2.居酒屋(1)

 賑やかな表通りから一本外れた路地にある居酒屋は、規模も店構えも平凡で、美咲が何故この店を選んだのか謎だった。


 高校時代の美咲だったら、もっとお洒落なお店を選んでいただろう。

 もっとも僕にしてみれば、美咲と会えただけで嬉しかった訳だから、店などどこでも良かった訳だが。


 年季の入った暖簾をくぐり、建付けの悪いドアを引いて中に入ると、店内は想像以上に広かった。

 フロアでは数名の店員が揃いの黒いTシャツを着て、忙しそうに動き回っている。

 

 入口に立って店員が来るのを待っていると、ピンク色のマジックで、ミキティー、と書かれた名札をつけた若い女性がやってきた。

 「すみませーん、今、混雑していまして…… カウンターで良ければ、すぐにご案内できるのですが……」

 ちょっと、申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべた。

 すると美咲は僕の目をみつめ、「いいよね?」、と目配せをして、返事を待たずに席へ向かった。


 席へ通されると、女性店員がおしぼりを持ってやってきた。

 美咲は店員に微笑みかけ、「ミキちゃんね……」と声を掛けると、店員は、「はい!」と満面の笑みで答える。


 なんとなく、美咲のテンションが高いように感じた。

 それは高校時代そのままのようにも思えるし、久々の再会から来る緊張感を隠すためにわざと明るく振舞っているようにも見える。

 「この人は美木くんって言うのよ……」、と笑い掛けたが、店員は苦笑いを浮かべるに留まり、すかさず「お飲み物は何にいたしますか?」と言ってきた。


 美咲はドリンクメニューをこちらへ向け、言葉を発することなく視線で何にする?と問いかけてきた。

 僕は迷うことなく、「生ビールを中ジョッキで……」、と答えると、

 美咲は、「それをもうひとつ」、と細長い指を一本立て、店員に告げた。


 美咲との鉢合わせには、びっくりした。

 駅へ向かう道すがら、僕は同窓会を早めに切り上げた事を少なからず後悔していた。

 もう少し待っていれば、美咲は現れたかもしれない。

 会場へ戻ろうか……

 何度も思った。

 そうこうしているうちに駅に着いてしまい、それでも引き返そうかと迷っていたのだ。

 そんなタイミングで、美咲とぶつかったのだから、びっくりするのも無理はない。

 何かの魔法にでも掛ったのではないかと、我が目を疑った。

 僕たちは、お互いを指で指し合い、驚きの声をあげた。


 僕は美咲に、同窓会を早めに切り上げてきた事、まだ会は進行中である事、を伝えた。しかし美咲はそんな事に全く関心を持たず、「二人で話がしたい」、と言い出した。

 もちろん異論などあろう筈がない。

 僕は元々、それを望んでいたのだから……

 意気投合し、二人で駅を離れて店を探した。

 そして行き着いたのが、この平凡な居酒屋だった。


 カウンターに生ビールが運ばれてくると、ジョッキを掲げて乾杯した。

 「二人の再会に……」、と美咲が言ったので、僕もそれに合わせた。

 二人の間に別れたときのわだかまりは存在しなかった。


 美咲はジョッキに口をつけると、いっきに三分の一ほど飲んだ。

 そしてジョッキをカウンターに置くと、ふっーと息を漏らし、目を細めて笑顔を弾けさせる。それは高校生の頃には、見ることができなかった姿だった。


 制服を着て、教室の片隅で、他愛のない会話を楽しんでいた美咲が美味しそうにビールを飲みほしていく……

 その姿は新鮮であるとともに、過ぎ去った月日の長さを感じた。

 久々に会った美咲は年齢を感じさせない若々しさがあり、背筋をピンと伸ばした姿勢が相変わらず雰囲気があって綺麗だった。

 それは僕にとって美咲が特別な存在だから、そう映っただけなのかもしれない。

 それでも、美咲は綺麗だ。


 髪の毛を耳にかける仕草や、僕の注意を引こうとするときに袖を引っ張る癖もそのままで、僕は時代を遡っていくような錯覚に陥った。


 「薬指に指輪がないけど、美木くんは結婚していないの?」

 美咲が唐突に口を開いた。

 僕が独身である事を告げると、美咲はニヤリと笑い、「私と一緒だね……」、と言った。

 そのとき、心に光が差し込んだような気分になった。

 そして、この会話を切っ掛けに、僕と美咲の会話は弾んでいく。


 僕は美咲に促されるまま語った。

 大学時代の話、社会人になってからの話、女性との交際歴……

 高校生の頃もそうだったが、美咲の澄んだ瞳に見つめられると嘘をつく事も、隠し事をする事も出来なくなる。

 美咲はそういう雰囲気を作り出すのが上手なのだ。


 美咲は僕が付き合ってきた女性の事をやたらと詳しく聞きたがった。

 僕はあまり話したくなかった。

 これまで数名の女性と交際してきたが、いずれも一年と持たずに破局していたからだ。

 でも逆に言えば、破局してきた事だから話しやすい、というのはあった。


 三十歳の誕生日に別れた最後の恋人の話を終えると、頬を赤く染めた美咲が、目を細めて微笑んだ。

 すでにビールとハイボールを合わせて三杯ほど飲んでいて、少し酔っていたのかもしれない。

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