新しい生活
ティトゥス皇帝の宮殿に身を潜めていたフラゥイアの元に、アティアとゴーディーが悲しい知らせを持ってやって来た。
セネカの死を伝えると、フラウィアは取り乱すこともなく、目を瞑り無言のまま両手を胸に置いた。おそらく覚悟をしていたのだろう。
「アティア、あなたが無事で良かった」
フラウィアはそう言うと、アティアをぎゅっと抱きしめた。
フラウィアに、優しかった母の面影が重なる。アティアは堰を切ったように泣き始めた。
「ごめんなさい…… ごめんなさい。私のせいで、お父様は亡くなったの。私のせいで……」
アティアの涙を指で拭いながら、フラウィアが声をかける。
「あなたのせいじゃないわ。あなたが、そんな顔をしていたら、亡くなったお父様とお母様が悲しむわよ」
「でも……ヒック、でも……」
自分を責めて、涙が止まらない。
「それに……私が、一人で逃げてしまったから……お姉さまも酷い目に……」
「それは違うわ。私が、ユリウスの家柄や見せかけの優しさに騙されただけ…… あなたのせいじゃない。それに、あの頃の私は、あなたに何か言われても信じなかったと思う。自分を責めないで」
そう言って、さらに強く、強く、アティアを抱きしめた。
「アティア、私ね、絶望のどん底にいたとき、あなたの笑顔を思い出したの。あなたなら、泣いてばかりいないで、前を向いて突き進むだろうって。そう思ったらね、勇気が沸いてきて、凄いことができたの!」
「すっ、凄いことって?」
「それは、秘密」
「えー、教えて!」
「う~ん、どうしようかなぁ?」
「教えて、教えて!」
フラウィアの言葉で、アティアが元気になっていく。
ゴーディーは驚いた。
フラウィアの身に何があったのかわからないが、亡くなった奥様に似ていると思った。誰よりも愛情深く、優しかった奥様に――
フラウィアは言った。
「私ね、父の跡を継ごうと思うの。セネカ家には、優秀な使用人がいっぱいいるでしょう。彼らから仕事聞いて、覚えようと思う。お世話になった使用人の生活を守るために、できることをするつもりなんだけど、アティア、どう思う?」
アティアの瞳が輝く。
「うん、とってもいいと思う。お姉さまなら、大丈夫。女性の好きな絹や宝飾の仕入れ、それから香油の仕入れなんかも合っているんじゃないかな」
「そうでしょう。美に関することは、私の得意とするところよ。アティアの太鼓判も貰ったことだし、仕事を頑張って、素敵な殿方も見つけなきゃ。ところで、アティアはどうするの? 私と一緒にローマで暮してくれたら嬉しいけれど……」
「私は、キメリアで暮らすわ。向こうの暮らしが合っているから」
「そう。ゴーディーも一緒に?」
「もちろん。ねっ、ゴーディー」
「フラウィア様。私は、生涯アティア様の使用人として仕えて参りたいと思っております」
ゴーディーは、そう言うとフラウィアに跪いた。
「ゴーディー、奴隷使用人のように
ゴーディーは、目をしばたたいた。
自分が自由の身になったことを忘れていたのだ。
「ゴー……ディー? 私とキメリアに行くのは嫌?」
不安そうな瞳で、アティアがゴーディーの様子を伺う。
「いいや。キメリアで暮らした一年間は楽しかった。俺の性に合っているんだと思う。キメリアに行くよ」
「良かったぁ~」
アティアは、ホッと胸を撫でおろした。
ゴーディーの胸の中には、セネカ様との約束がある。
「命ある限り、アティアを守れ!」
自由となった今も、これだけは守っていきたい。
それが、俺の生きる道なのだとゴーディーは思った。
アティアとゴーディーはセネカの葬儀が終わると、キメリアに戻った。
アティアは、オリーブとブドウ栽培の手伝いをしながら、シヴュラとしての修行をしていた。病を治す薬草の勉強、香油を使ったマッサージ、お守り作り、神の神託。それが、キメリアに住むシヴュラたちの仕事であった。
ユリウスの対決時に全く姿を現さなかったオルクスは、しばらくアティアに無視をされていた。
「神を無視するな!」
と、オルクスは怒りを露わにしていたが、気の強いアティアには全く通じない。
これほど仲の悪いシヴュラと神を見たことがないと、ばば様は頭を抱えていた。
手先の器用なゴーディーは、何かが壊れると、よく村人に声をかけられた。他にも、子どもたちに勉強を教えたり、剣術を教えたりしている。
いつの間にか、子どもたちから「先生」と呼ばれるようになっていた。
キメリアでの生活は、煌びやかだったポンペイでの生活と一変したが、二人は穏やかに暮らす幸せをかみしめていた。
♢ ♢
アティアとゴーディーが、キメリアで暮して三年が過ぎた。
二人は、昔セネカにお世話になったという商人が用意してくれた屋敷に住んでいた。普段使うことのない別荘だから、好きに使ってくれという。
セネカの人望のおかげで、アティアとゴーディーはいろんな人に助けられている。
その日アティアは、ばば様と薬草を摘んでいた。二人の耳に、キメリアでは聞きなれない馬車の音が聞こえて来る。
アティアは、首を伸ばしその様子を眺めた。
「ばば様、今日はお客様が来るという神託はありましたか?」
「いいや」
「でも、あの馬車は神殿の方向に向かっている気がするのですが……」
「ふむ。アポロ様からの神託もなかったし、他のシビュラたちも何も言ってはいなかったがのう。仕方がない、神殿に戻るとするか」
ちょうどその時、ゴーディーが馬で現れた。
「今、馬車とすれ違いましたよ。とても美しい方が乗っておりました。ばば様、ここにいて宜しいんですか?」
「いやいや、今、神殿に行くところじゃった。すまぬが、馬に乗せて連れて行ってもらえぬか?」
「お安い御用ですよ」
「ばば様、私も後で神殿に伺いますね。じゃ、ゴーディー、ばば様を宜しく!」
こうして、二人は神殿へ向かった。
「オルクス、いる?」
「……」
気配はするが、返事がない。またか……。
正直、このやり取りにうんざりなんですけど!
そう思いながら、丁寧なあいさつをするアティア。
「オルクス様、ご機嫌麗しゅう。お側にいらっしゃいますか?」
「——あぁ」
ホント、めんどくさい神だわ。
そう思ったが、アティアは言葉にしなかった。
「どうして、今日お客様が来るって教えてくれなかったのですか?」
「あの馬車に乗った客人のことか?」
「そうよ! じゃない、そうです」
「人じゃないからなぁ。俺には、介入できん」
「人じゃないって…… どういうこと?」
「これ以上は言えぬ」
困った顔でそう答えると、オルクスは消えた。
「もう! いつも肝心なことを教えてくれないんだから!!」
アティアの怒号は、空へ吸収されて虚しく終わった。
それにしても、人じゃないってどういうことだろう?
嫌な予感がする。神殿へ急がなきゃ。
アティアは、神殿へ向かって走り始めた。
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