幽閉

 ローマに到着したユリウスは、自宅の塔にアティアを幽閉した。

 冷たい床の上に転がされるアティア。ランプの灯りが、暗い部屋を微かに照らす。

 それは、泣きたくなるほど小さな灯りだった。


 薄闇の中で、自分を見下ろしているユリウスの顔だけがハッキリと見える。獲物を捕らえた獣のように、舌なめずりをしながら近づいてくる。


「&%$##”#$%%&%$#」 (嫌だ! 嫌だ! こっちに来るな!!)

 猿ぐつわのせいで、言葉にならない。


 「可哀そうに。今、その猿ぐつわを外してあげるよ」

 甘ったるい声。おぞましくて吐き気がする。


 猿ぐつわを外すと、右手の人差し指で、アティアの顎を上にあげる。自分の目線とアティアの目線を絡めるように。

「アティア、君をこんな所に閉じ込めるのは、とても辛いよ。でも君は、こうしないと逃げちゃうよね? フラウィアみたいにさ――」


「——? フラウィアが……に、げた?」

「あぁ、そうか。君は、私がフラウィアと結婚したことを知らなかったんだね」

「結婚⁈」

 アティアは驚いた。


「そうさ。君が盗賊に襲われて亡くなったっていうから、私はフラウィアと結婚したんだよ。仕方なくね……」


 なんてこと! 私のせいだ! 私が逃げたから、フラウィアが犠牲になってしまったのだ……。


 アティアは後悔した。自分の考えの甘さに腹が立った。この男にはもっと用心しなくてはいけなかったのだ。だが、もう遅い。


「高慢ちきな女でさ、ホント好きになれなかったね。それなのに――」

「逃げられたのね?」

「あぁ。思い返すだけで、腹が立つ!」

 ユリウスは腰に下げていた鞭を取り出し、床をピシャリと打った。


「だが、お前は逃がさない。シヴュラの力を持つお前でも、ここからは逃げられない」

「私をどうするつもりなの?」


「ふっ、他国に高く売ってもいいんだが、その力を誰にも渡したくないからね。君は私と結婚することになるだろう」

 狡猾な笑みを浮かべている。嫌な感じだ。


「私は、あなたと結婚するくらいなら死を選ぶわ!」

 ピシッ!

 ユリウスの鞭が、アティアの手を叩く。

「……っ」


「そう言うと思っていたさ。お前は、最初から私を毛嫌いしていたからな!」

「そんなことは……」

「わかるんだよっ! お前の目は、あの女と同じだ!!」

 怒りに任せて叫ぶユリウス。


「あの女?」

「そうだ……私がこの世で一番嫌いな女。——母だ。お前の目は、あの女によく似ている!」


 そう言うと、アティアの瞳を覗き込んだ。歯をギリギリ鳴らし、落ち着きなく鞭を動かす。その瞳の奥に宿るのは、大きな怒りと強い殺意と…… 


「私を、どうしたいの?」

「…………」


 アティアの問いに答えることなくユリウスは棒立ちになった。遠くを見るような表情をして、ふぃっと出て行く。

 いつもアティアの前で、薄っぺらい笑みを浮かべ嘘を重ねていた男が、初めて激しい感情を表した。激しい怒りの奥に、なぜか絶望と悲しみが渦巻いて見える。


 ユリウスと母親の間に、一体何があったというのだろう?

 アティアの中に小さな好奇心が芽生えたが、今はそれを考えるのはやめようと頭をフルフルと振るった。そして、オルクスの名前を呼ぶ。


「オルクス! ねぇ、オルクス、返事をして‼」

「…………」


「こんなときに、拗ねて返事をしないなんて薄情なことはしないでよ!」

「…………」


「はいはい、神を敬い丁寧に呼ばせて頂きます。オルクス様、お願いです。返事をして頂けないでしょうか?」

「…………」


 どんなに呼んでも返事がない。こんなことは初めてだ。


「もう、肝心なときに現れないって、どういうこと! オルクスのバカ‼」


 文句を言っても無駄だと諦め、アティアはこれから自分がどうするべきか考えた。

 まず、この一年間でユリウスとフラゥイアに何があったかを推測する。


 ユリウスは、フラウィアが逃げたと言って腹を立てた。つまり、フラウィアは無事だ。おそらく、父も無事でいるに違いない。


 それから、フラウィアも父もユリウスの本当の姿に気づいている。でも、私が生きていることは? 私がユリウスに狙われていることは? 二人は、知っているのか知らないのか…… 


 駄目だ…… 情報が少なすぎる。


 ふいに、オルクスの気配がした。でも、いつものように姿を捉えることができない。


「オルクス? いるの?」

「もう……ぐ、く……」

「何を言っているの? 聞き取れないわ」


 アティアは焦った。

 おかしい。何かが変だ


「アエラの……」

「アエラ?」

「力が……つよ……じゃま」

「じゃま……?」


 ザァーザァー

 ザァーザァー


 雨音のような雑音が入って、聞き取れない。

 もし、何かの力に邪魔されていて、オルクスの力が及ばないとしたら、私は、自分の力だけでなんとかしなければならない。


 逃げ道は?

 窓は小さすぎるし、だいいち私の背じゃ届かない。

 唯一ある扉からも逃げられない。

 そしてこの部屋には、何もない。


 無理だ。どんなに考えても、ここからは逃げられない。

 ゴーディーが助けに来てくれるのを待つ?

 待っているだけで、いいのだろうか……?


 逃げ出す方法を見いだせないまま、朝を迎えた。

 

 ユリウスが扉を開ける。あの忌まわしい狡猾な笑みを浮かべて。

「ここで、一晩過ごすのは心細かったよね? 今から、婚約者として私の屋敷に来るかい?」

「いいえ! 今夜もここで結構です!!」


 アティアは、ユリウスを睨んだ。

「そう言うと思ったよ。我儘な君に、私からのプレゼントだ。いや、お仕置きかな?」

 ユリウスはにやりと笑って、血の滴る袋をアティアの顔の前に差し出した。


「ひっ!」

 思わず後ろに後ずさる。アティアの顔が歪む。全身の毛が総毛立った。

 その様子をユリウスは楽しんでいた。舌舐めずりをしながら、ゆっくりと袋を開け中の物を取り出す。

 それは、黒人の成人男性の頭だった。


「いやぁ――――――――――――!!!」


アティアは気を失いかけた。心が恐怖の中に崩れ落ちていく。


「よく見た方がいいよ。これ、君の屋敷に仕えていた奴隷。君が私と結婚するというまで、こうやって誰かが殺されるから……」


「なんてことを…… この人は人間じゃない……」

 自分が殺されるよりもっと恐ろしいことが、この男によって繰り広げられる。この恐怖から逃げる術はないのだ。

 そう悟った瞬間、アティアは意識を失った。



 




  

 

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