エピローグ(下) 蒔かれた火種

「本当に行くのかい?」

「うん。もう決めた事だから」


 そう言ってゴブリンの鍛治士でありアルデウスの友、ビスケ・ゴブリールは荷物がたくさん入ったリュックを背負い、心配そうにする自分の叔母に笑みを見せる。


 彼は今、生まれ故郷であるズブト村を出ようとしている。そのきっかけとなったのはもちろんアルデウスとの一件だ。

 彼と過ごした時間はわずかな間だったが、その時間はビスケの短い人生の中では最も濃密で刺激に満ちたものだった。


 その後の人生を大きく変えてしまうほどに。


「だけどゴブリンが一人旅なんて危険じゃない? せめてあと一人くらいいた方が……」

「叔母さんは心配性だなあ。大丈夫だよ、自分で鍛えた剣もあるし、何よりアルに教えてもらった術式もだいぶ使えるようになったからね」


 そう言ってビスケは「むん」と力こぶを作ってみせる。

 ゴブリンの体に眠っていた『怪力』の魔法。長らく戦闘を行なっていなかったゴブリンはそれの使い方を忘れてしまっていたが、アルデウスがそれを発見したことでビスケもそれを使えるようになっていた。


 そしてそれを練習する中で他のゴブリンたちも興味を持ち、村のゴブリンたちはみな怪力を使えるようになった。

 しかもそれは「偉大な魔法使いアルデウス」が見つけ、更にその力で村の近くに現れたロックビーストを倒したのだとビスケが言いふらしてしまった。

 その結果ズブト村のゴブリンたちは彼を『英雄』と崇めるようになってしまったのだが……アルデウスがそれを知るのはまだ先の話である。


「じゃあ行ってきます!」


 元気よく別れを告げたビスケは駆け出す。

 目指すは北方にあるドワーフの国『ダヴェッリア』。そこで鍛治士として成長し、ゆくゆくは尊敬する友人の役に立つのが彼の目標だ。


「待っててよアル。君を助けられるような凄い人になってみせるからね」


 大志を抱いた少年は、夢に向けて大きく踏み出すのだった。


◇ ◇ ◇


 所変わって城塞都市グラズル。


 グラズルの領主ザガは机の上に積まれた書類の処理に追われていた。

 先日の勇者襲撃事件のせいで大きな怪我を負ってしまったので、仕事をこなすことが出来ず溜まってしまっていたのだ。

 しかしあれほどの怪我を負ったにも関わらず、三日で仕事に復帰できたのは彼の強靭な肉体あってのことだろう。


「ふう、そろそろ休憩するか……」


 いくら傷が塞がっているとはいえ、まだ体を動かすと節々が痛む。

 聖剣による斬撃が魔族にとって『毒』。その攻撃は大きなダメージを与えるだけでなく、回復を遅らせ痛みを残留させる。まさに魔族にとって『天敵』と呼べる存在なのだ。


「コーヒーでも飲んで一息つくか……ん?」


 ザガが席を立とうとした瞬間、執務室の扉がノックされる。

 こんこん、と小さく慎ましやかなノックだ。それだけでザガはその音の主が誰か察する。


「どうした? 入っていいぞリズ」


 愛娘の名前を呼ぶと扉が開き、可愛らしい少女が姿を見せる。

 長い金髪が特徴の少女リズは申し訳なさげに「今、大丈夫ですか……?」と父親に尋ねる。


「もちろんだとも。さあこっちにおいで」


 父の許しを得た少女は彼の机の前まで行く。

 普段は部屋で大人しくしている彼女だが、時たま彼の執務室を訪れる。そういう時は決まって寂しくなった時であり、ザガはその度自分の大きな膝に彼女を乗せて甘やかす。


 しかし……今日の彼女はいつもとは違った。

 寂しそうな表情、どころかその逆。彼女の瞳には強い『決意』が宿っていた。


「……どうしたんだいリズ」

「実は今日はお父さまにお願いがあって参りました」


 そう前置いた彼女は驚きの言葉を口にした。


「私を強くして下さい。どんなに厳しくして頂いても構いません」

「……んん!?」


 娘の思わぬ申し出にザガから変な声が漏れる。

 今まで虫も殺せぬようなだったのになぜ!? と思うが、ザガの頭にある少年の顔が思い浮かぶ。


「それはアルデウス君のために……かな?」

「はい、そうです」


 キッパリと、堂々と答える。

 そこにはおどおどしていて優柔不断だった娘の姿はなかった。芯は強いだとは思っていたが、まだそれを出すには時間がかかると思っていた。


(それほどまでにあの少年の出現はリズにとって大きな出来事だったということ……か)


 娘の成長を喜ぶ反面、急に現れた異性に娘を変えられたザガは一抹の寂しさを覚える。


「しかし分からないな。リズがあの少年に報いたい気持ちは分かる。我々の命を救ってくれただけでなく、魔眼のことまで面倒を見てくれたからな。だが別にお前が強くなる必要はないのではないか? いくらでも恩返しする方法はあるだろうに」


 ザガの目から見て、リズに戦いの才能があるとは思えなかった。

 であるならば他の道を探したほうがいい。下手に鍛えて足手まといになってしまう可能性も高いからだ。


 しかしリズは父の言葉に首を横を振った。


「お父さま、私は恩返しをしたいわけではないんです」

「……なら何だと言うのだ?」


「私は……あのお方を支えたいのです」


 娘の思わぬ言葉にザガはきょとんとする。


「私はアルデウス様から強い使命感のようなものを感じました。きっと私では想像もつかないようなことを考えているのだと思います。きっとそれはとても困難な道、私はそれを支えられるような人になりたいんです。そのためにはまず、強くなる必要があります」

「……そういうことか」


 ザガ自身もアルデウスから何か特別なものを感じていた。

 遥か先を見据えているような、新しい時代を切り拓いていくような何かを。


 しかしそれが分かっていても娘の考えには賛同出来なかった。


「確かにあの少年の側にいるには弱くては駄目だろう。しかし、お前がそこまでする必要はないはずだ。彼にも仲間はいるだろう、お前が側にいなくてはいけない理由などない。命を救われた恩は確かに返すべきだが、お前の人生を捧げる必要はない」

「……それは、そうですが」


 ここに来てリズは初めて言い澱む。

 言いたいことはあるけど言えない、そんな表情だ。


「それとも何か理由があるのか? 彼の側にいなくてはいけないような理由が」

「――――っ!」


 何気なくしたザガの質問に、リズは顔を真っ赤にさせることで返事をする。

 それを見た父は全てを察してしまう。


「そうか。そうだな……リズも、そういう年か……」


 確かにあんな物語のお姫様みたいな救出のされ方をしたら、恋の一つや二つ簡単に落ちるか、とザガは納得する。

 ただでさえリズは友人が少ない。仲のいい男の子など今まで一人もいなかった。


 それなのにあんなに強く、聡明な少年が現れれば……無理はない。

 納得しつつも父は寂しくなってしまった。


「で、あるならば……止められないか。その気持ちは理屈ではないものな」


 ザガ自身も己の心の赴くまま好きに生きてきた。

 それなのに娘に生き方を強要することは出来ない。いつ命を落としてもおかしくない今の世、後悔するような生き方を娘に送って欲しくはなかった。


「分かった、許そう。すぐに腕のいい魔法使いを雇ってお前の教師にする。私も時間が許す限り稽古をつけてやろう」

「本当ですか! ありがとうございます!」


 要望が通るとは思ってなかったのか、リズは無邪気に喜ぶ。

 ザガそんな娘に「だが」と釘を刺す。


「鍛えることは許すが、よく考えることだ。お前はまた幼い、一時の感情に流され人生を決めてはいけない。あの少年に尽くすことが本当に自分の幸せになるのかよく考えるんだ」


 リズは聡明だが、まだ幼い。

 その恋心が十年後も続いているかと言われると、その可能性の方が低い。ザガはそう考えた。


「分かっていますお父さま。ちゃんとよく考え、私の本当に行きたい道を選びます」

「それならいいんだ我が娘よ。お前ならきっと誰より優しく強い女性になれるさ」


 そう言ってザガは娘の頭をなでる。彼女の進む道に幸多いように……と。


 そしてリズはなでられながら、自分のヒーローのことを考えていた。颯爽と現れ、自分の心を奪っていった少年のことを。


(待ってて下さいアルデウス様。必ず私は貴方に追いついて見せます……!)



 少年の熱は繋がり、伝播する。

 今は小さな火種に過ぎないその火たちは、いずれ国を巻き込む大火へと成長を遂げることを……全てを見通す神ですら知らないのであった。

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