第5話 女王誕生

「ただいま」

 ミチルは勢いよく玄関ドアを開けた。

「お帰り」

 父のカイジが笑顔で出迎える。目尻に深いシワが刻まれた53歳で、長年、陸上防衛隊の一員として主に災害時に駆り出されてきた。

「どうだった、合同演習は」

「はい、無事に終わりました」

 澄んだ瞳が自信に輝く。知性をたたえた美貌の持ち主だ。

 ミチルは航空防衛隊の女性パイロットで、ユウタやアユミとは国防大学の同期だ。トップクラスの成績で卒業。同時に父のカイジより階級が上になった。それがカイジには誇らしい。高卒で叩き上げ、昇給とは無縁に生きてきたカイジにとっては自慢のひとり娘だ。ミチルは希望通り、戦闘機パイロットの道に進んだ。


 W.X.Y.Z。4国連合での海上訓練が終了、ミチルは休暇で戻ってきたところだ。T民国海峡の有事を想定して、各国の主力空母が現地に集結した。

 Y国の空母「おしきり」。

 W国の「イロコワ」、X国の「アシュラン」、Z国の「ターコイズ」と各自の護衛艦、駆逐艦等の揃い踏みは壮観としか言いようがない。

 アルファ国がピリピリしないはずがなかった。T民国は我が国の領土であると、建国当時から主張しており、機会あるごとに国際機関でアピール。しかし、頻繁に行われてきたT民国の領空侵犯は、この訓練中、ぴたりと収まった。

「アルファ国は、ヒスイの玉菜キャベツを返せと近頃、またごねているらしい」

 カイジの言葉に、ミチルは苦笑した。

「しつこいなあ」

 精巧に創られたヒスイ製の特大キャベツは、T民国軍がアルファ共栄党軍に国を追われたとき、かつての王宮から持ち出したものだ。天国門広場奥に鎮座する宝物館の、それは随一の国宝だった。あれを取り戻さないとアルファ国の面子が立たないと、何十年たってもわめいている。

「大体なあ、かつてのY国軍は、T民国軍と戦ってたんだ」

「共栄党軍はその頃、西の国境に隠れていたんでしょ」

「そうだよ。Y国の無条件降伏に乗じて攻勢に出て、T民国軍を追い落とした」

「当時はアルファ国自体、存在しなかったんだよね。なのに戦勝国として国際合同の常任理事国。どういうマジックなのか、不思議でしょうがないわよ」

「全くだな」

 カイジとミチル父娘の愚痴は、果てしなく続くのだった。




 暗闇の中で、マハが叫ぶ。

「ヤケノハラ-!」

69!シクスティナイン!!」

 メンバーの声が続き、ステージがぱっと明るくなる。まばゆいライトと歓声の中、オープニング曲「買いたかった」のイントロ。


 ♪買いたかった 買いたかった 買いたかった ぜ・ん・ぶ


 私たちに許されたのはモノを買う自由だけ、と皮肉る歌だ。続く「恋するハンプティダンプティ」では、ぽっちゃり地味女子が、美少女やイケメン以外は恋しちゃいけないの、と抗議する。そして「365日のわら人形」は、いじめに負けるな、苛めた奴らを毎日呪え、藁人形に釘を打て、と鼓舞する。


 マジ、ヘンな歌ばっか。こんなもんがウケるとはね。


 ホールの熱狂の中、ひとり醒めている青年がいた。その目はセンターのマハにじっと注がれている。


 心地よい汗をかいたマハは、センターとしての初ライブを無事に終えた。

「よかったよ」

 いつもは厳しいモトキも笑顔でほめてくれた。

 歓びがじんわりと胸に広がっていく。

 私。本当にセンターなんだ、センターになれたんた。

 楽屋に戻りひとりになると、改めて感激がこみあげる。

 鏡の中には、自信に満ちた、上記した顔が映っていた。やや控えめなタイプだったが、可憐な蕾が意外なほど大輪の花を咲かせていく寸前の美しさがあった。

 もはやYKH69の二番手、三番手、未来のセンター候補ではない。

 私はセンターだ、68人のメンバーを率いていく女王なんだ。

 21歳のマハは、さらなる成功への階段を昇り詰めていく自分を、うっとりと思い描いた。


 携帯が鳴った。見ると、知らない番号だ。そうしたものはシャットアウトしてあるはずなのに、どうして。執拗に呼び出し音が続く中、もしかして誰かの番号が変わったのか、と、つい取ってしまう。

 男の低い声が、

「久しぶりだな、ナラ」

 マハの全身が凍り付く。

 ばぜ、その名を?

 7歳の時に捨てた、忌まわしい名を知っているのは家族だけのはす。

 画面にふいに、発信者の顔が現れた。マハはぎょっとした。

「コウエン?」

「覚えていてくれたか」

 薄い唇をゆがめて、コウエンが小さく笑う。マハは、なんとか冷泉になろうとした。

「忘れるわけないでしょ」

「どうだい、センターになった気分は。楽しそうに歌ってたな。せっせと投票した甲斐があったよ」

 コウエンが大量投票したんだ。

 それで自分はセンターになれた?

 コウエンガ出所していたことさえ、マハは知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る