6.残り火

 美木和馬は、焚き火の前に座っている。

 さきほどまで燃え盛っていた炎は下火になり、殆どの薪がその役目を終えて燻っている。



 燃え尽きようとしているその様子が、今の自分と重なった。

 真っ白な灰になれる薪が羨ましい……

 そんな思いが押し寄せてくる。

 あとどれくらい生きれば、僕も灰になれるのだろうか……


 美咲の死から三ヶ月が過ぎた。

 僕は二人で過ごす筈だった美ヶ丘ファームで独り暮らしをしている。

 隣のデッキチェアには、美咲が座って微笑んでいる筈だった。

 でも、その姿はない。


 僕は、美咲が旅立った後も変わらない生活をしている。

 朝起きて、飯山の景色を見下ろしながら朝食を食べ、在宅で仕事をこなし、暇になれば畑の手入れや庭の草むしりをして、日が暮れたら囲炉裏の前で夕飯を食べ、そして眠る。


 それは僕が思い描いていた生活風景だった。

 そこに美咲がいないという事を除けば……

 僕の生活から美咲という存在が消え、心に大きな穴が開いた。

 僕の全てだった美咲がいなくなり、最後まで信じていた希望を失った。


 意思とは関係なく、身体は動く。

 東から太陽が昇り、西に沈んでいくように。

 染み付いた習慣が、僕の身体を動かしているのだろう。

 でも、そこに僕の意思は存在しない。


 あとどれくらい生きれば、美咲の元へ行けるのだろう……

 僕は、生きる意味を完全に見失っている。



 僕にはひとつだけ、やるべき事が残されていた。

 それは、美咲が書いた日記を燃やす事だ。

 夕暮れ時になると火を熾し、美咲との約束を果たそうとする。


 その約束を果たす事ができたなら、前に向かって歩みだせるかも……

 美咲は、そんな願いを込めて日記を残したのだろうか?

 しかし僕は、未だにその約束を果たせないでいる。


 僕は、美咲の日記を読んだ。

 美咲の心に刻まれた煌びやかな思い出に触れ、二人で過ごしてきた幸せな日々を噛みしめた。

 そして日記を読み終え、約束を守る為に、焚き火の中に日記をくべようとするのだが、どうしてもそれが出来ない。

 この日記を燃やしてしまったら、美咲との絆や思い出が消えてしまいそうで……


 来る日も、来る日も、同じ事を繰り返してきた。

 「明日にしよう……」

 心の中で呟いているうちに夏は終わり、秋が訪れ、冬を迎えようとしている。


 僕は重たい腰を持ち上げ、焚き火の片付けをしようと立ち上がった。

 その時、庭先に一台のタクシーが停まった。

 「こんなところに、誰が来たのだろう?」

 僕は炭バサミを手に持ったまま、タクシーから降りようとしている人に視線を走らせた。


 辺りは暗くなり始め、はっきりとは見えない。

 はっきりとは見えないが、背格好からすると女性のように見える。


 タクシーから降りた女性は、ドライバーに手伝って貰い、トランクから大型のスーツケースを卸した。

 そしてこちらへ向かって歩いてくる。コツ、コツ、コツ……

 静まり返った里山に足音が響く。


 近づいてくるにつれ、その姿が鮮明になってきた。

 何と無く見覚えのあるシルエット……

 誰にも会いたくないと言う気持ちと、誰かに救って欲しいと言う気持ちが心の中で交錯し、そのシルエットが誰であるか、嫌悪と期待の両面を抱えて目を凝らす。


 近づいてくる女性、それは沢野七海だった。

 「ちょっと美木さん、ぼーっと見てないで迎えに来て下さいよ! か弱い女性が大きな荷物を運んでいるんだから…… もう相変わらず気が効かないんだから!」

 七海の大きな声が響いてきた。

 僕は無理矢理、現実に引き戻されたような気分になる。


 「なんで、こんなところへ……」

 「なんでって、音沙汰がないから、死んじゃったんじゃないかと思って、わざわざ来てあげたんじゃないですか…… 携帯は全然繋がらないし…… 」

 「何とか生きているよ……」

 僕は苦笑いを浮かべた。


 七海の乱暴な喋り方は相変わらずだったが、なぜだか言葉に温かみを感じた。

 「ちょっと座っていいですか……」

 七海は美咲がいつも座っていたデッキチェアに腰をおろした。

 「そこは……」

 慌てて止めようとしたが、間に合わなかった。


 七海は僕の様子を気にする事無くスーツケースを開き、中から一通の手紙を取り出した。

 「美咲さんから預かっていた手紙です。美木さんが立ち直れないようだったら渡してくれって…… こういう役目、きついんですけどね。美咲さん、何でもかんでも私に頼むんだから……」

 七海は顔をしかめながら、手紙を僕の前へ差し出した。

 僕は焚き火の前に座り、燃やしていない薪を一本手に取り、火の中に放り込んだ。


 何も書かれていない水色の封筒を開けると、中には一枚の便箋が入っていた。

 弱弱しい文字ではあったが、それは確かに美咲の書体だった。

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