3.キャンプ(2)

 夜の闇が広がり始めたそのとき、暗がりの中からカウボーイのような身なりをした大柄の男が現れた。


 「和馬、元気だったか……」

 男は、美木に近づき右手を差し出した。

 「清吉さん、ご無沙汰しています」

 美木は立ち上がって頭をさげ、男と熱い握手を交わした。


 小野塚清吉はこのキャンプ場のオーナーだ。

 美木にキャンプの作法をイチから教えた、いわば美木にとっての師匠とも呼べる存在で、美木はこのキャンプ場を訪れる度に親交を深めている。


 二人の付き合いは美木がこのキャンプ場へ初めてやって来た時、そのあまりにも不器用な動きに呆れて、小野塚が手伝ったのが始まりだった。


 「こちらは?」

 小野塚は笑顔を浮かべて、美咲のほうへ手を向けた。

 「小川美咲さんと言います、僕の彼女です」

 美咲が自己紹介をする前に、美木が答えた。

 美咲は、美木が躊躇なく、「僕の彼女です」、と紹介したことに戸惑って顔が熱くなる。


 「美咲さん、はじめまして、当キャンプ場オーナーの小野塚清吉と言います」

 小野塚は、テンガロンハットを左手で取り、右手を差し出した。

 美咲は一瞬、呆気にとられていたが、相好を崩すと握手を交わした。

 美咲は、小野塚の雰囲気や、立ち居振る舞いに魅了された。

 迫力のある大きな身体で、全てを受け止めてくれそうな雰囲気を持っていて、温かみがある。美木が、この男に心酔しているのが直感的に分かる気がした。


 美咲が小野塚にコーヒーを入れると、小野塚は近くに転がっていた倒木を引き寄せて座った。美木は、自分が座っていたディレクターチェアを譲ろうとしたが、小野塚はそれを手で制す。

 

 コーヒーを飲みながら三人は語り合った。

 美木は、美咲の事を話し、小野塚は、美木とのエピソードを話した。

 小野塚は終始、笑顔だった。顔に刻まれた皺が、笑うと余計に深くなって、何とも言えない味わいを生み出す。美木も、美咲も、話す度に小野塚の表情を伺い、優しく包み込むような笑顔に触れ、穏やかな気分になっていった。


 美咲は、二人の付き合いが想像していたより深い事を知った。

 きっと小野塚は、美木にとって兄のような存在なのだな、と思った。

 「お邪魔したね…… 楽しい夜を……」

 コーヒーを飲み終えた小野塚はそう言うと、笑顔を残して暗がりの中に消えていった。美木は小野塚を途中まで見送り、ひと言、ふた事話して帰ってきた。

 そこに美咲が立ち入る事はできなかった。


 美木くんには、こういう大人の付き合いを出来る人が沢山いるのだな……

 美咲は自分と違う世界を生きてきた美木の姿に戸惑った。


 美木が、バーベキューの準備をしている間、美咲はぼんやりと考えていた――

 「私と違って、美木くんはひとりぼっちじゃなかったのね……」

 その思いは、肉を焼いている時も、ビールを飲んでいる時も、料理を食べている時も、ずっと頭の中に巣を作っていて、会話をしている時でさえうわの空で、何度か美木くんに聞き返される場面もあった。本当なら底抜けに楽しい時間じゃなきゃいけないのに、心から楽しめていない、もっと美木くんとの時間を楽しまなきゃ、だけど…

――


 夜も更け、二人は寝袋を並べてテントの中に入った。

 空には月が浮かび、テントの中をぼんやりと照らしている。

 美咲は天井を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 「なんかさ、美木くんが、すごく大きく見えてきちゃったな…… それに比べると、私は……」


 美木は寝袋から出ている顔を横に向け、美咲のほうを見つめた。


 「美木くんは、色んな経験をしてきたんだよね。だけど、私は何も出来なかった……」

 美咲は、笑みを浮かべつつも、時折寂しげな表情が入り交じる。


 「高校の頃の美木くんはさぁ、苦手な事が沢山あって…… それを私が助けたりしてさ…… そうすると、美木くんは喜んでくれて…… 私はそれを見るのが大好きで……」

 美咲の笑みが憂いを帯びていく。


 「でも、今の美木くんは何でも出来ちゃうから…… 一緒に居るのがこんな私でいいのかなって……」

 美咲の言葉に、悲しさが漂った。


 美木は寝袋に入ったまま身体を起こして、美咲のほうを向いて、口を開いた。

 「『こんな僕でいいのかな』、高校の頃、ずっと思っていたなぁ…… 学年で一番人気の美咲さんの彼氏ってさ、凄いプレッシャーだったんだぜ……」

 美咲は、驚いたように美木を見つめた。


 「いつフラれるのか、ヒヤヒヤしていたしね…… それなのに、あんな別れ方をしちゃってさ…… ずいぶんと引き摺ったよ…… やり直したいなぁって何度思ったか……」

 美木は姿勢を正して、美咲と向き合った。


「僕は、美咲さんじゃなきゃ嫌なんだ…… もう離れたくないよ、ずっと一緒に居て、同じ景色を見つめていこうよ……」

 美木は優しく語りかけた。


 美咲は、寝転がったまま美木のほうへ身体を向けた。

 目に浮かんだ涙が、月明かりを浴びて光っている。

 美木の口からこんなにストレートな言葉が飛び出すと思わなかったのだ。


 「ずるいよ美木くん、そういう事、言う人じゃ無かったじゃん」

 美咲は頬っぺたをぷくっと膨らませた。


 「ほんとうに…… 私でいいの?」

 美咲が、美木の目をじっとみつめた。

 「美咲さんじゃなきゃ、イヤだよ!」

 「私、バツイチだよ……」

 「そんなの関係ないって」

 「もう若くないし……」

 「だって同い年じゃん!」

 「高校生の小川美咲じゃないんだからね」

 「今のほうがずっと素敵だよ」

 「私、何もできないよ……」

 「いいよ、一緒に居てくれるだけで充分だよ。って言うかさ、僕じゃ駄目なの?」

 「美木くんじゃなきゃ、イヤだよ」

 「僕だって、もうおじさんだぜ」

 「おじさんでもいいよ、高校生の頃よりずっと素敵だもん」

 「口下手なのは変わらないよ……」

 「顔を見れば、何を考えているか分かるもん」

 「ずっと会いたかったんだ……」

 「私も…… あぁ…… やだ…… 涙が止らないよ……」

 美咲は、零れ落ちる涙を寝袋の端で拭った。

 美咲は寝袋からごそごそと両腕を出すと、美木に抱きついた。


 テントの中は冷えている。

 吐き出した息が白くなって宙を漂った。

 月明かりが二人のシルエットをぼんやりと浮かび上がらせる。


 美木は美咲の温もりを感じて、いつか言い出そうと心に決めていた言葉を口にした。

 「美咲さん…… 結婚しよう……」

 背中に回されていた美咲の手に力がこもったのを感じ、強く抱きしめた。


 その晩、二人は寝袋をぴったりとくっつけ、テントの天井を見上げながら眠った。

 再会してからの二人は、向き合うよりも同じ方向を見つめる事が多くなっている。それはきっと二人の距離が近くなったと言う事なのだろう。

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