三つの扉

 一つ目の扉


 瞑想するばば様の目の前に、アカンサスの葉が施された重厚な扉が現れた。

 ばば様は、ゆっくりとその扉を開ける。


 眩い光の中に、笑顔のアティアとユリウスが肩を寄せ合い立っている。

 アティアは豪華なストラを身に纏い、エメラルドがはめ込まれた金の首飾り、真珠のピアス、カメオの指輪を身につけていた。アティアのその姿は、金持ちの鼻持ちならない女のようにも感じられる。


「お久しぶりです」

 ユリウスがばば様に声をかけた。

 ばば様は、ふんっと鼻を鳴らし(気に食わぬ顔じゃ)と心の中で毒づきながら、笑みを浮かべる。


「おお、ユリウス殿。随分と、立派になられたようじゃのう」

「えぇ、愛する妻アティアのお陰でございますよ」


「妻とな?」

 怪訝な顔で、アティアを見つめる。


「ばば様、お元気でしたか? 私は、幸せに暮らしておりますわ。愛するユリウス様のために、ローマの国民のため、シヴュラとしての力を使わせて頂いておりますの」

「ほぉ――」


 どうやらアティアは、シヴュラとして政治に介入し、軍隊を動かし、先読みの力でローマ軍を勝利に導いているようだった。ローマ帝国はさらに強国となり、アティアを妻に迎えたユリウスは、次期皇帝になろうとしている。

 

 富と権力と名声を手に入れたユリウス。

 もうすぐ、世界はユリウスを中心に回ると言っても過言ではない。


 気に食わぬ顔のユリウスの隣で微笑むアティアに、ばば様が質問した。

「アティア、ゴーディーはどうしている?」

「……ゴーディー?」

 アティアは眉根を寄せて、記憶を辿ろうとしていた。

「えっと、どなたでしたか?」

「あんなつまらぬ男のことなど、忘れてしまって当然のことよ」

 ユリウスが鼻を鳴らして毒づく。どうやらアティアは、ゴーディーのことを忘れてしまったようだ。


「……そうか、まぁよい。アティアが幸せで良かった。わしは、このまま帰るとしよう」

 

 ばば様は、二人に別れを告げて外へ出た。

 その扉に、しっかりと鍵をかける。



♢        ♢



 二つ目の扉


 今度は、古くて陰気な扉が現れた。

 ばば様が扉を開けると、中は薄暗くカビの臭いが鼻を突く。

 暗がりの中で目を凝らすと、やせ細り泣いているアティアの姿が見えてきた。


(ここは、地下牢か?)

 ばば様は、ゆっくりとアティアに近づいた。


 うつろな目。乾いた唇。アティアは正気を失いつつあるようだ。

「アティア! どうしたのじゃ、アティア!」

 声をかけたが、全く反応がない。


 仕方なくばば様は、時間を更に早送りすることにした。

 風景がぐにゃりと揺れて、場面が変わる。


 場所は、地下牢から豪華絢爛な部屋へと移動した。

 正気を失い、ベッドに横たわるアティア。その耳元で、ユリウスが囁く。


「アティア、愛しているよ。私がずっとそばにいて、君を支えてあげよう」

「……ありがとう。ゴーディー」


 アティアは、目の前にいる人物が誰なのか分からなくなっている。

「アティア、結婚してくれるかい?」

「えぇ、ゴーディー」


「アティア! 何を言っておるのじゃ。そいつは、ゴーディーじゃないぞ!!」

 ばば様の声は、もはやアティアには届かない。

 またも風景がぐにゃりと揺れ、場面が変わった。


 美しく着飾ったアティアが、ユリウスの隣に座っている。その顔には、生気がない。まるで、人形のようだった。

 座っている場所・椅子の雰囲気から、ユリウスは元老院まで登りつめたようだ。恐らく、アティアの力を使ったのだろう。

 もちろんこの先は、皇帝の座を狙っているはずだ。


「アティア、君のおかげで、私はここまで来れた」

「ゴーディー、あなたの役に立てて、私は幸せです」


「アティア! その者は、ゴーディーではない、しっかりするんじゃ!!」

 ばば様の叫びは、アティアには届かない。


 ユリウスが勝ち誇った顔で、ばば様を見つめる。

「なんて奴だ! 心を壊して、アティアを手に入れるとは!!」


「どんな手を使っても、私は皇帝になれればいいんですよ。お人形のようなアティアは、実に使いやすい!!」


 ばば様は怒りを飲み込み、この扉を閉めた。

 だが、鍵をかけることはできなかった。




♢       ♢



 三つ目の扉 


 先ほどと同じような、古くて陰気な扉が現れた。

 扉を開けると、中は狭く薄暗い部屋だった。


「ここも、地下牢か?」

 ばば様は、そう呟いた。


 部屋の中央で、アティアが一人。激しく泣きじゃくっている。

「どうしたんじゃ、アティア! 何をそんなに泣いておる?」

 ばば様の声は届かない。


 風景が、ぐにゃりと揺れる。

 相変わらず同じ場所にアティアはいた。手の中に、何かを握りしめている。


 アティアは、部屋の小さな窓から満月をじっと見つめていた。

「うん? 窓? ここは、地下牢ではなく、塔の上なんじゃろうか?」


 手に握り締めていた石ころに、満月の光を当てるアティア。

 何をしているのだろうと様子を見ていると、誰かが階段を上って来る足音が聞こえた。

 アティアは足音のする方向、ドアをじっと見つめている。その目は、力強かった。


「アティア、お前は一体何を考えているんじゃ?」

 ばば様の胸に不安が広がる。


 扉が開かれた瞬間、アティアは握っていた石を左右にひねる。すると、石が二つに割れた。アティアは、石に入っていた何かを口に入れ、水で流し込んだ。

 体が激しく痙攣し、泡を吹いて倒れる。


 扉を開け入って来た人物は、ユリウスだった。目の前で倒れていくアティアの様子に驚き、ユリウスが叫ぶ。

「アティア! しっかりしろ、アティア!! ちくしょう、ここで死なせてたまるかぁ!!!」


 ユリウスは、アティアを抱き抱え医者の元へ急ぐ。


 ばば様は、この扉を閉めた。

 しかし、鍵はかけられなかった。



 ばば様は迷っていた。

 真実を告げる扉が、二つ目なのか、三つ目なのかを…………


 誤った先読みは、アティアの死に繋がる。ばば様の額に、汗が滲む。


「ええい、どっちじゃ? 心が壊れたアティアか、毒薬を飲んだアティアか?」

 ふと、三つ目の石が気になった。


 あの石は? そうじゃ、どこかで見たことがある。どこじゃ、いつじゃ、どこじゃ。ええぃ、わしのポンコツ頭め‼ 早よ、思い出さんかい!

 焦る状況の中、現れた一匹のネズミがチューと鳴く。暗闇の中で、チューと鳴かれたばば様は、驚きと同時に記憶が蘇った。


「思い出した! アトラスじゃ。あの細工は、アトラスの石じゃ」


 ばば様はすぐに二つ目の扉に鍵をかけ瞑想を解き、神殿へと急いだ。



 ばば様の瞳に、強い光が宿る。年齢を感じさせない鋭い眼光だった。数多の危機を乗り越えて来た者だけが放つ光。

 剣術を学んだゴーディーでさえ、圧倒される。


「ばば様、アティアは、無事ですか?」

「うむ。恐らく、幽閉されておる。早く助けなければ、手遅れになりそうじゃ」

「どうすれば?」


「ゴーディーよ。その魔剣と、ある薬草を持ってローマに行ってもらいたい」

「薬草?」

「あぁ。満月の夜、アティアは毒薬を飲むじゃろう」

「……なっ?」


「毒薬といっても、半日仮死状態が続き、その後心臓が止まる<時遅れの死>という薬じゃ。心の臓が止まる前に<再生の草>の匂いを嗅がせれば、アティアは目覚める。どうやらアティアは、いざという時のために石の中に<時遅れの死>を入れて持ち歩いていたようじゃな」


「石……?」

「あれは、お前さんが渡した物じゃろう?」

「そうです。母から譲られた物をアティアに――」


「あの石のお陰で助かったわい。まぁ詳しい話は後じゃ。アティアを助けるために、他に協力を頼める者はおるか?」

「アティアの父君・セネカ殿が先ほどキメリアに到着し、今、アポロ神殿にいるそうです」

「そうか。すぐにセネカ殿にお会いしたい」


   ♢        ♢


「おお! ゴーディー、久しぶりじゃ。元気でおったか?」

 ゴーディーは、嬉しそうに挨拶をするセネカの顔を、真っすぐに見ることができない。

「どうした? アティアに何かあったのか?」

 セネカの胸に不安が広がる。

「セネカ殿、わしから説明しよう。時は、一刻を争う」

 ばば様が、ズズズイと二人の間に入った。


「あなたは?」

「この神殿のシビュラじゃよ」


 全ての説明が終わり準備を整えると、ゴーディーとセネカの一行は、ローマに向かって馬を走らせた。

 アティアの命が懸かっている。

 焦りと不安が、胸を支配する。その全てを払拭するように、ゴーディーは前だけを見た。


 ゴーディーの腰に下げられた魔剣が振動している。

(大丈夫だ! 必ず助け出してやる!!)

 その強い思いに反応するように、魔剣は熱を放ち、更に振動していた。



 

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