4.クリスマス(1)
美木和馬のデスクの上にはクリスマスカードが置かれていた。
美木が勤めている会社ではイブになると社長からクリスマスカードが贈られて来るのが恒例だ。
そうかぁ、今日はクリスマスイブか……
美木は心の中で呟いた。
担当しているプロジェクトの納期が迫っていて、毎日深夜まで仕事をしていたせいか、クリスマスの存在を忘れかけていた。
家に帰れば、美咲が小さなクリスマスツリーを飾っているので思い出せるが、家を離れると、激務のせいで今日が何日であるかを忘れてしまう。
今日は少し早く帰るか、そうだ! クリスマスケーキを買って帰ろう……
美咲の喜ぶ顔を思い浮かべたら、仕事で沈んでいた心が急に明るくなってきた。
***
午後九時、美木は最寄り駅に着いた。
いつもとは違って人通りが多く、駅前が活気に満ちている。
12月に入ってから駅前のイルミネーションは鮮やかに点灯している。
それでも終電の時刻、人の気配が少ないと、それはどことなく殺風景に見えていた。同じイルミネーションなのに、今日は随分と華やかに見える。
それにしても、寒い……
美木は肩をすぼめた。
会社を出た時、突然、悪寒に見舞われたので嫌な気がしていた。
電車に乗ると目眩に襲われ、頭がクラクラしてきた。
そして最寄り駅に到着し外気に晒された途端、再び激しい悪寒が……
風邪でも引いたかな……
身体を小刻みに震わせながら、美木は駅前の洋菓子店に駆け込んだ。
ショーケースの中には、何種類かのデコレーションケーキが並んでいて、その中からイチゴが一番多く乗っている15cmのホールケーキを注文した。
美咲の喜ぶ顔を想像すると、嬉しい気分になって来る。
しかし店を出た途端、そんな気分が吹き飛ぶほどの異変に見舞われた。
キラキラと輝く駅前の景色が歪み、自分を中心に回転しているような錯覚……
これはおかしい……
美木は自分の身に起きている異変に気づき、とにかく早く家に帰らねば、と一生懸命歩いた。
ようやくマンションの玄関にたどり着き、エレベーターのボタンを押そうとするとボタンが二重に見え、足元が激しく揺らぐ。
美木は、しゃがみ込んだ。そこまでは憶えている。
でも、そのあとどうやって部屋までたどり着いたかは良く分からない。
***
美咲は、美木の帰りを待っている。
今日は介護の仕事が午前中で終わりだった。
だから昼から買物に出かけ、クリスマスの準備をあれこれしていた。
美木から会社を出る時、LINEのメッセージを貰った。
それからもうじき一時間が経つので、そろそろ帰ってくる筈だ。
忙しなく動きつつも、美咲の心は躍っている。
美木は今朝家を出る時、納期が近くて仕事が忙しい、と言っていた。
だから今日も帰りは遅いのだろうな、と美咲は諦めかけていた。
それが思いがけず、「これから帰るね」、というメッセージを貰ったので、急に気分が高まり、心を弾ませながら調理の仕上げに取り掛かっていた。
そしてオーブンに入れていたチキンを取り出そうとしたとき、インターフォンのチャイムが鳴る。
「おかえりなさい……」
美咲は喜び勇んで玄関に向かい、美木を迎え入れた。
「おつかれさま……」
心を弾ませて呼びかける。しかし返事が無い。
美木はフラフラとよろめき、壁に手をついた。
これは普通じゃない……
「どうしたの…… 大丈夫……」
眉間に皺をよせる美咲。
その目の前で、美木は床にケーキを置くと、そのまま力なく上がり框にへたり込んでしまった。
美咲はおでこに手を当ててみた。
とても熱い。顔が火照っていて、息遣いも荒い。
抱え込むようにしてリビングへ運び、慌てて体温を測ってみると39・8℃と表示された。
ソファーの上に寝転んでいる美木に話しかけてみると、会社を出るときに酷い寒気がしてきて、駅に着いたらフラフラしてきたんだ、と弱々しい口調で言った。
それを聞いて、美咲はぴんと来た。
これは、インフルエンザではないかと……
老人介護施設で働いている美咲は、施設内感染の予防について、常日頃から注意している。この季節、もっとも注意しなければならないのはインフルエンザで、その事が真っ先に思い浮かんだのだ。
美咲は夜間地域医療センターへ電話をして症状を伝えた。
すると、自力で来られるならば来て欲しい、と言われる。
美咲は車の運転が出来る。
仕事で日ごろから使っているからだ。
美木の車を運転した事はなかったが、何とかなる。
美咲は、美木を車に乗せて医療センターへ向かった。
そして診断結果は……
やはりインフルエンザだった。
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