第2話 青龍と赤サンゴ
「領海侵犯は許さねえ」
ソナーの前でユイは歯ぎしりする。
あどけなさを残す童顔の女性で、Yl国が誇る、青龍型潜水艦の乗組員だ。
青龍型YR002では息詰まる時間が流れていた。
ピッ ピッ ピッ……
ソナーは、悠然と領海に近づくアルファ国の潜水艦を捉えている。20年以上前からY国の領海ぎりぎりまで接近し、我が国の領海を監視しているだけだと主張。W国を始めとして、同盟国が非難しても懲りずに続けている。
私が生まれた頃から、こんなことを延々とやっている。
図々しいにもほどがある、とユイの怒りは収まらない。
「ユイ。あんまり熱くなるなよ」
となりのシートの上官、セイラがたしなめる。20代後半の冷静沈着な、海上防衛隊の女性隊員。
「いいかげんブチギレそうですよ」
こちらはソナーでは探知できない青龍型、あちらは図体がでかいだけの旧式。向こうは当方の存在に気づきようがない、1ミリでも領海を侵したら、ぶっ放してやる!
そんなユイの心の叫びが聞こえてきそうだ。
アルファ国の潜水艦は、きわどいところまで領海に接近、やがてゆっくりと離れていった。青龍が潜んでいることは承知の上だから、本当に領海に侵入したらどうなるかは分っている。
「艦長」
セイラはマリヤ艦長に敬礼した。
「どうした」
30代半ばにして艦長に抜擢された精鋭。栗色の髪のマリヤは、澄んだ茶色の目をセイラに向けた。母親はW国の出身である。
「ユイのことなんですが」
いつか暴発するのではないかと心配だ、と、セイラは打ち明けた。最前線に置くのには疑問がある、と。
ひと通りセイラの話を聞いた後、マリヤは微笑み、
「しっかり教育してくれ。そのためにセイラを傍に置いている」
「はい」
マリヤは潜水艦の艦長に昇格して1年になる。初のケースではないが、このYR002は現在、すべての乗組員が女性だ。マリヤの力量が試されているのだ。
Y国南端、鋭角諸島の領海の外れ。
巡視船「なみかぜ」のブリッジから、ユウタがアナウンスする。
「ここはY国の領海である。すみやかに退去せよ」
アルファ語で粘り強く説得を続けるが、何の効果もない。それでも続けなけらばならない。
日に焼けた精悍な横顔に汗が浮かぶ。母によれば、太い眉は父譲りだという。
海中同様、アルファ国の領海侵犯すれすれの行為は海上でも長年、続いていた。
彼らは既成事実を作ろうとしている。ここは自国の領海だと言い張り、連日、こうして現れることで国際社会に権利を認めさせようという魂胆だ。
「そうはさせるか!」
海上防衛隊に配属されて3年。ユウタもいっぱしの愛国隊員になっていた。
国防大学の最終学年が近づく頃、ユウタは母からこんな話を聞いた。
「私、若い頃からずっと、赤サンゴのネックレスが欲しかった。一粒ペンダントでもいいから、鋭角でとれる真っ赤なサンゴの」
だが、夢がかなう前に、アルファ国の悪行が始まった。武器を備えた大型船が、護衛と称して多数の漁船を引き連れてくる。漁船は、鋭角の漁民が、長い時間をかけて育てた赤サンゴを、根こそぎ奪っていった。多勢に無勢で、抵抗はできない。
当時は、海上防衛隊を出動させるのは許さん、という空気があり、海上保全局の船が出たが、丸腰で退去を命じても効果はゼロだ。
「ほんとに悔しかったよ。事実を知らない国民も多くてね」
だから、赤サンゴはあきらめた。手ごろな値段でアルファ国産のが売られてるけど、それは鋭角の漁師たちの血と汗と涙の結晶。どんなに安くたって、掠め取って行った連中から買ってたまるか!
ユウタは母子家庭に育った。進学は、経済的に厳しい。国防大学は学費が無料の上、給与まで支給される。ここしかない、と、国防には興味がなかったが志願し、無事合格した。
エントランスホールには、これまでに殉職した学生の遺影がずらりと並んでいる。在学中に落命、もありうると知って愕然となった。
訓練は厳しく、何度もくじけそうになったが、卒業までは、と耐え抜いた。最初から、ユウタは任官拒否するつもりだった。就職に有利になるよう、エスペランサ語とアルファ語をしっかり身に付けた。方針を変えたのは、母から赤サンゴの話を聞いたからだ。
午後5時。
今日はここまで、というように、アルファ国の巡視船が引き上げていく。
やれやれ、と、ユウタはブリッジを離れた。
デッキで、国防大の同期、アユミとすれ違った。軽く手をあげて合図しあう。
同じ船に乗っていても、意外に顔を合わせることはない。
今日はついてる、とユウタはニヤニヤした。
どこからか、かすかなカレーの匂いが漂ってくる。
「あ、金曜か」
金曜日の夕食はカレーライス、という伝統が、旧海軍時代から引き継がれている。ユウタはカレーが大好物だ。鼻歌を歌いながら、デッキを下りて行った。
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