5.湘南(2)

 七里ガ浜を出て、江ノ島に少し立ち寄り、茅ヶ崎のサザンビーチへとやってきた。

 海岸線は週末ということもあって、それなりに混んでいたが、行き先にあてのない僕らは気にする必要がない。


 サザンビーチの駐車場に車を停め、砂浜を二人並んで歩き、波打ち際までやってきた。

 打ち寄せた波が砂に溶け込んでいくのをじっと見つめていた美咲は、足を真横に開いて、両手を大きく広げ深呼吸をした。

 「気持ちいいから、やって……」

 僕も真似してやってみた。

 潮の香りを含んだ空気が肺の奥深くまで沁み込んでいく。


 これまで僕はどこへ出かける時も一人だった。

 一人遊びは気が楽だ。

 好きなところへ行き、好きな物を食べ、好きな事をして、帰りたくなったら帰ればよい。誰かに気兼ねする必要がないので、口下手で、人付き合いが苦手な僕の性分には合っている。


 女性とデートをしている時よりも、よっぽど充実した時間を過ごす事が出来た。

 僕はひとりの時間をそれなりに謳歌してきたんだ。


 でもどこへ行っても、何をしても、何か物足りなさを感じていたのは事実だった。

 それはもしかしたら、心の拠り所だったのかもしれない。

 一人で出掛ける時は、どこへ行くか、何をするかが重要だったけど、今、重要なのはそこじゃない。

 誰と一緒にいるかが一番大切なのだと気付かされた。

 深呼吸する美咲の横顔を見たとき、心の奥で求めていた拠り所を見つけた気がする。

 

 高校時代に出来た心の隙間は何年経ってもそのままだった。

 その隙間を埋められるのは、やっぱり美咲しかいないんだ。

 僕の頭の中は、美咲への思いで埋め尽くされようとしている。

 

 「美木くん、卒業してから高校へ行ったことある?」

 打ち寄せてきた波から逃げようと後ずさりした美咲が言った。

 

 僕も同じ事を考えていた。

 美咲と出会った場所へ行ってみたい……


 僕は、母校へ車を走らせた。


 高校の近くにあるショッピングセンターに車を停めて歩いていると、美咲が何かを思い出したようで、目を大きく見開いて話し始めた。


 「ここのショッピングセンターってさぁ、私達の在学中にできたところよね…… フードコートがあって、スタンプカードを埋めると、マグカップが貰えるって特典があってさぁ…… あのマグカップ、まだ、持っているんだぁ」

 僕は古い思い出を呼び覚まそうと、必死で記憶を辿った。


 「覚えているかなぁ…… スタンプカードが埋まるまで、あと三個だったときに、美木くん、無理してタコ焼きを三皿も食べたのよ……」

 おぼろげだが、そんな事があったような気がしてきた。


 「何度でも来ればいいのに、無理して食べちゃってさぁ…… でも、嬉しかったなぁ…… そういう一直線なところ…… たまらなく好きだったんだよね」

 僕は、美咲の喜ぶ顔がたまらなく好きだった。

 だから、美咲が喜びそうな事は大抵やった。


 美咲が欲しがっていたぬいぐるみを取る為に、何度もUFOキャッチャーに挑んだり、美咲の好きなお菓子を買ってきてこっそりと下駄箱に入れたり、美咲の好きな曲をエアチェックしてカセットテープを作ったり……

 大した事ではないが、その度に美咲は喜び、ストレートな感情を言葉に乗せて僕にくれた。


 美咲からは何度も、「好きだよ」、という言葉を貰った。

 でも僕は一度も、「好きだ」、という言葉を伝えた事がない。

 この言葉を発するのは特別な時にしようと決めていた。

 でも高校生活の中で特別な瞬間は訪れなかった。

 いや作り出すことが出来なかったのだ。


 ショッピングセンターから歩いて五分ほどで母校の正門に着いた。

 「なんか、変わっちゃったね……」

 美咲がぽつりと呟いた。


 二人で見上げた校舎は在学中に親しんでいたものとは大きく変わっていた。

 どこにでもありそうな平凡な形をしていた校舎が、大きなガラス窓やアーチ型の玄関なんかが配置された近代的な建物に生まれ変わっている。


 「いまの子たちは、ここで高校生活を送っているのね……」

 美咲の声がなんとなく沈んだ。

 僕たちは正門の前に並んで立ち、しばらく校舎を眺めた。

 思い出の場所を巡ろうと思っていたのに、僕達の思い出の欠片を目にする事が出来ないという現実に直面し、虚しさを感じ始めた。


 すると校舎を見つめていた美咲が何かに気づいたようで、校門をしきりと触り始める。

 「この正門は、昔のままだよね……」

 美咲は校門のあちこちに触れ、角度を変えて眺める。

 美咲に言われ、校門に近づいてみると、たしかにここだけが古い。

 壁が真っ白な校舎と比較すると、その差は歴然だった。


 コンクリートの正門は色が変色し、あちこちが欠け、キズだらけになっていたが、その劣化ぶりが逆に威風堂々としているように見えた。

 美咲は校門の横に立つと、地面に視線を這わせた。

 そして、この辺りだよね……、と微笑みながらアスファルトを指で差す。

 美咲の言おうとしている事が、すぐに分かった。


 「うん、うん…… ここに入学式の看板が立てかけられていて…… 僕がここで立ち止まって……」

 「そう、そう…… バスから駆け下りた私は前を見ずに走って…… ここでぶつかったんだね」


 正門の横に立った僕に、美咲は後ろからぶつかる真似をした。

 僕は定期入れを拾うフリをして、それを袖で拭く。

 美咲は僕の手を握って、ハンカチで袖を拭きながら、ありがとう、と微笑んだ。


 遠い昔に起こった偶然の出会いを再現したのだ。

 顔を見合わせて二人で大笑いをした。

 笑っている美咲の瞳が潤んでいるように見える。

 僕の心に、抑えきれない感情が湧きあがってきた。

 そして、その感情を行動に移す。


 僕は美咲を抱きしめた。

 そして思いを伝えるのは今しかないと決意して、こみ上げてきた言葉を口にした。

 「美咲さん、好きです。ここからもう一度やり直してくれませんか……」


 僕の声はあまりの緊張で上擦っていた。

 未来も、過去も関係ない。

 僕にとっては今、この瞬間が全てだった。

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