前日譚:雪解けの逢瀬
side:莉冬
3月1日。
多くの高校生がこの日、3年通った学び舎から卒業する。
桜が開花するにはまだ少し早く、地面には溶け切らなかった雪が残る。
空は太陽を隠して曇り空。春と呼ぶにはまだ冬の面影を残している。
そんな外を僕は、卒業式が終わり、最後のHRが行われる中、ボーっと眺めていた。
僕にとって高校生活は生きている上での生活の1部でしかなく、特別周囲の人間のように泣いたり笑ったりするようなことでも無かった。
試験に合格し、通わせてもらっているから通う。それだけのことだった。
HRはいつの間にか終わっており、クラスメイトはそれぞれ世話になった職員や、部活の後輩、卒業式に来てくれた両親の元へと散らばっていく。
部に所属していなかった僕はまだ少しざわつく教室を一瞥すると、静かに立ち去った。
「…白羽根。」
玄関に向かう僕の背に声がかかる。
振り返ればそこには1年の時から何かと声をかけてくれていた先生が立っていた。
『…先生。えっと、お世話になりました。』
どうして声をかけてくれたのか分からないまま、一言告げて頭を下げる。
「あぁ、卒業おめでとう。帰る前に伝えたくてな。」
そういった先生は僕を見て少し寂しそうに笑う。
3年間、いつもこの先生はどこか寂しそうに笑うなぁとその顔を見て思う。
『そう、でしたか。ありがとう、ございます。』
笑顔の1つでも作れたらいいのに、僕の表情はピクリとも動いてはくれなかった。
「先生は、白羽根が大学に行って、やりたいこととか、楽しめることを共有できる誰かに出会えたらいいなって思ってるよ。…がんばれよ。」
『…?はい。』
それだけ告げると、先生は肩に手をポンと置いて、立ち去った。
その後ろ姿を見送る。どうしてあの先生はわざわざ言いに来てくれたのだろう。
最後まで気にかけてくれて、親切な先生だったなぁと思いながら、今度こそ学び舎を後にした。
誰に引き止められるでもなく、迎えに来る親がいるわけでもない。
そのことを特別寂しいとも思わない。
まっすぐ帰る気にはならなくて、大学と僕の新しく住む家の場所を確認してから帰ろうと足を踏み出す。
ここまで育ててもらったのだ。感謝の気持ちも込めて今日くらいケーキの1つでも買っていこうか。
そこまで考えて、そういえば、今日は自身の誕生日だったなと思い出す。
いつからか、お祝いすることも無くなった為特にめでたい行事とも思えなくなった誕生日。
この先もきっと祝う事なんて無いんだろうと、そう思っていた。
大学の場所を確認し終え、一度新居に立ち寄っていこうと、歩いて数分。
丁度大学と家の中間地点に見えたケーキ屋を見つける。
入ったことのないお店だけど、まぁいいか。
そんな気持ちで入店した。
「いらっしゃいませ~。」
柔らかな落ち着いた声が聞こえ顔を上げた瞬間に、目を奪われた。
淡いキャラメル色の優しい髪に、柔和な微笑みを浮かべた1人の男の人。
白を基調とした制服がとても似合っていて、かっこいい大人の男性。
「あの~、大丈夫ですか?」
そう、声をかけられてハッとする。声をかけられなかったらずっと見ていてしまったかもしれない。
こんな風に誰かに目を奪われるなんて初めてで、慌てて目をそらす。
『あ、えっと、すみません。だい、じょうぶです。』
「なら、よかった~。卒業式?」
不思議そうにしながらも、店員さんはそう言葉を続ける。
そういえば、卒業記念の名札付けっぱなしだった。
今までだったら、はい。と返事をして終わっていたはずだった。
でも口から出てきたのは思いもしないことで。
『そうなんです。でも、ここに来たのは、あの、…誕生日、祝いで。自分にケーキ買う、なんて、変ですか?』
さっきまで誕生日なんてどうでもいいと、確かにそう思っていたのに、買いに来たのは親戚宛のケーキのはずだったのに。
今目の前にいるこの人に、どうしてか、お祝いしてほしいと思ってしまっていた。
もっと話したいなんて、そう思ったのなんて、両親以来だった。
目が合わせられなくて、視線が少し下がる。答えを聞くのが少し怖かった。
でもそんな不安杞憂で。彼は優しく笑うと優しい声で答えてくれた。
「変じゃないですよ~。おめでとうございます。」
そう言われて、パッと顔を上げる。見上げた彼の表情は声と同じく優しいもので。
おめでとうって言われるって、こんなに心が温かくなるものだったんだと思って。
嬉しい。素直にそう思った。
『ありがとう、ございます。』
そういった僕の顔は不器用ながらに笑えていただろうか?
笑おうとするなんて久しぶりで、変だったかもしれない。
僕の焦りや恥ずかしさが伝わっていないといいな。
顔に色んな感情が出ないことにもどかしさや感謝の矛盾した感情を抱いたのは初めてだと思う。
頼んだケーキがラッピングされて、手渡される。
「お待たせしました~。気を付けてね~。」
『ありがとうございます。…あの、僕、ここの傍の大学に通うんです。だから…あの、また来ます。』
大事に受け取って、それだけ告げて、ケーキ屋を後にする。
相手にとってはただのお客さんだったと思う。
でも、僕にとっては、大げさなんかじゃなく、世界が明るくなったような、運命の出会いだった。
さっきまで肌寒かった空気も、今は不思議と暖かい気がして。
いつの間にか雲の隙間から射した陽光をうけて樹に僅かばかり積もっていた雪が静かに落ちるのを見て、自分の中の何かが溶け出したような、そんな気がした。
side:一夏
いつもと変わらない職場での1日。
世間は卒業式のようで、店長はお祝いのケーキ作りで連日追われていた。
まだ修行中の俺は頼まれた店番をしていた。
少し客足が落ち着いたころ、扉が開いて1人の高校生が店へと入ってきた。
『いらっしゃいませ~。』
そう言って笑った後、反応がない。
どこかボーっとしている少年の胸ポケットには、卒業祝いの名札がついている。
3年生にしては幼いな、なんて思いながら、固まっている少年へと声をかける。
『あの~、大丈夫ですか?』
そう声をかければ、すみませんと言葉が返ってくる。
記憶にないから恐らく初めて来店したお客さんだろう、そう思って言葉を続ける。
『卒業式?』
名札から推測して尋ねれば、視線は合わないまま、どこか不安気に、自分の誕生日ケーキを買うのは変かと言われる。
何かをお祝いするのに、この店のケーキでお祝いしてくれるのは嬉しいことだと思う。
どうして、そんなに不安そうにするのだろうか?
不安を取り除いてあげられるように、声をかける。
『変じゃないですよ~。おめでとうございます。』
そう告げて笑えば、パッと顔を上げた少年と目が合う。
ガラス玉みたいな綺麗な水色の瞳が少し揺らいで、それから、少し細められる。
「ありがとう、ございます。」
そういった少年の表情はぎこちない微笑みに見えた。
ケーキは人を笑顔にする食べ物だと思う。
今まで接客した誰よりも笑顔がぎこちないそんな少年の様子が、不思議と少し気にかかった。
いくつか頼まれたケーキを、ラッピングして渡せば、大事な物を抱えるようにして、少年はまた来ると告げて立ち去って行った。
次来た時は、名前を教えてもらおう。
そんな風に思った。
この時は、この少年がこの先大きな存在になるだなんて、想像もしなかったし、知る由もなかったのだ。
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