したが、それが父の癇に障り離縁させられている。

 当然というべきか、清記と主税介の仲は芳しくない。兄として主税介の敵意を気にしないようにはしているが、一々張り合おうとする主税介に閉口する事もある。平山家の為に手を取り合う必要はあるのだが、この確執は如何ともし難い。


「それより父上は?」

「殿様ならば、離れにおります。本日の政務は既に終えられ、後はのんびりするそうです」


 政務と言っても、父は与力の報告を軽く聞く程度である。それを知ってもなお、ひと仕事を終えたように言うのが滑稽だった。


「そうか。父上へのご報告した後は風呂と飯だ。準備をしておいてくれ」

「かしこまりました」


 清記は、庭に出て離れの一間に向かった。そこは父が建てた隠居所で、六畳ほどの広さである。未だお役目から引いてはいないが、いずれはここで楽隠居を決め込むつもりらしい。


「これは、兄上」


 ちょうど隠居所を出ようとする主税介と、行き当たった。


「久し振りだな」

「兄上もお元気そうで」


 と、主税介が軽く頭を下げた。顔は僅かに綻んでいるが、清記にはそれが冷笑に見えた。

 主税介は、筋骨逞しい清記と違い、細面の優男だ。ふとした笑みでも軽薄なものに見えてしまう。


「変わりは無いか?」

「ええ。ですが、父上に命を与えられましてね」

「ほう。お前が」


 主税介が命を与えられるのは、清記の知る限り初めての事だった。


「私も兄上と同じように、御手先役として働けるのかもしれません。思えば、御手先役は一人とは限りませんからね。それに、内住郡代官は兄上で、御手先役は私。そうした選択肢もあるのではないかと、思うようになりました」

「確かに。だが、それを決めるのは父上だ」

「だから、私は結果を残すしかないのです。私も平山悌蔵の子。他家へ養子に出されても、兄上を上回る結果を残せば後継者になる資格はある」

「お互い、励むとしよう。御家と我が家門の為に」

「ええ。私は私の為に」


 それで、主税介とは別れた。やはり、弟とは心が通わない。兄弟として、過ごした時間が短過ぎたのかもしれない。

 かと言って、決して嫌いというわけではなかった。何かと兄に対抗しようするのは、兄弟ならよくある事だ。あれで憎めない可愛げもある。いつかは、このわだかまりも消えるはずだ。


「おい、早う入れ」


 部屋の奥から声がした。父の声だ。清記は黙礼をして、中に入った。

 そこには、軽衫かるさん・半着姿の悌蔵が自らの矮躯を横たえていた。


「役目は無事に果たせたそうじゃの」


 と、総白髪の頭を清記に向けた。


「あの杉崎孫兵衛を討ち果たすとは、やはり我が子じゃ」

「お聞きになりましたか」

「廉平にの」

「これで小竹宿の民も安心して暮らせましょう」

「そうだのう。お前もやりやすかったろう? 武士の義務というものを果たすお役目は」


 悌蔵の物言いには、やや皮肉が込められていた。父は、清記が考える武士の義務について、反論する事はないが、肯定もしない。ただ、意味深な笑みを浮かべるばかりなのだ。


「で、杉崎はどうであったかえ?」

「中々の使い手でございました。何でも父上のお知り合いとか」

「そう言っておったか」


 清記は頷いた。


「あれは伊達公に謀反の噂があった時だったかのう。藩命を受けた儂は、仙台藩に潜入し、謀反の虚実を探ろうとしたわけじゃ。結果としては潔白じゃったが、そこで立ち合ったのが、杉崎孫兵衛の親父よ。孫兵衛とやらは、当時はまだ毛も生え揃わぬ童であってのう。涙を流しながら親父が死にゆくのを見ておったわい」


 譜代である夜須藩は、奥羽から江戸を守る、蓋のような役目がある。特に仙台藩は、神君家康公からよくよく目を離さぬようにと命じられたのは有名な話だった。父は藩命と言っていたが、幕府からの命令なのかもしれない。


「と、儂も廉平が杉崎について教えてくれるまで、その名を聞いても思い出さなかったがの」


 そう言って自嘲する悌蔵を尻目に、清記の心には、重石がし掛かる心地だった。杉崎にとって、自分は仇の子だったのだ。恐らく、浪々の身となったのも、父親を斬られたからだろう。言わば、不倶戴天の敵。だというのに、杉崎は終始冷静だった。もし自分が同じ立場ならば、そうはいかない。そこが、自分の未熟な部分かもしれない。


「ところで、父上。主税介に何やら命を下されたようで」


 清記は話を変えた。


「気になるかのう?」

「ええ。弟でありますし、万が一という事もあります」


 主税介の力量については、心配はしていない。父に念真流を仕込まれてもいるし、才能も確かだ。時として非情な振る舞いをする主税介は、自分より向いているのかもしれない。だが、心のどこかで一抹の不安を覚える。


「ふむ。主税介には、小遣い稼ぎのような小さな仕事ヤマを任せただけよ」


 平山家には、御手先役の他に家業と呼ぶべき、もう一つの仕事がある。

 それは、銭と引き換えに人を殺す、始末屋という生業である。これは御手先役に掛かる費用一切を自弁する代わりに、藩より公認された既得権益なのだ。

 清記も、始末屋として幾度となく働いた。むしろ、始末屋稼業の中で腕を磨いたと言っても過言ではない。


「なるほど。して父上は、このまま主税介を使い続けるつもりでございますか?」

「やはり気になるようじゃのう」

「主税介には、危ういところがございます。その非情さは御手先役に向いているのかもしれませんが、一度箍が外れるとどうなる事か」


 そう言うと、悌蔵の眼光が一瞬だけ鋭く光った。


「まぁ、手駒は多いに越した事はなかろうと思ってのう」

「我が子を手駒と申されますか」

「ふふ」


 我が子を手駒と称する父が、何を考えているのか時としてわからなくなる。今回の件も、主税介の野心を無暗にくすぐるだけではないか。或いは、悩み過ぎる自分の尻を叩く為か。


「ま、その話はいい。お前には頼みがあるのだが、聞いてくれまいか」


 悌蔵は、おもむろに起き上がって言った。


「お役目ですか?」

「いいや。お役目なら命じるだけよ。今回は頼みじゃ」

「はぁ」

「中老の奥寺様とその家来衆に剣を教えて欲しいのだ」

「奥寺様……」


 中老の奥寺とは、奥寺大和の事だ。


(あの、〔泣く子も黙る〕と呼ばれた、奥寺大和か)


 泣く子も黙る。それは大和が持つ渾名であり、功名の証でもある。そして、犬山派の独裁を嫌う藩士たちが、その名を尊敬を込めて呼んでいた。

 若い頃は、名門の出であるにも関わらず無頼を気取り、友人の仇討ちや博徒の喧嘩に助っ人として働いたとの逸話もあるが、今の名声は六年前の出来事にある。

 深江藩との長年に渡る舎利蔵山の領有権争いが幕府に上訴されるや、若年寄であった大和が梅岳から全権を委任され、その折衝を任された。

 勝てば英雄であるが、負ければ二度と出世が出来ぬ傷を負う。しかも、この争いは夜須藩に分が悪い。深江藩が番所を築いて、実効支配をしているのだ。故に、誰もが避けた厳しい役目であったが、大和は一年半に及ぶ熾烈な外交闘争の末に、幕府の裁定で夜須藩は山頂の領有を勝ち取ったのだ。

 政事に興味が無い利永すら驚きの声を挙げた結果に、梅岳は中老職を与える事で報いた。犬山派に属さない大和が中老に登る事は異例中の異例だった。

 また、大和は多才の人でもあった。剣は一刀流中西道場で免許を得た腕前で、書画に至っては奥寺竹円おくでら ちくえんという名で、江戸でもその作品は人気を博しているという。

 かの東馬の父であるが、


(一度はお会いしたい)


 清記は、常々そう思っていた。

 父曰く、清廉潔白な士で、滾るような血を備えているという。歯に衣着せぬ言動が災いし、嫌っている者もいるというが若手の藩士の名望を一身に集めている。小竹宿に救いの手を差し伸べようと、御手先役の派遣を発案したのも、この大和だった。


「実は奥寺様の剣術指南役が、つまらん喧嘩で怪我を負っての。暇を出したが中々い人物がいない。そこで、お前に白羽の矢が立ったわけじゃ」

「左様でございますか」

「ま、毎日というわけではない。五日に一度ぐらいじゃ。それに、藩の将来を担う奥寺様と縁を結ぶというのは、お前にとっても平山家にとっても悪い話ではない」

「わかりました」


 考える間もなく、清記は了承した。確かに、悪い話ではい。だが、元より自分に拒否する権利は無いのだ。父が決めた事に、従う他に術はない。


「で、奥寺様に念真流を?」


 そう言うと、悌蔵は鼻を鳴らした。


朴念仁ぼくねんじんのお前でも、冗談を言うのだな」

「確認したまでです」

「建花寺流じゃ」


 清記は、首肯で応えた。

 念真流は、門外不出の御留流である。しかも秘密にされているので、おおやけには建花寺流と名乗り、念真流の存在は一般には知られていない。故に、清記の剣名は建花寺流と共にある。藩内では、田舎剣法と侮りを受ける事もあるが、一々気にはしていない。むしろ、そう思われた方が念真流である事を偽装出来るというものだ。


〔第二回 了〕

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