第6話 自由は死んだ

 ローズの家から戻る途中、ウォンの心は乱れに乱れた。

 Y国留学が叶い、楽しい日々が始まった。友人もできたし、アルファ国では不可能になったYNH69の総選挙ライブ配信を見ることもできた。

 その最中に兄テイからの緊急連絡。おそらくその後、彼は逮捕された、Y国への留学歴があるというだけの理由で。両親にも危害が及ぶかもしれない、明るい笑顔で送り出してくれたのに、とウォンが嘆くと、メイリンは、

「あなたに心配させたくなかったのね」

 両親が、この先の自分たちの運命を知っていたのではないか、という言い方をした。

 そうなのだろうか。安心してY国へ旅立ち、自由をエンジョイしてほしくて笑顔で送り出してくれたのか。

 アルファ国の情報は何も入ってこない、色々な規制が強まっているらしい、という嫌な話題ばかりだ。


 翌日、テイの親友、セイヤから連絡があった。テイがY国に留学中、親しくなった学生だ。

 やさしい目をウォンに向けて、

「テイのこと、心配だよね」

「はい」

 テイと親しいセイヤに慰められ、ウォンはほっとした。

 母親のカレンも、手料理でもてなしてくれた。

 彼女は、アルファ国のオメガ地区出身。学生時代、Y国に留学経験がある。

 オメガ地区は150年ほど前、アルファ国がE国と戦って敗れた際、100年の期限付きでE国に貸与された。その間、放任主義国と変わらない自由があった。やがて時が満ちて、返還の時を迎えた。その後50年、放任主義を認めるという条件付きでの返還。

 しかしアルファ国は、これを一方的に破棄した。返還後わずか20年で「ひとつのアルファ国」を叫び、放任主義運動を徹底的に弾圧した。

「国家侮辱罪」も制定された。たとえ外国人であろうと、アルファ国を批判する者は逮捕する、というものだ。だから、そうしたジャーナリスト等はアルファ国には入国できない、即刻、逮捕される恐れがあるからだ。


 カレンは、アルファ国を支持する両親と、帰国後、大喧嘩になり結局、Y国に戻った。ぐずぐずしていると出国もできなくなるとの恐怖ゆえだ。

「あの判断は正しかったと思ってます」

 カレンはY国で働き、信頼できる男性と出会って結婚し、セイヤが生まれた。Y国人として生きることにためらいはなかった。

「留学させなきゃよかった、と両親は嘆いていました。オメガ地区の自治が認められていたら、私もこちらに戻らなかった」

 自由を求めて活動した友人たちはほとんど逮捕、拘束されて、その後、消息不明。オメガ地区は完全にアルファ国の共栄主義に呑み込まれてしまった。

「天国門事件のことは、オメガ地区では広く知られていたし、抗議行動も起こった」

 当時、オメガ地区は返還される前だったから、ほとんど放任主義国と同じように情報が入ってきていた。天国門広場で1万人の若者が殺戮なんて絶対に許されない。

 しかし、アルファ国では今も、事件の日付「7.6」を検索しても、何も出てこないのだという。

「自由は死んだ、いえ、殺されたのよ」

 カレンは、悲しそうにつぶやいた。


 ウォンは帰宅後、「7.6」について調べた。目を覆いたくなるような記述があふれていて、吐きそうになった。

 Y国では、おそろしい事実を知ることができるが、アルファ国の若者たちは何も知らされていない。

 選挙権もなく、共栄党の監視体制が厳しくとも、海外のエンタメを自由に楽しめるうちは、まだ問題に気づかないでいられた。

 僕だってそうだった、とウォンは唇を噛んだ。



「おかえりなさい、艦長」

 玄関ドアを開けると、夫のカイトが笑顔で出迎えた。2歳になったばかりの双子の姉妹もマリヤめがけて走ってくる。

「ママ―」

 2か月ぶりに会うカホとリナに目を細め、抱きしめながら、マリヤは苦笑する。

「ただいま。家では艦長と呼ばないでよ」

 7つ年下のカイトは、かつての部下だった。彼がマリヤに求愛したときは、命知らず、と笑われたものだ。元気いっぱい、単細胞と言われるが、マリヤにとって安らぐ存在となった。

「マリヤさん。任務、お疲れさまでした」

 現在、カイトは育児休暇をとって主夫を務めている。マリヤのほうがはるかに収入が多い、ずっと家にいれば、と陰口をたたかれるが、カイトはカイトで、防衛隊の食料担当、食事面のサポ―トという任務を大事にしている。育休が明けたら復帰し、マリヤと力を合わせて家庭を守っていくつもりだ。


 鋭角の防衛、先日の合同訓練のサポート。気の抜けない勤務が続き、開放された直後も、マリヤは緊張は抜けなかった。こうして日常に戻ってくれば、マリヤは、ただの女であり妻であり母親だが。

 抑止が何よりも大切だと思っている。戦争ができる国にする気か、と、国防隊は一部で非難されるが、戦争しない、させないための存在なのだ。

 現にアルファ国は、強大な経済力にものを言わせ、とてつもない軍事大国となっており、共栄主義勢力を全世界に広めつつある。真の共栄であれば問題はないが、一般国民の自由はじわじわと奪われているのが現状だ。そんな暴力を横行させるわけにはいかない。


 家が近くなるにつれて、、マリヤのこわばった心は次第にほぐれていったが、今この瞬間も世界が緊張状態に置かれているのは間違いないのだ。

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