絡まる恋

「ゴーディー、あなたも汗をかいたでしょう」

 ウェヌスが、ゴーディーを水浴びに手招きする。


 しかし、ゴーディーはウェヌスに背を向けた。

「はっ、早く泉から上がって、服を着て下さい!」

 そう叫ぶ声は、上ずっている。


 クスリと、ウェヌスは笑みを漏らす。恋の経験のないゴーディーをからかって、楽しんでいるようだった。


「そお? じゃ、服を着させて」

「ごっ、ご自分で着て下さい」

 

「まぁ、私の誘いを断るなんて……」

 ゴーディーは、耳まで真っ赤になっている。


「ねぇ、耳が赤くなってるわ。恥ずかしがらずに、私を見て」

 

 ウェヌスは、ときおり目線をアティアに送り、この状況を楽しんでいた。

 アティアは、ぎゅっと目を瞑り、耳を塞ぐ。

 

 もう、これ以上何も見ない。何も聞かない。

 声をあげて泣き出したい気持ちを抑えて、ずっとしゃがみ込んでいた。

 どの位の時間をそうしていたのだろう。気が付けば、陽が傾きかけている。


「帰らなきゃ……」

 立ち上がろうとするが、足に力が入らない。


「大丈夫か?」

 頭の上で、オルクスの声が聞こえた。


「オルクス……。 私、どうしちゃったんだろう? 胸が押しつぶされるように苦しい」

「恋とは、そういうものだ」

「恋……?」 


 アティアは驚いて、オルクスを見た。

「ゴーディーは、私にとって大切な人だけれど、それは、兄のような存在で……」


「兄? そう思い込んでいただけだ。身近にありすぎると、恋なのか、身内に対する愛情なのか分からなくなる。しかし、今ならはっきりと分かるんじゃないのか? その胸の痛みは恋なのだと――」


 そう、アティアは気づかないようにしていた。

 ゴーディーが自分の側にいてくれるのは、父と約束をしたから。それを頑なに守っているに過ぎない。そして、妹のように大切にしてくれている。

 私は、多分、妹以上の存在にはなれない。きっと、なれない…… 

 だから妹として、ゴーディーの側にいよう。


 そうやって、自分の想いに蓋をして閉じ込めた。

 ゴーディーが誰かを好きになって結婚するときも、妹として祝福できる。

 そう思っていたのに……


 二人の姿を思い出すたびに、心が悲鳴を上げていた。

 森からどうやって帰ったのか記憶にない。ゴーディーと暮らす小さな家には、明りが灯っていた。


「ただいまー」

 いつものように明るく声を出したつもりなのに、どこかぎこちない。

 どうか、ゴーディーに気づかれませんようにと願った。


「お帰り。少し遅かったから、心配したぞ」

「ごめんなさい。ちょっと、相談を受けていて……」


「そうか。最近、ウェヌス様の護衛ばかりで、アティアのことを見てやれなくてごめんな」

「大丈夫よ。もう、子どもじゃないんだし…… ゴーディーは毎日、綺麗なウェヌス様と一緒で良かったね」


「そんなことは……ない」

 そう言いながら、ゴーディーの顔が赤く染まる。昼間の出来事を、思い出してしまったのだ。


 そんなゴーディーに背を向け

「今日はちょっと疲れたから、もう休むね」

と、右手を肩の上で振り、足早にゴーディーから逃ようとする。


「えっ? 夕飯は?」

「いらない」

 背を向けたまま答えるアティアの腕を、ゴーディーが引っ張った。そして、おでこに手を乗せる。


「熱は、なさそうだな」

 そう言って、心配そうにアティアを見つめる。


 パシッ!


 アティアは思わず、その手を振り払った。驚くゴーディー。


「あっ、ごめんなさい。本当に疲れているの。もう、寝るね……」


 ゴーディーに背を向け、部屋へと走る。

 これ以上顔を見ていたら泣き出してしまうかもしれない。それだけは、絶対に避けたかった。


 どうしたんだろ? 俺がウェヌス様にばかり構っているから、怒っているのかな?


 見当違いな思い込みをするゴーディーであったが、こちらの心も落ち着かなかった。

「ゴーディー、私の伴侶として神界に来なさい」

と、ウェヌスに言われたのだ。


 どうやってそれを断ればいいのか、ゴーディーはとんと分からない。

 かといって、アティアにも相談しにくい。


 あぁ~、どうすればいいんだ? ばば様に相談するか


 頭を抱えながら、ゴーディーはばば様の屋敷へと急いだ。

 陽はすっかり落ちて、空は厚い雲に覆われている。


 こんな時間に迷惑だろうなぁ


 戸を叩くことを一瞬躊躇う。コンコンと遠慮がちに、静かに戸を叩いた。


「ばば様、ゴーディーです。遅い時間に申し訳ありませんが、ご相談があります」

 扉が開く。


「こんな時間に訊ねてくるとは、珍しいのう。一人か?」

「はい」

「中に入りなさい」 



 二人は、向かい合って椅子に座っていた。小さなテーブルには、水で薄められたワインが用意されている。


「して、相談とは?」

「はい。それが……あのぅ」

 もじもじ、そわそわして落ち着かないゴーディーに、ばば様は喝を入れる。


「はっきり言わんと、わしは寝る!」

「待ってください! あの、神様からの申し出を断ることはできるのでしょうか?」


「ウェヌス様に、何かいわれたか?」

「いやぁ。そのぅ……」

 今度は口ごもってしまうゴーディー。


「ええい! じれったい奴じゃのう。はっきりせんかい!!」

「はっ、伴侶として、神界に来るようにと言われました!」


「それで、お前さんはそれを断りたいと? 断る理由は、なんじゃ?」

「アティアを守ると、セネカ様と約束しました。それを破るわけにはいきません!!」


「キメリアの地において、ユリウス亡き今、お主は何からアティアを守るのじゃ?」

「————⁈」


 ゴーディーは、ハッとした。

 何から、アティアを守る?

 考えたことなど、なかった。

 アティアの側にいることが当たり前で、自分は一生アティアを守ると決めていた。


「たっ、確かに今は、穏やかで平和な毎日ですが、これから先もずっと続くとは限りません」

「来るか来ないか分からぬ厄災からアティアを守るというなら、そんな心配はいらん。キメリアは結界で守られておるし、アティアにはオルクスがいる。それに、ウェヌス様なら、お前の代わりの護衛をアティアに与えるじゃろう。お主が、ウェヌス様の申し出を断る理由はないのじゃよ」


「そんな……」

「お主は、ウェヌス様がお嫌いか?」

「とんでもございません! 美しく魅力的な方でございます!」

「では、ますます断る理由はござらんなぁ」

「いや、しかし」

「ウェヌス様の申し出を断るならば、ウェヌス様が納得する理由を見つけることじゃ。今日はもう、帰りなさい」


 ゴーディーは、力なく歩いていた。


 ウェヌス様の申し出を断る理由はない?

 でも俺は、アティアをずっとずっと守ると決めていたんだ。

 神界に行ってしまったら、アティアを守れないじゃないか……


 雲の切れ間から、細い三日月が顔を出す。

 仄かな月の光が、ゴーディーの足元を照らしていた。




 

 

  

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