春霞:破顔⼀笑を得ゆ

side:一夏


3月も終わりを告げようとする頃。

変わらずにケーキ屋で仕事をする日々だった。

何気なく過ぎる日常の中で、ふとした時に”また来ます”と告げた少年の事が思い浮かぶ。

どうにもあの笑顔が気がかりで、印象的だったからだろうか。

自分自身は甘いものが好きだからケーキ屋にはよく行っていたけれど、普通はそんなに頻繁に通うところでもないのかもしれない。

そう思って今日も変わらずに過ぎていくのだと思っていた昼下がり。


カランカラン。


来店を告げるベルの音。いつも通り声をかけながら視線をやれば、そこにはつい先ほど思い浮かべていた少年の姿が。

パチリと目が合うと、慌てた様子でお辞儀をしている様子が、なんだか小動物を見ているようで微笑ましいなぁと思っている内に、他のお客さんから声がかかる。

常連のお客さんと何気ない会話をして、見送る。

それを数度繰り返せばいつの間にかお客さんは少年だけになっていた。

少年は真剣そうに、でも、どこか懐かしんだ表情で焼き菓子とにらめっこしていた。

手に2つのマドレーヌを大事そうに持ってレジにやってきた少年に声をかけられる。

「あの…」

『また来ますっていったのに、中々来ないな~って思ってたよ。こんにちは~』

そういうと慌てた様子で弁解するのが、揶揄い甲斐があって面白いなぁと思いながら会話を続ける。

『今日はケーキは~?買っていく~?』

そう尋ねるとショーケースのケーキ1つ1つに視線を向ける少年。

「あの、甘露寺さんのおすすめのケーキ、ありますか?」

そう尋ねられて、名前知ってたんだ。と思う。ちょっと意外だったから。

『あれ?俺名前教えたっけ~?よく知ってたねぇ~。』

そう返せば他のお客さんが呼んでいたのが聞こえてきたのだという。

さほど広くない空間だから聞こえていてもおかしくないなぁと一人納得し少年の名前を聞く。

少年は”白羽根 りと”と名乗った。綺麗な響きだなぁ~というのが聞いた印象で、”りと”という響きが気に入った。

『よろしく~りとくん。知ってるかもしれないけど、俺、甘露寺 一夏ね~。』

改めて名乗れば、よろしくお願いします。とペコリと頭を下げるりとくん。

そこまで話して、話が脱線していることに気が付く。

『というか、おすすめのケーキだったよね。ごめんね~。この時期は苺のケーキがおいしいから、ショートケーキとか、どう?シンプルでおいしいよ~。』

そうオススメすれば、りとくんの視線はショートケーキへと向いた。

少し考えた後、ショートケーキを注文してくれた。

ショーケースから取り出して箱に詰めている間何となく視線を感じつつも話を続ける。

確か大学に入学するって言ってたな、と思い話しかければ勉強しているという。

真面目なんだなあと思いながら箱に詰め終わった後、おまけのクッキーを乗せて渡す。

りとくんはそのクッキーを不思議そうに見ていた。

『頑張ってるりとくんへのご褒美~。…なんてね。お店で形が少し崩れちゃったのをサービスでプレゼントしてるんだ~。気に入ったら次にでも買ってね~。』

そう冗談めかして言えば、りとくんはケーキの入った袋を大事そうに抱えてお礼を言う。

宝物みたいに大事にしてくれるその様子を見ていると、俺も早くケーキを店に並べられるようになって、喜ぶ顔が見せられるようになりたいと気合が入る。

「また、来ます。」

そういったりとくんの笑顔はやっぱりどこかぎこちないものだった。


それから、りとくんは週に1度くらいのペースでお店に立ち寄るようになった。

少しは雰囲気になれたのか、緊張した様子も多少ほぐれてきたように感じる。

大学の事や、ケーキの感想、何気ない日常会話を会計の合間にすれば、りとくんは言葉少なに一生懸命会話してくれる。

いつもはおしゃべり好きのご婦人を相手にすることが多いから、こっちから話題を振るのは新鮮で。

「一夏、あの少年が来るといつも以上に楽しそうだよな。」

と、店長にからかわれることもある。

いつも仕事は楽しんでいるつもりだけれど、そう見えるのだろうか。


4月も終わりに差し掛かり、いつも混雑する週末。

珍しくお客さんの少ない店内を眺めながらレジの前に居れば、来店の音。

いらっしゃいませ~と言いつつ、視線を向ければりとくんが立っていた。

『あ、りとくんこんにちは~。』

「こんにちは、甘露寺さん。」

いつものようにペコリと頭を下げて丁寧に挨拶するりとくんは焼き菓子コーナーへと足を向ける。

その様子を見ていると、後ろから声がかかった。

「おい、一夏。」

『店長?どうしたんですか?』

「今忙しくねーし、ほら、これ並べてこい。レジたまには俺がやるから。」

そう言って、店長が奥から出てくる。

珍しいこともあるものだと思いながら、焼き菓子の入った籠を手にもつ。

そんなやりとりが聞こえていない位真剣にお菓子を眺めているりとくんが目に入って、いたずら心が芽生える。

静かに横に並べば、気配に気が付いたのかりとくんがふと横を見て、それから、少し肩を震わせ、大きな目をますます大きく開く。

小さな動作ながらに驚いてるのが分かってついつい笑みがこぼれる。

『もしかして、びっくりしてる~?焼き菓子足りなくなったから並べにきたんだよ~。』

そう言いながら少なくなっている焼き菓子を並べていく。

「いつも、レジにいたので、他のお客さんかと思って、少しびっくりしました。」

『確かに、こうやってお菓子並べてるときにはあんまり鉢合わせないもんね~。ほら、今お客さん落ち着いてるから~。レジは店長がやってるし。』

そういうと、りとくんはレジに視線をやる。そして目を瞬かせて、再びこちらを向いた。

「店長さん、いつも店の奥にいるから、初めてちゃんと見ました。」

『確かに滅多に出てこないかも~。今日はケーキそんなにまだ出てないから、暇だったんじゃない~?』

「そんなときもあるんですね。いつもお客さんいっぱいいますから、なんだか不思議です。」

そう言いながら、並べている手元に視線が向いているのを感じる。

面白いものでもないだろうけど、りとくんはじーっとその様子を見ていた。

並べ終わったころ、りとくんが声をかけてくる。

どこか緊張したような、身構えた様子。

珍しいな、と思いつつ返事をすれば、質問をされる。名前の漢字が気になっていたらしい。

意外な質問だった。でも、りとくんらしいなぁと何故だか思ってしまって、面白くなる。

『どんな質問かなぁって思ったら、そんなことかぁ~。気軽に聞いてくれていいのに~。数字の一に季節の夏で一夏だよ~。』

そう伝えれば、少しの沈黙の後、

「そうやって書くんですね。すごく、似合ってると思います。」

そう返ってくるものだから、少し驚いた。容姿の事や性格の事なんかを褒められることはあっても、名前の事を似合ってるとまっすぐに伝えられたのは新鮮で。

だからこそ、嬉しいと思った。

『ありがとう~。似合ってるって中々面と向かって言われたことなかったからちょっとびっくりしちゃった~。そうゆうりとくんは、どんな漢字書くの~?』

そう尋ねれば、分かりやすく教えてくれた。

莉冬。頭に漢字を思い浮かべて、綺麗な響きだと再認識する。

それに、夏と冬。たまたまだけれど、季節の漢字が使われているという共通点もあって、不思議な気持ちになった。

それをそのまま伝えれば莉冬くんは慌てたように視線を彷徨わせて、疑問符がついたような言い方でお礼を言うものだから、それがまた面白くて。

笑っていれば、レジの方から声がかかる。

「おい、一夏ー!そろそろ並べ終わっただろー?レジ頼むー。」

『あ~、すみません~。…呼ばれちゃったからいくね~。ゆっくり選んでいって~。』

店長から呼ばれたので伝えれば、莉冬くんは申し訳なさそうにする。

大丈夫だよ。という意味を込めて手をひらひらと振ったけど、伝わったかな?

戻れば、店長がすこし含み笑いして出迎える。

「邪魔して悪いなー。じゃ、また頼むわー。」

『そんなことないですけど~。了解しました~。』

店長はその返答を聞いて笑みを深めると店の奥へと戻っていった。


それから少しして、莉冬くんがレジの方へとやってくる。

ショーケースのあちこちに視線を彷徨わせている様子が、やっぱり小動物みたいでかわいいなぁと眺めていれば、どうやら決まったようだ。

目線をあげた莉冬くんとバッチリ目が合う。

『あ、やっと気が付いた~。決まったみたいだね~。』

そう言って笑えば、随分慌てた様子の莉冬くん。揶揄い甲斐があってついつい可愛いと伝えれば、少し赤くなったほっぺのまま、むっとした表情をする。

それに軽く謝り注文を聞けば苺タルトを頼まれ包む。

『はい、お待たせしました~。気を付けてね。』

「ありがとうございます。それじゃあまた来ます。」

いつものように手渡してから、そういえばと思って、ドアの方をむいた莉冬くんに声をかける。


『あ、莉冬くん~。』

「?はい。」

不思議そうに振り返った莉冬くんに言葉を続ける。

『さっき言いそびれたんだけど、俺の事、甘露寺さんじゃなくて、一夏でいいよ~。』

折角仲良くなったのだし、言わないと莉冬くんはずっと苗字で呼ぶような気がしてそう伝える。

莉冬くんは、どこか緊張した様子でいいのか尋ねてくる。

好きに呼んでよ、と笑えば緊張した面持ちで”一夏さん”と呼んだ。

『は~い。ふふ、緊張してるの~?』

「はい…でも…。」

『ん?でも~?』

返事をして、緊張した様子だったから、それをほぐすつもりでそう問えば、莉冬くんは目を伏せて、少し何かを考えて、それから俺を見上げる。


「僕、一夏さんって呼べて、嬉しいです。」


そういったその表情は、今まで見た莉冬くんの表情の中で一番嬉しそうな、幸せそうな、自然な笑顔だった。

-ケーキで幸せな笑顔になってもらえたら…

莉冬くんと初めて会ったその日に思っていたその思いが、まさか自分の何気ない一言で達成されるとは思っていなくて、驚いた。

何も言わない俺を不思議そうに見つめる莉冬くんにハッとして、

『…そっか~。それなら、言った甲斐あったかな~。』

と慌てて返す。

「また、来ます。お仕事、頑張ってください。」

『ありがと~。またね。』

そう言って莉冬くんはお店から出て行った。


莉冬くんはどうして、あんな風に俺の一言に言ってくれたんだろう。

…その感情の答えを本当は俺は理解している。

俺はその感情をよく知っているから。

でも今は、理解していないふりをして、これからも莉冬くんと変わらず今の関係でいるべきだと、ただ、純粋に笑ってくれたのが嬉しいと。

その感情だけあればいい。それがお互いにとっていいのだと、そう思うから。


この時の俺は自分自身はその想いを抱くことはないと、そう思っていた。




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破顔一笑…顔をほころばせてにっこり笑う

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