第1問 フィギュアメイカー(2)


 警備を通過し、建物の敷地内に入っていく。丘陵をのぼった先、田畑が広がるなかに、唐突にあらわれた建物。ここが拘置所。説明を受けていなければ、何かの公共施設のようにも見えた。会社といっても通じるかもしれない。

 車を降りると、五人のスーツの男性に囲まれたまま、建物のなかに案内された。まるでどこかの偉い人になったみたいだった。

 野村さんたちについていくうち、地下に続く階段を下りていく。一度も折り返すことのない、一直線の階段だった。段差はどこまでも続いているように思えた。一歩進むたび、深く、地下へと下っていくのを感じた。

 半分まで階段を下りたところで野村さんが言った。

「きみに聞きだしてほしいのは、風見多鶴の模倣犯に関する情報だ」

「模倣犯?」

「オリジナルの殺人犯に対して、その殺人方法や、行動の法則性を真似する人物たちのことだ」

 正直、言葉の意味は知っていたけど、あえて指摘はせず説明を聞くことにした。風見多鶴の模倣犯。おそらくそれは、一人ではないのだろう。

「彼女をアーティストとして神格化し、フォロワーとなった人々がここ数年、模倣犯としてあちこちで罪を犯している。今日はそのうちの一人の情報を明かしてもらう手筈になっている」

「ぼ、僕は、具体的に何をすれば」

 階段を下りたところで、野村さんがスーツのポケットからあるものをだしてきた。ワイヤレスのイヤホンだった。つけるようにジェスチャーの合図を受けたので、従った。

「そのイヤホンごしに、こちらが対応を指示する。俺は隣の部屋できみのことを見ている。一人じゃないから、安心してくれ」

 廊下を進む。材質は大学の校舎の床とよく似ていた。いまごろは大学についているころだと思い出す。一限目の講義はもう始まっている。だけどもう、「普段なら」を想像して逃げていても仕方がない。

 認めるしかない。これは人間違いではなく、僕だからこそ起きた事態だ。この二時間弱のドライブのなかで、唯一、理解できたことは、それだけだった。

「野村さん、一つだけ訊いてもいいですか?」

「一つといわず、いくつでも。それから俺のことは、下の名前で呼んでくれていい。みんな下の名前で俺を覚える」

「小学校のころ、同じ名前の花を育ててました」

「ちなみに名前の由来はアサガオじゃない。いつか話そう。さあ質問は?」

 事実を受け入れる。なるべくシンプルに。僕は検察のひとに拘置所へ連れてこられた。そして、世界的に有名な死刑囚とこれから話をする。模倣犯の、情報を聞き出す。そのうえで訊いておきたいことがあった。

「……朝顔さんは、その、風見多鶴のことをどう思いますか? どれくらい、危険な相手なんでしょうか」

「きわめて理性的ではある。だが、常識的ではない。きみの安全は保証されている。こちらも万全の警備態勢を敷いている。そこは信じてほしい。ただし、」

「ただし?」

「耳を傾けすぎるな。あれと話をしすぎるのは、危険だ」

 朝顔さんはそこで言葉を止めた。もっと詳細な表現やエピソードを交えて、風見多鶴のことを説明できそうな雰囲気があった。それをあえて止めたのだろう。おそらく、僕がおじけづかないように。

「ほかに質問は?」

「朝顔さんから見て、彼女は凶悪な殺人鬼ですか。それとも、芸術家ですか」

 廊下に足音が響く。朝顔さんが答えを丁寧に探しているのがわかった。数秒待って、返事があった。

「どこかのテレビ番組で無責任な評論家がつけたあだ名が、いまでは彼女の代名詞となっているそうだ」

「それは?」

「殺人のマーダーと、芸術家のアーティストをかけ合わせて、『マーディスト』と。文法も単語も、めちゃくちゃなあだ名。だけどなぜか、人々がそれを受け入れている」

 朝顔さんは続ける。

「彼女は悪人だと思っている。裁かれるべき人間だと思っている。彼女を許すような世界は、存在してはいけないと思っている」

 力強い言葉だった。

 正直、どれだけ事実を受け入れようとしても、まだまだわからないことばかりだけど。朝顔さんのそのまっすぐな誠実さだけは伝わってきた。悪い人じゃない。きっと、すごく真面目なひとだ。もしかしたら、ほんの少し不器用で、その冷たさが他人に勘違いされてしまうような、そういう愛嬌のあるひとなのかもしれない。「検察」という存在ではなく、「一人」の人間として、僕は朝顔さんを見られるような気がした。

 僕はそれ以上、質問を続けなかった。廊下を進み、一歩ずつ、死刑囚の待つであろうその場所に向かうことに集中した。

「準備はいいか? いまからきみは、史上最悪の死刑囚と話をすることになる」

 案内されたドアの前に立ち止まる。うなずくと、朝顔さんたちは隣の部屋に入っていった。少しして、朝顔さんの声がイヤホンから聞こえてきた。

「準備はいいか?」

 無言。

 深呼吸。

 この奥に、死刑囚の風見多鶴がいる。

「準備は?」再び、朝顔さんの声。

「はい。できました」

 僕はドアを開けた。



 部屋に入り、そこに座る女性を見て、まずその若さに驚いた。何度かテレビで見たことはあったけど、本物は予想していたより、なんだかずっと、身近だった。

「『俺の声が届いてるか? 届いていたら、風見多鶴の向かいに座ってくれ』」

 ショートカットの黒髪。長いまつげ。

 そして首にかけられたゴム製の首輪。両方の手足につけられた枷。そこから伸びているチェーンは、床の金具に固定されている。それでもまだ足りないのか、部屋の隅には見張りの刑務官らしき男性が立っている。

「座ったら?」

 鈴のように高く、そして透明な声色だった。それなのに、絶妙な重さのある声でもあった。見た目の若さに反して、その中に入っているのは、一〇〇歳を超えるお年寄りであるような気がした。たった一言、耳にしただけなのに、そうやってさまざまな感想がよぎった。

 彼女の声で、朝顔さんに指示されていたことを思い出し、あわてて椅子に座る。テーブルをはさんだ向かいに、いま、死刑囚がいる。胸元の開いた、独特のデザインの囚人服。規定のものではないだろうことは、素人の僕にもわかった。彼女は犯罪者なのに優遇されている。鎖につながれ、誰よりも不自由な身でありながら、少なくとも服のデザインに関して口をはさむ権利を持っている。拘束と自由の、そのバランスのちぐはぐさが、心にひっかかる。

 風見多鶴は何もしゃべらなかった。そして僕も口を開けなかった。ただ、延々と視線を向けられた。たまに僕がテーブルの端に視線をそらしても、戻したときには必ず彼女の瞳と目が合った。

 表情一つ動かさない。ただ、見られている。見られているだけで、これほど不安になった経験など、いままでなかった。人生で初めて、最も長く、僕は他人に見つめられ続けていた。

 耐え切れず、また視線をそらす。彼女の手に目が行く。白い肌。切りそろえられた爪。それ以上でも以下でもない、それが正解であるかのような、指の長さ。

 再び顔を上げたそのとき、死刑囚が、ゆっくりと微笑んで言ってきた。

「ようやく会えた」

 唾を一つ飲み込んで、僕も答える。

「……僕はあなたを知らない、一度も会っていない」

「ええ、いまはそれでいい。まずはここから始めましょう」

 何を言っているのか、さっぱりわからなかった。見えない手で頬を撫でられているような、そんな不安な気持ちが、さっきから収まらない。

 わからない。理由をはっきり説明できない。だけど僕は、ここに長くいたくなかった。見つめてくる彼女の瞳から、少しでも逃れていたかった。

「朝はよく起きられた?」彼女が訊いてくる。

「はい」

「今日の天気は?」

「晴れです」

「いまは大学生?」

「そうです」

「大学は楽しい?」

「……はい」

「いま、何を考えている?」

「…………」

 探られる。

 僕という存在が、掘り下げられていく。からめとられていく。

 本能が告げている。このひとを理解することはできない。朝顔さんと話したときのように、このひとを、一人の人間としてまともに見ることは、僕にはできない。

「『模倣犯について、触れてくれ』」

 イヤホンから聞こえる朝顔さんの声で、それかけた意識を戻す。そうだ。僕には与えられた役割があった。そして一人ではなかった。心強い味方がついてくれている。

「あ、あなたの模倣犯の情報をください」

「どの模倣犯のことかしら? 多すぎて、わからない」

 そういえば僕も聞いていない。模倣犯、としか、教えられていない。

 僕が戸惑っているのを見て、くすくす、とまた風見多鶴が笑う。

「冗談よ、教えてあげる。今回明かすのは『フィギュアメイカー』と呼ばれる人物。ひとの四肢を切断して、自分が加工した人形の手足とすげ替える。比較的平凡で、つまらないタイプの模倣犯ね」

 風見多鶴をどこかの評論家が『マーディスト』と表現したように、模倣犯にもそれぞれの名前があることを、テレビで知った。人形の手足と死体の四肢を入れ替える、『フィギュアメイカー』のことも、取り上げられていたことがあった。しょせんは画面のなかの出来事で、同じ日本であっても、やっぱり遠い世界のことだと思っていた。そんな遠くにあったはずの世界に、僕はいきなり瞬間移動させられてしまっている。

「必ず女性を狙うって聞いたことがあります」

「その通り。そのフィギュアメイカーの居場所を私は知っている」

「……居場所を教えてください」

「もちろん。でも簡単に教えるのはつまらない。あなたともっと話がしたい。だからゲームをしましょう」

「ゲーム?」

「ちょっとした遊びよ」

 彼女が続ける。

「シチュエーションパズルというのを知っている? 最近では、水平思考ゲームという呼ばれ方をしている」

 聞いたことがなかった。

「質問者と回答者の二名に分かれるゲーム。まず、質問者が答えを知っている回答者に質問をしていく。回答者はイエスかノーしか答えない。質問を繰り返し、質問者は答えを導きだしていく」

「つまり、僕があなたに質問して、あなたはイエスかノーしか答えない」

「そのとおり」

 僕は朝顔さんの指示を待った。迷ったら、道しるべをしめしてくれる。彼女が提案してきたゲーム。乗るべきか、断るべきか。

 間があって、本当に指示がくるのか不安になりはじめたところで、ようやく声が返ってきた。

「『彼女のゲームに乗るしかない。俺が質問の内容を伝える。きみが代弁してくれ』」

「ああだめよ、そのイヤホンは外して」

 僕の道しるべを、風見多鶴が指さす。見抜かれていた。いつ気づかれたのだろう。根拠はないが、最初から、という気がした。

「私は朝顔さんじゃなくて、あなたと対話がしたいの。あなたがどういう質問をするかが知りたいの。それができないならこの面会は無効よ」

 イヤホンの奥の朝顔さんは何も言ってこない。どうするのか。中止にするのか。それから再び、少しの間が空いたあと、部屋の隅にいた刑務官の男性が指示を受け取ったらしく、僕のもとにやってきてイヤホンを回収してしまった。意図をそれで察した。続けろ、ということだ。僕は、朝顔さんなしで風見多鶴と向き合わなければいけない。

「さっそく始めましょう。朝顔さんも事件の早期解決を願っているはず。さあ、なんでも質問して。フィギュアメイカーの居場所をつきとめられれば、あなたの勝ちよ」

 水平思考ゲーム。

 イエスかノーの答えだけで、居場所を導き出す。

 そうは言っても、まずは何から訊けばいいのだろうか。どんな質問が、居場所につながるのか。

 こんなことになるなんて、想像していなかった。ただ話をするだけでいいと思っていた。聞かれた質問に答えるような、そんな時間だと思っていた。気づけば僕は、自分のほうからこの死刑囚に、質問をするよう仕向けられている。

「……フィギュアメイカーは、男性ですか?」

「それは『居場所』とは関係ない質問よ。ノーコメント。ほら、頑張って」

 風見多鶴は僕を見て露骨に楽しんでいる。試しに投げた質問も、的外れだったようだ。水平思考ゲームなんて、聞いたこともやったこともない。

「フィギュアメイカーは日本にいる?」

「イエス」

 日本にいる。これは有効な手がかりではないのか。それなら次は、地方別に絞り込んでいくのはどうだろう?

「フィギュアメイカーは九州にいる?」

「ノー」

「フィギュアメイカーは北陸にいる?」

「ノー」

「中部地方?」

「ノー」

「関西?」

「ノー」

「関東にいる?」

「イエス」

 でたらめに投げ続けた言葉の矢が、ようやく的を射た。模倣犯は関東にいる。

「ついでにいうと、あなたの実家のある都道府県にいる。あなたがいま住んでいるアパートの都道府県ではない」

 続く思わぬ回答。イエスと答えるだけではなく、ヒントまで与えてきた。だけど、そうじゃない。僕が動揺したのは、そんなことじゃなかった。

「僕の実家って、……神奈川県?」

「イエス」

 あっさりとヒントをだすことにも驚いたけど、それ以上に戸惑ったのは、このひとが僕の実家の場所を知っているということだ。

 そしていま、僕が住んでいるアパートのことも。

「ど、どうして僕のことを知っているんですか。なんなんだ。いったい、どこまで知っているんですか」

「ノーコメント。『居場所』と関係ない」

 くすくす、とまた笑う。

 その笑い声が、脳に、響いていく。

「フィギュアメイカーは、ええと……」

「ああだめね、集中できてない。もっとてきぱき質問していかないと」

 見抜かれていた。裏ではいま、朝顔さんたちが必死に動いてくれている。僕の質問によって、絞られていくフィギュアメイカーの居場所を、捜し続けている。報いたいと思う。その焦りが、さらに、余裕を失わせる。

「なにかきっかけが必要かもね。ということで、そろそろ頃合いかしら」

「頃合い?」

「フィギュアメイカーの特徴について、言い漏れていたことが一つ。あれは女性を狙う。ターゲットを誘拐し、じっくりと作品をつくりあげていく。それも一五歳の女性をね」

 それが居場所とどんな関係があるのだろう。またヒントをくれたのだろうか。

 一五歳。特定の女性を狙いやすい環境に身を置いているとすれば、どうだろう。それならフィギュアメイカーは、学校の近くに潜伏しているのではないか。一五歳ということは高校? この質問は有効かもしれない。もしも学校に潜伏しているという質問の答えがイエスなら、そこからさらに、関東にある高校から、居場所を特定していく。良い方針であるような気がする。尋ねてみようと、口を開きかけたそのときだった。

「ところで訊きたいのだけど、あなたの妹は、いま何歳?」

「……え」

 ぞくり、と背筋が凍った。

 妹。譜美。

 彼女は、高校一年生だった。一五歳だった。

 風見多鶴は僕の妹のことまで知っている。

 いや違う。そんなことよりも──

「なんですか、その質問」

「妹さんと最後に会ったのはいつ?」

「…………」

「いまは一人暮らしだった? じゃあ今日はまだ会えていないのね」

「……やめろ。そんなわけない」

「妹さんと最後に話したのは?」

「違う」

「電話か何かで話すことはあった? そのとき、彼女は本当に無事だった?」

「ありえない」

「おかしいと思うことは? どんなささいなことでもいい。思いだしてみて。何かいつもと、違うことは起きなかった?」

 起きるはずがない。実家にいるんだ。安全に決まっている。でも父さんも母さんも、あの電話のときにはもういなかった。家には譜美一人だった。

 そして次の瞬間、よぎったのは、朝のあの言葉。


『あ、インターホン鳴ってる。誰かきたみたい』


 ありえない。

 不可能だ。風見多鶴は獄中にいる。この拘置所から一歩外に出られない。それなのに、外の出来事に関与できるなんて。

 そのとき、ドアが開いた。金属のこすれる音が大きく、思わず飛び上がる。

 振り返ると朝顔さんが立っていた。顔色がおかしかった。

 とっさに椅子を立ち、朝顔さんのもとへ向かう。風見多鶴に背を向け、部屋を出る。廊下にでるまで、朝顔さんは目を合わせてくれなかった。

 たまらず声をかけた。

「朝顔さん、どうしたんですか? まさかいまのことで」

「……警察から情報を集めた」

「それで?」

「二時間前、きみの家族が警察に通報していることがわかった。夕木譜美の行方がわからなくなっている」

 落ち着いて聞くんだ、と朝顔さんは前置きをはさみ、こう告げてきた。

「きみの妹が誘拐された可能性がある」

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