守護石

 ウェヌスの怯んだ様子を見て、ばば様が言った。

「やはり、何か感じるか? これはエジプトの神、オシリスの守護石じゃ」

「エジプトの神……」

「そうじゃ。オシリスという神に守られている者を、ウェヌス様も容易に殺めることは出来まい」


 ばば様が、ニヤリと笑ってウェヌスを見つめた。

 ゴーディーの命を取ろうとすれば、オシリスが動く。つまりそれは、ウェヌスとオシリスの争いを意味する。


「これで、ウェヌス様にも大義名分はたつじゃろう。エジプトの神に守られた男を、ローマ神界に連れて来ることはできなかった――と」

「確かに……ね」


 ウェヌスは大きく息を吐いた。張り詰めていた緊張が、一気に緩む。

 短剣をゴーディーの鞘に戻すと、アティアとゴーディーの二人を交互に睨んだ。


「なんだか私が、二人をくっつけてしまった気がするんだけど……」

「そうじゃな。お前さんが現れなければ、この二人は自分の恋心に気づくこともなかっただろう」

「やっぱり……」

 ウェヌスは、がっくりと肩を落とした。


「まぁ、お前は愛と美の女神だ。恋を実らせるのが、お前の仕事だろ」

 オルクスが、落ち込んでいるウェヌスを慰めるように言う。


 ウェヌスは、キッとオルクスの顔を睨んだ。オルクスに慰められたことが、なんだか悔しかった。

 それから、なにか閃いたかのように目を大きく開き、微笑んだ。

「そうね。私は、自分の仕事を全うしたんだわ。そう思うことにする。ところでオルクス、あなたの愛はどうすればいいかしら?」 

「なんのことだ?」


 クールなオルクスが、なぜか怯んでいる。

「何万年も、好きな子の魂を見守るだけでいいのかしら?」

「——愛だの恋だの、そんなくだらない感情を、俺は持ち合わせていない」

「ふぅーん。下手な嘘をついて……」


「とりあえず、無事に解決したな。俺は、先においとましよう」

 なんだか慌てるように、オルクスが消えた。


「あ~ぁ、逃げられた。私も帰るわ」

 そう言うとウェヌスは光に包まれた。

「では、ごきげんよう!」

 ウェヌスの姿が消え、バラの香りだけが部屋の中に残った。


「やれやれ、これでようやく静かになった」

 ばば様が腰を叩き、伸びをする。


「ウェヌス様にも困ったもんじゃ。それにしてもゴーディー、その指輪のお陰で助かったのう」

「はい。でも、オシリスとは?」


「エジプトで信仰されている『死と再生の神・冥界の王』オシリスという神じゃ。これ以上詳しいことは、わしにも分からん。どうして、お前がそれを持っているかもな。ただ、その指輪がオシリスの守護石であることは確かだ」

「そうでしたか……」


 ゴーディーは、指輪をぎゅっと握り締めた。母が、どれほどの想いでこの指輪をゴーディーに託したのか、ひしひしと伝わってきたのだ。

 

「さて、アティア。ゴーディーはお前を愛してると言うた。これから、どうするつもりじゃ? ゴーディーと一緒になるか、シヴュラとして屋敷に入るか……」

「私は……」


(シヴュラとして生きます!)そう言いたいのに、言葉が出ない。


「アティア、無理するな。ゴーディーと共に生きていきたいのじゃろ。それでえぇ。それで、いいんじゃよ。さぁ、今日は疲れただろう。もう、帰りなさい」


 二人は、ばば様に促されて、屋敷を後にした。





「やれやれ。大変な一日じゃった。年よりには、疲れるわい。それにしても、ウェヌスの話がちと気になるのう。ここは、アポロ様に訊ねるとしようかの」


 ひひひひひっ。

 思わず下卑た笑いがこぼれるばば様。

 人の秘密を覗くのは、なんだか心が躍るものだ。しかも、それがクールな神の秘密となれば、尚更だ。


 ばば様は、神殿に行きアポロを呼んだ。

「我が地上の花嫁よ。ご機嫌麗しゅう」

「あぁ、挨拶はよい。今日は、疲れた。ところで、オルクスの恋の話を知っていたら教えてくれぬか?」


「それは……ちょっと」

「そこをなんとか……頼む。誰にも言わん。わしだけの心に閉まっておくつもりじゃ」


「どうして、そんなにオルクスのことが気になるのですか? 僕は今、オルクスに嫉妬しそうです」

「まぁまぁ。オルクスというか、オルクスとアティアの関係がな、何か引っかかる。この、もやっとした思いを抱えたままでは、死んでも死に切れん。わしは、もう長くない。だから、頼む」


 背中を丸め手を合わせ、必死でお願いするその姿に、アポロは少し呆れていた。


「年を重ねても、強い好奇心は健在ですね。では、僕が知っている範囲でお話しましょう。ですが、他の方には秘密にして下さい」

「もちろんじゃ!」


 ばば様の目が、らんらんと煌めいた。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る