卑しい女
ほんの六日前、あの人はブリテンのエプロのもとで食事を為された時です。
静かに出された料理を口にしていた際です。
あの領地の小さな小屋の女人が、ナウの香油を一杯に満たしている石膏の壺を抱えて饗宴の部屋にこっそり入り込み、だしぬけに、その油をあの人の頭からざばぁ、と掛けてしまったのです。
あの人は、頭の上から足の先まで香油で濡らしたのです。
なのに、小さな小屋の女人は落ち着いてしゃがみ、自らの長い髪を使いあの人の濡れた足を噴いたのです。
香油の匂いは部屋の中に立ちこもり、誠に異様な風景でございました、
私はそのような状況に、無性に腹が立ち、女人に叱ったのです。
「何をしているのです。これ、このような置物を濡らしただけではなく、謝罪の一つも無いの。それに貴女が溢してしまった高価な油がもったいないと思わないのですか! このような油があれば、三百ペルシもするではありませんか。この溢した香油を売れば、三百ペルシも儲け、貧しい人に施すこともできたはずです!」
そのように私は叱責すると、あの人はなぜかきっ、と見つめ、
「この女性を叱ってはいけません、この女性はそれに大変、良い事をしました。貧しい人にお金を施すのは、後々にもできますが、彼女は私に新しい考えを与えてくれたのです」
と言ったのです。
あの人は、そう言い終えると、その頬は幾分、赤くなっておりました。
私はあの時のあの人の言葉は信じません。
例に従い、大げさなお芝居をしているのに違いないと思い、平気で聞き流すことはできました。
ですが、その時のあの人の声に、あの人の瞳、その表情に私は異様な物を感じられ、私は瞬時、戸惑いました。
今思い出しても、忌々しい。
これ以上、口にする事さえも無念至極。
あの人は、どことも分からない貧しい女人に恋、ではないが、それに似た怪しい感情を抱いたのではないだろうかと思いました。
あの人ともあろうものが、経歴も何をしているのかさえも分からない女人ふぜいに、特殊な愛でも感じたとあれば、それは何と言う失態でしょう。
取返しのできない大醜聞。
私は人の恥辱となるような感情をかき分けるのが、生まれつき上手い女であります。
自分でもそれは下品な嗅覚だと思い、嫌でありますが、ちらっ、と一目見た時、人の弱点などを過たず見届けてしまうのです。
あの人が、例え微弱にでも、あのどこの馬の骨と分からない女人に、特別な感情を動かしたという事には和知が絵がありません。
私の目には狂いが無いのです。
確かにそうです。
あぁ、我慢なりません。
堪忍ならない。
私は、あの人も、このような体たらくでは、もはや駄目だと思いました。
醜態の極みだと思いました。どのような女性に好かれても、いつでも美しく、水の様に静かであったあの人が、些か取り乱すことが無かったのに………ヤキでも回ったのだろうか。
それは無理もないと言えるのかもしれませんが、それなら私も同じ年です。
しかも、その差は日にちも跨がない。
それでも私は答えている。あの人一人に心を捧げ、これこのような女にも心を動かしたことがないはずなのに、小さな小屋の女人程度に揺らいでしまつた。
骨が細く、皮膚も透き通るような青白さ、手足もふっくらとしており、湖水のように深く澄んだ大きな目がいつも夢見る様にうっとりと遠くを眺めていて、この村の者たち皆、不思議がっているほどの気高い女でありました。
私だって思っていたはず。
そうだ、私は口惜しいのです。
何のわけだか、分かりませんが、地団駄を踏むほど無念なのです。
あの人が若いなら、私だって若い。
私は才能がある、家も富も捨てあの人の為に働き続けました。
なのに、あの人が取ったのはどことも知らない女人。
あの人は嘘つきだ。
あぁ、あの人はあの女人を取った………いや、違う!
あの女人があの人を取ったのです!
あぁ、けど、それも違う。私の言う事は皆出鱈目です。
一言も信じないでください。分かりません。ごめんください。
つい、根も葉もないを申しました。
そのような浅はかな事実なんて、微塵もありません。
醜いことを口走りました。
だけども、私は口惜しい。
胸を掻きむしりたい気持ちです。
なんのわけだが、分かりません。
あぁ、これをジェラシーと言うのでしょうか。あぁ、それならなんともやりきれない悪徳でしょう。
私がこのような風に、命を捨てる程のお思いであの人を死体、今日まで付き従っていたというのに、私に対して優しい言葉を一つも下さらず、かえってあのような女人の身の家を、頬を染めて庇っておりました。
あぁ、やっぱり、あの人はだらしない。ヤキが回りました。
もう、あの人に見込みがございません。
凡夫でございます。
どことも知らない女人に唆かさなければ、あのような凶行を起こさなかったはず。
この国の情報を探らなかったはずなのです。
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