春霞:心緒を得ゆⅡ
side:莉冬
4月も後半に差し掛かり、ピンク色の桜並木に少しずつ緑が増えてくる。
入学式を終えて新しい生活がスタートした僕の日常は大きく変化することはなかった。
大学は自分で受ける授業を決められるようで、僕は必要な物を適当に入れて通っている。
サークルに入るつもりもなければ、バイトをする予定もない。
同じ授業を受ける人とは、話をするくらいの仲にはなったと思うけど、でも、それだけ。
きっとこのまま卒業するんだろうなぁ、と先生の話している声を聴きながら空をみていた。
あれから、甘露寺さんのいるケーキ屋には週に1度くらいのペースで通っている。
こんなに通うのですら、自分の中ではびっくりなくらいだけれど、どうしてもあの時感じたこの気持ちの正体が気にかかってしまう。
甘露寺さんとはあの時のようにゆっくりと話すタイミングはなかった。
いついってもお客さんがいるあの空間で、最後まで話をするためだけに待ってるのもなんだか、違う気がして。
甘露寺さんは、あのレジのたった数分の時間でも、毎回いろんなことを話してくれたり、聞いてくれる。
話すたび、嬉しくて、名前を呼ばれるとふわふわした気持ちになる、この感情の答えは未だ掴めていない。
ざわざわとしだした教室に、授業が終わったのだと分かる。
今日の授業はこれが最後だ。
明日は大学は休み。ケーキでも、買って帰ろう。
そう思って、ホワイトボードの文字を適当にノートに写して、人のまばらになった教室を後にした。
少しずつ慣れてきたケーキ屋への入店。
「いらっしゃいませ~。あ、莉冬くんこんにちは~。」
『こんにちは、甘露寺さん。』
目を見ていつも挨拶をしてくれる甘露寺さん。目元が柔らかく細められて笑う綺麗な笑顔が眩しいな、といつも思う。
僕は挨拶して、お辞儀すればいつものように焼き菓子コーナーへと足を運ぶ。
今日は珍しくお客さんはまばらだった。
何を買って帰ろうか、お菓子のラインナップを見ていると横に人影。
他のお客さんだろうかと、チラリとみれば、そこには手に籠をもっている甘露寺さん。
レジにいるところしか見たことが無くて、びっくりする。
甘露寺さんはそんな僕の様子を見て、からかうみたいに笑う。
「もしかして、びっくりしてる~?焼き菓子足りなくなったから並べにきたんだよ~。」
そう言って籠から綺麗にラッピングされたお菓子を並べていく。
『いつも、レジにいたので、他のお客さんかと思って、少しびっくりしました。』
「確かに、こうやってお菓子並べてるときにはあんまり鉢合わせないもんね~。ほら、今お客さん落ち着いてるから~。レジは店長がやってるし。」
そういう甘露寺さんの視線を辿れば、コック帽子をかぶっている男の人がレジを打ちながら、お客さんと会話している様子が目に映る。
『店長さん、いつも店の奥にいるから、初めてちゃんと見ました。』
「確かに滅多に出てこないかも~。今日はケーキそんなにまだ出てないから、暇だったんじゃない~?」
『そんなときもあるんですね。いつもお客さんいっぱいいますから、なんだか不思議です。』
「今日はもう少し夜になったらお客さん増えるんじゃないかな~。ほら、金曜日だし。」
そんな話をしながら、お菓子を綺麗に並べていく甘露寺さん。
隣でこんなに話せてるのが不思議で。楽しいな、って思う。
そういえば、聞こうと思っていた質問、今ならできる気がする。
『あ、あの、甘露寺さん。』
「ん~?どうしたの~?」
『気になってた事があって、答えたくなかったらいいんですけど、いちかってどんな漢字書くんですか…?』
甘露寺さんは質問を聞いて目を瞬かせて、それから笑う。
「どんな質問かなぁって思ったら、そんなことかぁ~。気軽に聞いてくれていいのに~。数字の一に季節の夏で一夏だよ~。」
『そうやって書くんですね。すごく、似合ってると思います。』
一夏さん。綺麗な響きだなぁって思っていたけれど、太陽みたいに笑顔が眩しくて、とても暖かい人だと思うから、ぴったりだ。
そう1人納得していると、一夏さんは少しびっくりした顔をする。
「ありがとう~。似合ってるって中々面と向かって言われたことなかったからちょっとびっくりしちゃった~。そうゆう莉冬くんは、どんな漢字書くの~?」
『僕ですか?ええと、りは草冠に権利の利で、とは冬です。』
「そうやって書くんだ~。うん。莉冬くんの方こそ、似合ってるね~。それに、夏と冬なんて、偶然だけど季節の漢字が使われてるなんて、不思議だね~。」
そんな風に言って、甘露寺さんはにこっと微笑む。
『あ、えと、ありがとう、ございます…?』
「はは、なんで疑問形?莉冬くん面白いなぁ~。」
似合うって言ってもらえた事なんて初めてだ。嬉しい、な。
それに、確かに夏と冬。たまたまでも、なんだか不思議だ。
甘露寺さんは素敵な考え方を持ってるなぁ。と、また眩しくなる。
「おい、一夏ー!そろそろ並べ終わっただろー?レジ頼むー。」
「あ~、すみません~。…呼ばれちゃったからいくね~。ゆっくり選んでいって~。」
『こちらこそ、引き止めてすみません。ゆっくり見ます。』
仕事の邪魔をしてしまったかも。そう思って申し訳なく思ったが、甘露寺さんはきにしないで~というように手をひらひらさせて、レジへと戻っていった。
店長さんに怒られたりもしていないみたいでほっとする。
今日は、クッキーにしようかな。何種類かを手に取って先にケーキのショーケースを見る。
あの後、何種類かケーキをたべたけど、どれもおいしいと思った。
でも一番は最初に食べたショートケーキ。
今日はどれにしようかな…と眺めて目に入ったのは新作とポップのある苺のタルト。
つやつやした苺が沢山乗っている。
今日はこれにしようと思って、ショーケースから視線を上げれば、甘露寺さんとバッチリ目が合う。
「あ、やっと気が付いた~。決まったみたいだね~。」
そういって笑っている甘露寺さんに見られていたと思うと、なんでか動揺する。
『えと、あの、待たせちゃいました…か?』
「全然~。ほら、お客さんいないし、夢中でケーキ見てるのがね、可愛くて~。」
『かわいい…って、僕男だし、大学生なんですけど…。』
「ごめんごめん~。どれにする~?」
『…苺のタルトを1つください。』
「わかりました~。ちょっとまってね~。」
かわいい。きっと甘露寺さんはからかっただけなのだと思う。
かわいいなんて言われたのは、随分昔の事だし、両親にしか言われたことなんてない。
僕、男だし、かわいいにはならないと思うんだけど…。
それがでも、嫌じゃないのが不思議だ。
「はい、お待たせしました~。気を付けてね。」
『ありがとうございます。それじゃあまた来ます。』
いつも通り受け取って、帰ろうと、そうくるりとドアの方に振り返ったときだった。
「あ、莉冬くん~。」
『?はい。』
呼び止められて振り返る。
「さっき言いそびれたんだけど、俺の事、甘露寺さんじゃなくて、一夏でいいよ~。」
そういった甘露寺さんは、ニコニコ笑ってこちらを見ている。
『え、いいんですか…?』
「うん。俺だけ莉冬くんって呼んでるし、好きに呼んでよ~。」
一夏さんって、僕も呼んでいいんだ。
一夏さん。名前を呼ぶだけなのに、どうしてこんなに緊張するのだろう…。
『えと…一夏さん。』
「は~い。ふふ、緊張してるの~?」
『はい…でも…。』
「ん?でも~?」
名前を呼んで、一夏さんが笑ってくれる。
それを見て嬉しいって想う、この感情を形にするならば…
”恋”
そう思って、ストンとパズルのピースがはまるような感覚を覚える。
僕は、一夏さんが、好きなんだと理解した。
理解したから分かる。この感情は伝えられない感情だ。
でも、それでも、この感情を抱かせてくれたことが幸せだから。
『僕、一夏さんって呼べて、嬉しいです。』
「!!」
自分の顔がどんなふうになっているか分からないけど、初めて会った日よりもうまく笑えたんじゃないかなって、思って。
一夏さんは、びっくりした顔をしていて。
上手く笑えてなかったかな?って思ったんだけど、
ハッとして、それから、すごく優しく微笑んだ。
「…そっか~。それなら、言った甲斐あったかな~。」
『また、来ます。お仕事、頑張ってください。』
「ありがと~。またね。」
きっと僕はあの日初めて会ったときから、一夏さんの事が、好きだったんだ。
男の人だってわかってる。僕なんかが好きになっていい人じゃないって分かってる。
でも、好きでいるだけなら、きっと許してもらえるよね。
帰って食べた苺のタルトは、甘酸っぱくて、幸せな味がした。
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