8.美ヶ丘ファーム(4)
僕と東山さんは炭を熾すことになった。
東山さんは繋ぎの作業着を着て、手ぬぐいを頭に巻いている。
「ようこそ、長野へ!」
クーラーボックスから取り出した缶ビールで乾杯した。
「よく決心したね」
東山さんはコンロに炭を並べながら喋っている。
「決心したというより、押し切られたというか……」
僕は苦笑いを浮かべた。
「まぁ、いいんじゃないかな。ここは空気も奇麗だし、食べ物も美味い、健康にはいいと思うよ」
「はい、まぁそうなんですけど……」
「美咲ちゃん、そんなに悪いの?」
「実は、医者からは半年は持たないだろうって……」
思わずため息が出た。
「そっか…… あんなに元気そうなのになぁ……」
東山さんは炭をいじる手を一瞬止めて、言葉を絞り出した。
「そうなんですよ、僕に気を遣っているのか、いつもあんな感じで…… たくさん笑顔を見せてくれるんですけどね、そんなところが余計に悲しくて…… 辛い思いを無理矢理、笑顔で封じ込めているように見えてしまって、とてもやり切れないです」
僕は缶ビールに視線を落とし、一気に煽った。
東山さんは少し間を開けてビールを一口含んだ。
「美木さん…… それは違うんじゃないかな。四六時中ではないにしても、美咲ちゃんは幸せを感じていると思うよ。あれは心から溢れ出てきている笑顔だよ。美咲ちゃん、とってもいい顔じゃない。意識して作れるもんじゃないと思うけどな……」
僕は言葉を失った。
東山さんはビールをもう一口含み、喉に流し込むと話しを続けた。
「美木さんがそういう気持ちで接していたらさぁ、美咲ちゃんに伝わっちゃうんじゃないかな…… 美咲ちゃんにしてみたら、病気よりもそっちのほうが辛いと思うよ……」
心の奥にある大事なところを突然掴まれたような感覚が走った。何かに頭を叩かれた、と言えばそんな気もするし、雷に打たれたと、言えばそういう感じもする。
僕の気持ちが美咲を苦しめている……
思ってもみなかった。
美咲は自分の事よりも、僕の事を気遣っている? もしそうだとしたら…… 僕は。
「俺の知り合いの医者はさぁ、ガンで死ぬ奴はいないって言うんだよね。体中にガンが散らばっても、命を維持する為に必要な臓器さえ動いていれば、死にゃしないって…… 実際、余命数ヶ月って言われた人が、何の治療もせずに何年も生き続けているって話はよく聞くし…… 周りがさ、勝手に命の期限を決めちゃうって言うのは良くないんじゃないかな……」
綺麗に並べられた炭をバーナーの青い炎が包み込む。
東山さんは、炭が赤くなっていくのをじっと見つめ、僕のほうへ視線を向けない。
バーナーを団扇に持ち替えた東山さんが、話を続けた。
僕は立ち尽くして、じっと聞き入る。
「少なくとも美木さんは、奇跡を信じてあげるべきだよ。どんな状態になろうとも、希望を持って接していれば、美木さんだって心から笑えるだろ…… その笑顔は、美咲ちゃんにも伝わると思うぜ」
東山さんの言葉が、心に響いた。
僕は、美咲の人生を悲劇だと決めつけていたのかもしれない。
美咲は、病気である事を振り切って人生を謳歌している。
残された時間が長かろうと短かろうと、そんな事は関係なく、今、目の前にある幸せだけを感じ取って、笑っている。
僕はそれを受け止めなければいけないのに……
唯ちゃんとクッキーの型抜きをしている美咲の横顔は、この瞬間を間違い無く楽しんでいる。
僕はカメラを取りに行き、美咲に向かってシャッターを切った。
バーベキューは笑いが絶えないひとときになった。
途中、近所の農家の方が差し入れを持って合流してくれたり、この物件を管理していた堀口さんが加わったり……
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、夜の九時を回った頃、お開きになった。
帰り際、唯ちゃんは美咲にしがみついて、帰るのを渋っていたが、「また、すぐに会えるからね……」、と美咲がなだめると、観念して東山さんの胸に抱かれた。
去っていく唯ちゃんを見送る美咲の視線は、少し遠くを漂っているように見えた。
みんなが帰っていき、残ったのは僕と美咲と七海の三人だけになった。
先ほどまでの喧騒が静まり、美ヶ丘ファームは少ししんみりとした雰囲気になっている。
美咲と七海が、大きな溜息をついた。
僕はその溜息が祭りの終わりの合図のように聞えて、寂しさに見舞われる。
過ごしてきた時間が楽しければ楽しいほど、終わりは切ない。
僕たちは部屋に戻り、囲炉裏を囲んだ。
七海は、堀口さんが持ってきたワインを脇に抱えて、胡坐をかいた。
「さぁ、夜はまだまだこれから! 三人で飲みなおしましょう」
七海が、並べたグラスにワインを注いでいく。
笑みを浮かべて明るさを表に出してはいるが、どことなく表情が固いように見えた。
さっきまで喋りすぎたせいか、三人とも口数が少なかった。
ポツリポツリと話をするのだが、会話は途切れがちになり、沈黙が時間を埋めていく。それぞれが頭の中で別の事を考えているようにも思えた。
夜は静かに更けていった。
翌朝は、テラスにテーブルを出して三人で朝食を食べた。
美咲は飯山の景色を指差し、あれやこれやと七海に説明した。
膝にブランケットを掛けてあげたり、ほつれた髪の毛を直して上げたり、七海の事を気遣っている姿がやけに目立った。僕の目には、それが最後の時間を愛しんでいるように映った。
七海は昼前の新幹線で帰る事になっていた。
帰る直前になって、七海が三人で写真を撮りたい、と言い出したので、僕たちはテラスに立って写真を撮った。
僕を真ん中にして、左に七海、右に美咲が並んだ。
七海がおどけて僕にキスをする仕草をすると、美咲もそれを真似した。
僕は真ん中で複雑な顔をしている。
ちょっと間抜けな写真だったが、七海と美咲は声を出して喜んだ。
僕と美咲は、七海を飯山駅まで送った。
「じゃぁ、また来てね……」、と美咲が笑顔を浮かべて送り出すと、「また、来ますね……」、と七海も笑顔で応えた。
二人の目には、うっすらと涙が浮かんでいるようだった。
二人とも、また、という言葉の不確かさを感じ取っていたような気がする。
この日以降、僕らは静かな毎日を過ごした。
朝起きて、飯山ののどかな景色を見下ろしながら朝食を食べ、僕は在宅で仕事をして、美咲は畑の手入れや庭の草むしりに精を出し、日が暮れたら囲炉裏を囲んで夕飯を食べ、手を繋いで眠る。
たまに近所の方が、不揃いの玉子を持ってきてくれたり、採れすぎた野菜を分けてくれたり、東山さんが唯ちゃんと手を繋いで自家製のリンゴジュースを届けてくれたり……
これと言って特別な事はなかったが、毎日が幸せだった。
僕は東山さんに言われた言葉を胸に留めて、美咲の奇跡を信じた。
奇跡が起こるかどうかは分からないが、信じることで美咲と正面から向き合える気がした。
心を通じ合わせて寄り添って生きていくには、信じるしかなかった。
僕たちの生活は、横浜に居た頃に描いた設計図そのままだった。
僕はこの生活が一日でも長く続いてくれる事をひたすらに願った。
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