2.キャンプ(1)

 湖畔のキャンプ場は、シーズオフになったせいか閑散としている。

 数週間前まで華やかな景色を演出していた木々は落葉し、地面には落ち葉の絨毯が出来ている。

 見渡せる範囲にあるテントは二張りだけで、こちらの会話が届く事はないだろう。


***


 僕と美咲の同棲生活は四か月を超えた。

 二人で暮らすようになって、生活習慣の違いを感じることが時々あったが、いつも一緒にいられるという幸福感に比べれば、そんな事はどうって事無かった。


 同棲生活を始めてからも、美咲は仕事を続けた。

 だから家事はお互いが分担した。と言ってもどちらが何をする、という決め事を作るのではなく、お互いが出来る事を出来る範囲でやってきただけだ。

 今までは自分の事だけをしていたが、それをまとめて二人分する、ただそれだけの事だ。


 洗濯物の干し方、食器の洗い方、料理の好き嫌い……

 色々と違いはあったが、ぶつかる事はなく、僕は美咲のやり方を出来るだけ受け入れたつもりだ。でも、もしかしたら僕のやり方を受け入れてくれた美咲のほうが寛容だったのかもしれない。


 美咲は、僕の生活を出来るだけ壊さないように溶け込もうとした。

 僕は美咲と新しい生活を築きたかったので、ゼロからのスタートを切ろうと思っていたのだが、美咲はそれを嫌がった。

 それが何故なのかは分からない。

 僕に遠慮しているのかもしれないし、他に何か理由があるのかも……


 高校時代の美咲は、僕の心の中にずけずけと踏み込んでくる人だった。

 音痴でリズム感のない僕に唄を歌わせたり、高いところが苦手な僕をジェットコースターに乗せたり、酸っぱいものが苦手なのに梅干を食べさせたり、もしも相手が美咲じゃなかったら、僕はへそを曲げて拒絶していたに違いない。だけど美咲の場合は、そういった事を嫌だと感じさせない雰囲気を持っていた。

 それが何故かは言葉で説明出来ない、でも終わってみればいつも笑顔に包まれている。僕にとってはそういった事が刺激的で、心地よくもあった。かくして偏食で好き嫌いが多かった僕は何でも食べられるようになり、歪だった性格は割りとまともになった。


 でも再会してからの美咲は、なんとなく遠慮がちでそう言った事が殆どない、それが別に嫌な訳ではないが、何か物足りなさを感じる。


 一緒に暮らすようになって、特別な出来事はひとつもなかった

 でも仕事から帰ってきた時、部屋の明かりがついていると、それだけで心が躍った。

 休みが重なったときに手を繋いで近所へ買い物に出掛ける事、朝目覚めたときに一人ではない事、一緒に朝ごはんを食べられる事……

 そんな今まで当たり前じゃなかった事が、当たり前になった事が嬉しかった。


 一緒に暮らすようになると、それまで知らなかったお互いの趣味や好きな事を知るようになっていく。

 高校生の頃、お互いの全てを知ったような気になっていたが、二十五年も経てば、色々と変わって当然だ。そういった物をひとつひとつ見つけあっていくのも新鮮で楽しい。


 ある日美咲は僕の所持品の中からキャンプ用具を見つけ、僕が一人でキャンプをしていた事を知る。

 美咲はキャンプというものを経験した事がなかったようで、連れて行って欲しい、と言い出した。

 僕たちは近所のアウトドアショップへ行き、美咲の寝袋を買った。

 そして十一月も終わりに近づく頃、僕のお気に入りのキャンプ場へ美咲を連れて行くことになった。


***


 美咲は、美木和馬の動きに見惚れていた。

美木は、車のラゲッジルームから、少し雑に荷物を降ろし、手際よくキャンプの準備を進めていく。タープを張り、テントを組み立て、焚き火の準備をする。シートの張り方も、ペグを打つ姿も、何もかもがスムーズで、作業が滞る事がない。

 そこに美咲が手を出す隙は無かった。


 美咲は申し訳なさそうに、何か、手伝う事ある? と言ってみたが、大丈夫だよ、そこのイスに座って見ていて……、と言われるだけだった。

 それでも美咲は何か手伝いたくて、美木のそばに行き、工具をいじったりした。

 しかし使い方が分からず、作業の邪魔をしてしまう。

 それでも美木は鬱陶しがることはなく、美咲に道具の名前や使い方などを説明した。でも、ひと通り説明し終えると、それらを取り上げて作業を進めてしまう。


 結局、美咲は赤いディレクターチェアに座って足をブラブラさせながら、美木の動きを眺める事になる。

 

 美咲は思った――

 美木くん、こんなに器用な人だったっけ?

 高校時代の美木くんは、不器用で、口下手で、人付き合いが苦手で、優しさと生真面目さが長所の人だった。だから、私にだけ心を開いてくれる美木くんの事が好きだったし、足りない部分を補ってあげるのが私の役目で、何かをしてあげると照れながら喜んでくれる姿が好きだった。


 会っていない間に、美木くんは変わったわ……

 車のハンドルさばきも、札幌で素敵なバーに馴染んでいた時もそうだった。料理、掃除、洗濯…… 何でも器用にこなし、今は目の前で、手際よくキャンプの準備を進めている。

 四十三歳の男だったら当たり前なのかもしれないけど、でも…… やっぱり…… 私の知っている美木くんとは違う。


 いや、本質的なところは変わっていなくて、人としての器が大きくなっただけ?

 それは人として、男として、大きな魅力のはずだけど、それを素直に受け入れられない気持ちが私の中にはある――


 美木は大きなナイフを器用に使って薪を割り始めた。太い薪を立て、ナイフの刃を当てると、もう一方の手に握った薪でナイフの背を叩く。

 一度叩くとナイフは何センチか薪に食い込むので、それを繰り返す。

 薪の三分の一くらいまで食い込んだら、そのままナイフを薪ごと持ち上げて地面に叩き付けると、パカーンという小気味よい音を響かせて、薪は二つに割れる。


 美咲はその様子をじっと見つめていた。

 美木の手さばきと美木の顔を交互に眺めて、その所作に感心する。

 薪が割れるときの音が心地よくて、いつまででも見ていられそうな気がした。


 「もう少ししたら、火を熾してお湯を沸かすから…… お湯が沸いたらコーヒーを入れてね」

 美咲はようやく与えられた役割に心を弾ませ、思わずにんまりとした。

 

 陽が沈み始めると、湖面を滑るように風が吹いてきた。

 風は弱いが冷気を含んだ空気が急速に漂い始める。

 その冷気を溶かすように、焚き火の熱が二人を包み込んだ。


 二人はディレクターチェアを並べて、焚き火を眺めながら座っている。

 美咲は、コーヒーの入ったマグカップを鼻先へ持ってきて、思い切り息を吸い込んだ。香ばしいコーヒーの香りに鼻腔をくすぐられ、思わず目を細める。

 

 辺りは静寂に包まれ、焚き火のパチ、パチ、という音だけが響き渡る。

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