神愛の刻印

 アポロの語り。

 

 時は、今より遡ること15000年ほど前の物語。


 人間と神々の世界には、大きな壁はありませんでした。

 神々は、今よりも自由に人間界に出入りをしていたのです。   

 また、神々の国にも国境はなく、他国神同士の交流が盛んでした。

 もちろん、小さないさかいはありましたがね。


 地上では、アトランティスという国が一大文明を築いていました。

 ここで、人々は平和に暮らしていたのです。


 しかし、栄華を極めると堕落が始まるのは世の常なのでしょう。

 12000年ほど前になると、アトランティスは混沌の時代を迎えます。

 この頃から、神と人間の間に壁ができるようになりました。

 人間たちが、神を忘れて行ったのです。


 やがてアトランティスは、『光の子』と『ベリアルの息子』に国が二分されてしまったのです。   

 

 『光の子』と呼ばれる人たちは、精神性が高く神の法則を守り生活していました。しかし『ベリアルの息子』と呼ばれる人たちは、利己的で自分たちの欲望を叶えることに徹していました。


 『ベリアルの息子』たちは、現在のローマの人々と似ているかもしれません。富を求め、他国を侵略し栄華を極める。性に奔放で、残虐性を好み、自堕落な毎日。支配する側は、なにをしても許される。なにをしてもいい。そういう考えの人たちでした。

 

 一方、光の子の人たちは、争いを好みませんでした。自然を愛し、美しい音楽を奏で、神の教えを守る。そういう暮らしをしていたのです。


 このアトランティスという国は、今よりも文明がずっと進んでいました。空を飛ぶ乗り物。海を渡る大きな船。地上を走る乗り物。大きな建物。遠く離れている人間同士が言葉を交わせる通信手段。このローマよりも遥かに進んだ文明が、そこにはあったのです。


 アティアはこの時代、ローゼストという女性でした。

 ローゼストは、『光の子』側の人間で、幼い子どもたちの面倒を見ていたのです。


 実はこの頃、アトランティスでは幼い子どもたちが誘拐されていました。

 ベリアルの息子たちが、永遠の若さを求めて、幼い子どもたちの松果体を求めたからです。


 松果体というのは、人間の脳の中心にあります。小指程度の大きさで、松ぼっくりに似た形のもので、これを食べると永遠の若さを得られると信じていたのです。恐ろしいことですが、誘拐された子どもたちは虐待され、殺され、その松果体を食べられました。


 ローゼストは、『ベリアルの息子』たちから子どもを守っていました。10名の大人を含め50名ほどの人数で、森の中に隠れるように住んでいたのです。


 そこは、政府容認の施設でした。15歳を過ぎるまで、両親を失った子どもたちのお世話していたのです。


 その日は、素晴らしく天気の良い日でした。

 子どもたちは、森の中で木ぶとうを摘みを楽しみました。木ぶとうを潰して、みんなでジュース作りをしていた時です。


 『ベリアルの息子』たちが、子ども狩りにやって来たのです。突然の襲撃でした。この森の外側には強力な要塞があり、そこを抜けて子ども狩りが入ってくるなどあり得ません。


 政府の中に、密通者がいたのです。

 食料を運ぶ業者を装い、ベリアルの息子たちは侵入して来ました。



 ここで僕の語りは少し中断して、ローゼストの身に起こったことを映像として貴方に送りましょう。


    ♢         ♢


 おばばの脳内に、映像が浮かび始めた。


 黒髪の若い女性が、子どもたちのジュース作りを見守っている。姿形は違うが、どことなくアティアに似ている気がした。


 そこへ、大きな荷馬車がやって来る。施設に必要な食材を運ぶ荷馬車だ。

 『光の子』側の人々は、自然と共生するために有害物質を出す文明的な乗り物は排除していた。それが功を奏して、『ベリアルの子』の人々は時代遅れのダサい馬車を嫌い乗ることはなかった。今では、馬車を扱える人もいなかった。


 荷馬車が止ると、御者が「ごめんなさい! ごめんなさい!!」と悲痛な声をあげて泣き出した。

 どうしたのだろうと訝しく思っていると、荷馬車から武装した男たちが飛び出して来た。


 大きな奇声をあげ、こん棒とナイフを振り回す。そして、子どもを掴まえてこん棒で殴ったり、ナイフで切りつけ始めた。

 驚いて逃げ回る子どもたち。容赦なく追いかける男たち。


 突然の襲撃に、ローゼストは茫然とした。目の前で繰り広げられている惨劇に、頭が追いつかなかったのだ。


 立ちすくんでいたローゼストは、両目を先の尖った何かで刺された。激痛が、ローゼストの全身を駆け巡る。


 痛い! 痛い! 痛い‼

 見えない! 何も見えない!

 激痛。暗闇。そして耳をつんざく、子どもたちの叫び声。


 助けなきゃ! 子どもたちを、助けなきゃ!


 激痛が、ローゼストの思考を正常に戻した。ローゼストは、立ち上がる。

「カイト! アイル! シュー! ナギ……!」

 子どもたちの名前を呼んだ。


 不意に、誰かがローゼストの手を掴んだ。

「ローゼストお姉ちゃん、怖い! 怖いよぉぉぉぉ」

「その声はカイト? カイトなのね?」

 ローゼストは、カイトを抱きしめた。


「おい、女! そいつをよこせ! そうすれば、命だけは助けてやる!」

「嫌です!」

  

 ローゼストはカイトをお腹に隠すようにして、地べたに伏せた。

 背中を亀の甲羅のようにして、カイトを庇ったのだ。

 男がローゼストの背中に向けて、こん棒を振り下ろす。


 強烈な痛みが、全身を貫く。


「女ぁ~~~。子どもをよこせ!」

 ローゼストは痛みに耐えながら、カイトを庇い続けた。


「政府軍が来るぞ。早く、逃げろ!」

 遠くなる意識の中で、そう叫ぶ声が聞こえた。

 男は「くそっ!」っと、こん棒を放り投げるとローゼストの側から去って行く。


 助かった……

 ローゼストは、そのまま意識を失った。

 

 亡くなった子どもたちの魂を回収に来ていたオルクスは、この様子をじっと眺めていた。しばらくすると、オルクスはローゼストに声をかけた。


「おい」

「……」

「おい、起きろ。意識は戻ったんだろ?」

「……」

 目の見えないローゼストは、恐怖に体を固くした。


「あいつらはもういない。顔をあげろ」

 そう言われても、ローゼストは顔を上げることができない。目で、周りの安全を確認することができないからだ。


「ローゼストお姉ちゃん。もう、大丈夫だよ」

 カイトは、ローゼストの体の隙間から周りを見ていた。

 その言葉を聞いて、ローゼストは安心しようやく顔を上げることができた。

 両目から流れる血で、顔は真っ赤に染まっていた。


「人間は残酷だな」

 オルクスはそう呟いて、血を拭った。

「少し、我慢しろ」

 そう言うと、ローゼストの右目を取り出した。

「くっ!」

 激痛が走る。

 オルクスは、自らの右目を取り出し、ローゼストの空洞になった目にはめ込んだ。


「傷ついた左目は見えないままだが、右目は使えるぞ。開けてみろ」

 ローゼストは立ち上がり、恐る恐る目を開いた。


 体中から血を流した大人たちが横たわり、呻いている。

 頭蓋骨が割られ、脳を取り出された子どもの死体も転がっていた。多くの子どもを死体ごと運ぶより、脳だけを運んだ方が楽だと考えたようだ。

 そこはまるで、悪魔に魅入られた世界。


「いやぁ~~~~~~~~!!」

 ローゼストが悲鳴をあげた。


 はぁ、はぁ、はぁ。

 呼吸が荒い。脈が乱れる。腕が、足が、ガクガクと震える。


「ねぇ、どうして、私の目は見えるようになってしまったの? こんな世界を見るくらいなら、私は見えないままで良かったのに!!」

 ローゼストは、両手で顔を覆い叫んだ。


「見えないままで、その子を助けられるか?」

「えっ?」


 カイトが、ローゼストの足元で、体を丸め声を殺して泣いていた。

 幼いカイトは、惨劇の全てを見ていたのだ。


「あぁ。そうだった。ごめんね、カイト。私より、カイトの方が辛かったよね。怖かったよね。苦しかったよね。ごめんね。これからは、お姉ちゃんが守るから。ずっと、ずっと守るから」

 そう言って、ローゼストはカイトをぎゅっと抱きしめた。 

 

 政府軍が駆け付けたとき、生き残っていたのは数名の大人と、子どもはカイト一人だけだった。


 ここで映像は切れ、アポロが続きを語る。


   ♢       ♢

     

 ローゼストはこの後、オルクスの助けを借りながら、多くの子どもの命を守り続けました。カイトはまるでローゼストの騎士のように、ずっと側にいたそうです。


 三十代半ば、ローゼストは重い病にかかりました。これがローゼストの寿命でした。ローゼストは亡くなる寸前、オルクスにこう言ったのです。


「あなたから頂いた紅い瞳、死んだら返さなくてはいけないの?」

「どうして、そんなことを聞く?」

「返したくないの……」

「なぜ?」


「生まれ変わっても、あなたと繋がっていたいの。ずっと、ずっと――」

「しかし、その紅い瞳を持つと厄介なことになると思うが……」

「かまわない。また、あなたに会えるなら」

「……わかった。君の好きにすればいい」

「ありがとう、オルクス」


 オルクスは、ローゼストが死んだ後、紅い瞳を回収しませんでした。

 ローゼストとの約束を守ったのです。

 それがどういうことか、あなたならわかるでしょう?


 ローゼストはオルクスの瞳を抱いたまま、その後、何度も何度も転生します。


 あの紅い瞳は、オルクスとローゼストの愛の証。

 我々は、『神愛しんあいの刻印』と呼んでいます。 



      


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