シヴュラのばば様
「ばば様、大丈夫ですか?」
馬の背に乗せられたばば様は、右へ左へと大きく揺れている。
「落ちないように、しっかり私に掴まっていて下さい」
「わかっておるわい! あぁ、年は取りたくないもんじゃのぅ。わしだって、若い頃は……」
ばば様は、なにやらブツブツ言っている。さっきまでの緊張感はどこへ行ったのか、これが数多の修羅場をくぐりぬけて来たシビュラの力なのだろうかとアティアは思った。ばば様が、そばにいてくれるだけでありがたい。
泉のそばに来ると、二人は馬を降りた。そっと辺りの様子を伺う。
テントが三つ張られていた。そのテントの前を、数人の剣士が見張っている。ただ、アティアの知る剣士はいない。
(あの噴火から一年。新しく雇った剣士たちなのかしら?)
「アティア、嫌な気配はするか?」
「——正直、わかりません。でも、向こうに行ってみます」
この時、アティアはオルクスの忠告を忘れていた。子どもがアティアを呼びに来たことで、油断が生まれていたのだ。
アティアは馬の手綱を木に繋ぎ、ばば様と二人でテントのそばに歩み寄った。剣士の一人が、二人に気づき声をかける。
「待て! それ以上、テントに近づかないで下さい」
「私は、アティアです。こちらは、キメリアのシビュラさまです。こちらに私の父がいると聞き参りました」
「大変失礼致しました。セネカ様は、あちらのテントで休んでおられます。どうぞ」
剣士に促され、真ん中の一際立派なテントへと入って行く。中には、布団を頭のてっぺんまで被り横たわる人物がいた。
「——お父様⁈」
アティアが、布団を剥がし顔を確認しようとしたその時だった。右手が、強い力で握られた。
「お久しぶりですね、アティア様」
横になっていたのは、セネカではなくユリウスだった。
「ユリウス!」
驚愕するアティアの後ろで、暴れるばば様の声が聞こえてくる。
「離さんかい! この馬鹿者が!!」
ばば様は、二人の剣士に捕らえられ、縄をかけられている。
「アティアをずっと狙っていたのは、お前さんかい?」
ばば様が、ユリウスを睨みつけた。
「人聞きが悪い言い方ですねぇ。アティアに好意を抱いている青年ですよ」
「何が好意じゃ。わしの目は、節穴じゃないぞ。欲しいのは、アティアではなくシヴュラの力じゃろうが―― だったら、わしをローマに連れて行けばよかろう」
「ありがたい申し出ではありますが、あと何年生きられるか分からない婆さんより、若い方が私の好みでしてね」
「そう言うと思ったわい。年は取りたくないもんじゃのう! こう見えてもな、わしだって若い頃は、そりゃあもう美しくて、嫁に来てくれという殿方が……」
ぎゃーぎゃー騒ぐばば様を無視し、ユリウスは剣士たちに命令した。
「さぁ、急ぎ、ローマへ向けて出立する! 準備をしろ!!」
「待てぃ! お主に、わしから神託を届けたいと思うのじゃが、いかがかな?」
「ばば様。私が、何も気づかないとお思いか? 時間を稼いで、あのクズ野郎を待っていること、お見通しですよ。おい! 誰か、このクソばばぁに猿ぐつわを咬ませろ!!」
「わしをクソばばぁじゃと!! なんて口のきき方じゃ、若ぞう$#&%$#」
ばば様の喋り続ける口は、猿ぐつわをはめられた。じたばたするばば様を見て、ユリウスは高笑いをしている。
腕の中で暴れるアティアにも、素早く猿ぐつわを咬ませると、両手を後ろに縛りあげる。
「アティア様、馬の上で暴れられると大怪我をしますから、大人しくして下さいね」
そう言うと、アティアのみぞおちに拳を入れた。
「うっ」
気絶したアティアを抱え、ユリウス一行は疾風の如く森を抜けて行った。
あっという間の出来事だった。
しばらくすると、クルトの泉にゴーディーがやって来た。
テントの前に、猿ぐつわを咬まされ、縄でグルグル巻きにされたばば様が、一人転がっている。
「ばば様、大丈夫ですか?」
ゴーディーが急いで、猿ぐつわを外し、縄を解く。
「ぷはぁー。わしは、大丈夫じゃ。アティアがユリウスという男に、さらわれた!」
「なんですって⁈」
慌てて馬に乗り、アティアを追いかけようとするゴーディーをばば様が止める。
「待て! 今、追いかけてもアティアを助けることはできん。一旦、屋敷に戻り、戦略を立てるんじゃ」
「しかしっ!」
「焦るでないっ!! 急いては事を仕損じる。アティアを助けたいなら、わしの言うことを聞け!」
ばば様の力強い言葉に、今すぐ助けに行きたい衝動を抑え込んだ。アティアの乗って来た馬を連れ、屋敷へと急いで戻る。
ゴーディーとばば様のただならぬ様子に、キメリアの若きシビュラたちがどよめいている。
「アティアに危険が迫った。わしはこれより、『先読み』に入る。みんな、支度をしておくれ」
ばば様の言葉に、若いシヴュラたちが顔を見合わせる。
「ばば様、『先読み』よりアポロ様から神託を頂く方がよろしいのでは?」
普段、ばば様の片腕として働いているシヴュラはそう言った。
「今回のことには、アエラ・クラが関わっているようじゃ。神が関わっているとなれば、アポロ様は何も語るまい――」
「アエラ・クラですって!!!」
シヴュラたちが騒然とする。
「そうじゃ。地獄の女神アエラ・クラ。どうやら、ユリウスという男は、とんでもない奴に好かれてしまったようだのぅ。まぁ、あれだけの深い闇を持っていれば、アエラ・クラに好かれるのも無理ないことだが……」
「でも、アエラ・クラが関わっているとなれば、『先読み』も……」
「あぁ。奴らは、まやかしの扉を用意してくるじゃろう。どの扉の先を読むかで、アティアの運命は変わる。だから、わしがやるしかないのじゃ」
ばば様の言う通りだった。
先読みには、体力も必要だが、熟練した勘というものが必要になる。微かな匂いと空気の違いは、他のシヴュラでは嗅ぎ分けることが困難だった。
ばば様は、精霊の森へと向かった。
白い絹の布を一枚纏い、冷たい聖なる泉で身を清める。それから、真っ暗な洞窟の中へと入り、瞑想を始めた。静かな洞窟の中では、虫や蛇たちが岩場を這いずり回る音が、異様に響いて聞えてくる。
頭の中に浮かぶ雑念を追い出し、呼吸に意識を集中させる。
やがて、一切の音が消え、三つの扉が現れた。
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