アティアの決意

 ゴーディーが帰ると、ばば様の前にウェヌスが現れた。


「やれやれ、今晩は客人が多いのぅ」

「だってぇ、おばばったら私の味方をしてくれるんだもん。びっくりしちゃって」


「ウェヌス様の味方をしたつもりはござらんが……」

「えっ? 私の申し出を断る理由なんかないって、彼に言ってたじゃない!」


「あぁ、それか。別に味方をして言ったわけではない。わしがそう感じたから、話しただけじゃ」

「——おばばの考えることって、難しくてわかんな~い」


「ところで、ゴーディーが申し出を断ったら、どうするつもりじゃ」

「もちろん……殺すわ」


「殺す? アモルの『黄金の矢』を使わぬのか?」

「『黄金の矢』を使って、愛してると言わせて何が面白いの?」


「お主は、それを人間に使っているではないか」

「人間が、そう祈るからよ。『あの方が、私を愛してくれますように』って。私は、自分のために矢を使ったことは一度もないわ。そんな物を使わなくても、みんな私を愛してくれた。でも、もし彼が断わったら……そうね、殺す。私の神としてのプライドが許さないから。じゃあ、おやすみ、おばば」

 ウェヌスは恐ろしい言葉を残して消えた。


 一人になったばば様は、蝋燭を持ち神殿へ駆け込んだ。

「アポロよ! 姿を現し、わしに神託を授けてはくれぬか?」


 蝋燭の炎が激しく揺らめき、光が満ち溢れる。

 ウェーブのかかった金色の髪。オリーブの冠。竪琴を抱えた美しい神が姿を現した。聖獣の狼を従えている。

 アポロは、優雅な仕草で、ばば様の額に優しく口づけをする。


「我が地上の花嫁よ、お久しぶりですね」

「あぁ。最近は若いシヴュラたちに神託を任せっきりじゃったからのう」


「僕の愛しい人。今宵も貴方は美しい……」

「そんな見え透いた世辞はいらん。ウェヌスとゴーディーは、この先どうなるか教えて欲しい」


「さぁ、神の恋ですからねぇ。僕の目に映るのは数多の未来。どこに行きつくのか見当もつきません」

「そうか。では、神が、人の命を奪うことはあるのか?」

「許されているわけではありませんが、命を奪う神は多数存在します」

「そうじゃったのう……」


「オルクスからしてみると、ゴーディーにはウェヌスと共に神界に行ってもらいたいかもしれませんね」

「なぜじゃ?」


「オルクスの地上の花嫁候補は、アティアだけですから。ゴーディーがいなくなれば、確実にアティアを花嫁として迎えることができますからね」

「なんとっ! オルクスの花嫁候補は、アティア一人とな? アポロは、このキメリアだけでも、わしの他に七人も花嫁がいるというに…… それこそ、花嫁候補を入れたら……」


「まるで、僕が女ったらしみたいに言わないで下さい。僕は、神託の神ですからね。多くのシビュラと契りを交わさねばならぬのです。僕が一番愛しているのは、貴方お一人です……」

「おぉ、わかった、わかった」

 ばば様は、しっしっというように、右手をひらひらさせている。


「それでは、久しぶりに貴方のために愛の歌を――」

 アポロは、竪琴を弾き愛の歌を奏でる。最後に優しくばば様に口づけをして、消えた。


「やれやれ。我が旦那様はちっとも変っとらん。若い頃は、わしも胸がときめいたものじゃが、この年で愛の歌を歌われてものう。神とはいえ、女心を全然分かっておらん。それにしても、オルクスの花嫁候補がアティア一人とは……」

 ぶつぶつ呟きながら、ばば様は屋敷へと戻った。


   ♢   ♢


 アティアは眠れぬ夜を過ごしていた。

 15歳の誕生日を迎えるまでに、自分の道を決めるようにとばば様に言われている。

 

 シヴュラとして生きるなら、一生未婚のまま、シヴュラの館で暮らし、その身を神に捧げなければならない。アティアの場合は、もちろんオルクスだ。


 ウェヌスが現れるまでは、そうして生きるつもりだった。

 ゴーディーと離れて暮らすことを考えると、少し寂しい気もしたが、それは家族と離れて暮らす寂しさなのだと思っていた。


 でも、今ならわかる。ゴーディーは、私の家族じゃない。私の兄じゃない。

 そんな私のために、ゴーディーが何かを犠牲にすることがあってはいけないんだ。


 心の中に渦巻く悲しみ、戸惑い、寂しさ、切なさ、苦しさ、痛さ。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、泣きたくなる。アティアは自分に気合いを入れた。


 うじうじするな! 悩むな! 考えるな! 私は、私の道を行こう!

 

 アティアは、心を落ち着かせようと外へ出た。

 夜の空気を、思いっきり吸い込む。そして、ゆっくりと吐き出す。少しだけ、心のもやもやが晴れていく。


 弱い月の光を身に受けるように、両手を広げた。月の柔らかな光を身に纏うように。それから、ゆっくりと手を合わせ月に祈る。


 その姿を偶然目にしたゴーディーは、息を飲み込んだ。

「綺麗だ――」

 思わず呟いた自分の言葉に驚く。そして、戸惑った。

(アティアは、俺の妹だぞ)


 そう自分に言い聞かせながら、月に祈るアティアに心を奪われ、しばらくその場に立ちすくんでいた。



   ♢     ♢


 翌朝、二人はなんだかぎこちなかった。

 お互い、目を合わせることが出来ない。言葉も上手くかわせない。

 ギクシャクした空気の中で、アティアが静かに話し始めた。


「ゴーディー。私、ここを出てシヴュラの館に入るわ。本当は、もっと早くそうするべきだったのに自由な生活が楽しくて、本格的な修行を先延ばしにしてしまったわ」


 突然の話に、ゴーディーは言葉に詰まった。

 いづれ、アティアはここを出て行く。それは、覚悟をしていた。なのに、言葉がでない。昨日の夜見たアティアの姿が、脳裏によみがえり思わずかぶりを振った。


「そうか。少し寂しい気もするが、修行頑張れよ」

 ゴーディーは、動揺を隠し明るく返した。


「今まで、私を守ってくれてありがとう。でも、もう私は大丈夫だから、ゴーディーはお嫁さんを迎えて、新しい家庭を築いてね」

「……それは、まだまだ先の話だな。これから、相手を見つけなきゃいけないから」


 ウェヌス様は?

 そう聞いてみたい言葉を、アティアは吞み込んだ。


 もし今、目の前でウェヌスと結婚すると宣言されたら、きっと泣いてしまうだろう。ここで、泣くわけにはいかない。笑顔で、ゴーディーの元から離れると決めたんだから。


「ゴーディー、今日もウェヌス様と?」

「あぁ。今日は、ミティーの花を摘みに行きたいそうだ」

「ミティーを?」

「うん」


 アティアの顔が曇った。ミティーは崖の途中に咲く花だ。その花を摘むのは命懸けである。崖の上の大木にロープを繋ぎ、小さな足場を降りて行くのだが、気を付けなければ川へと真っ逆さまだ。


 ミティーは美肌効果の高い薬草として、高値で取引されている。以前は、何人もの屈強な男たちが危険をおかして花を摘みに崖を下った。しかし、多くの男たちが川へと転落し、命を落とす。

 このキメリアでは、「死を呼ぶ花」と言われていたが、不思議なことにシヴュラだけは花を摘むことができた。


 ウェヌス様は、なぜそんな花を摘みに……?


「まさか、ゴーディーが花を摘むなんてことはないわよね?」

「ウェヌス様に崖下りはさせられないから、俺が行くことになると思う。女神様が一緒なんだから、世間で言われているような命の危険はないだろう」


 アティアは、じっとゴーディーの瞳を見つめた。右目が疼き、未来を読もうとするのだが、霧がかかったように何も見えない。冷たい汗が、背中を伝う。 

 







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