決戦

 小さな窓から入る太陽の光が、倒れているアティアの頬を照らす。

 目覚めたアティアは、部屋の中を見渡した。誰もいない。あの袋も、頭もない。

 でも床には、どす黒い血痕が残っていた。


 夢じゃない。夢じゃないんだ。


 涙が頬を伝う。ユリウスが片手で持ち上げたあの人は、庭の手入れをしてくれていた使用人だった。幼いアティアは、よく庭で彼と花摘みをした。


 どうして、彼が殺されなければならないの?

 私のせい?

 私が、ユリウスとの結婚を拒んでいるから

 そんな理由で 

 罪のない人が殺される――


 アティアは悲しみ憤っていた。これ以上誰かが、自分のために犠牲になるのは耐えられない。耐えられるはずがない。自分の存在が許せない。


 生れなければよかった。

 私なんか……


 絶望の叫びが、体の底からうねり上がる。

 アティアは、四つん這いになって慟哭した。

 泣いて、泣いて、泣いて、初めて『死』を望んだ。

 体に流れるシビュラの血を呪った。


 こんな力なんかなければ、誰も不幸にせずにすんだのに。


「オルクス! いるんでしょ? 出てきてよ! こんなはいらない、いらないから、あなたにあげるから、もう誰も傷つけないで! お願い、お願い、お願いします! お願いします…… この忌まわしい紅い瞳を取ってちょうだい‼」


 泣き叫ぶアティアの前に、小さな袋が転がった。

 それは、ゴーディーから貰った石が入っている袋。

 御守りのように、ずっと、首から下げていた物。

 その紐が切れたのだ。


 アティアは袋から石を取り出し、ぎゅっと握り締めた。

「ゴーディー……」

 唇をキツク結び、窓から空を見る。


 青く澄んだ空。この青空は、ゴーディーと繋がっているはずだ。

 私は、一人じゃない!

 アティアの瞳に、力が戻る。


 まだだ。

 まだ、私はやれる。

 多分、今夜もユリウスはここに来る。その時が、最後のチャンス……

 もう誰も、ユリウスに殺させない。殺させるもんですか!


 アティアは、覚悟を決めた。


 夕日が沈み、大きく丸い月が窓から見える。アティアは、満月の光に石をかざして眺めた。

 誰かが階段を上って来た。


 水の入っている革袋を手元に用意し、石を左右にひねる。石は二つに割れた。

 アティアは、ドアの向こうの気配をじっと伺っていた。ドアが開いたその瞬間、石の中に入っていた白い粉を口に入れ、水で流し込む。

  

 アティアは痙攣して倒れた。

 口から泡を吹いている。


 ドアを開けたユリウスは、驚いた。


「……? な、にがあった? アティア! しっかりしろ、アティア!! ちくしょう、ここで死なせてたまるかぁ!!!」


 ユリウスは、そう叫んでアティアを抱きかかえ、医者の元へ急いだ。



 ♢          ♢   



 ベッドに横たわるアティア。冷たくなっていく体。危険な状態だ。しかし、原因がわからず医者は困惑している。


「おい、この娘を死なすなよ! この娘が死ねば、お前の命もない!!」

 ユリウスが医者を怒鳴りつけたその時、ドンっと扉が開かれた。


 ゴーディーとセネカ一行が駆け付けたのだ。

「ユリウス! アティアから離れろ!!」

 ゴーディーが長剣を構え、叫ぶ。


「ほぉ、何故ここにいることがわかった? あのばばぁの力か?」

「そうだ!」


「アティアは、今にも死にそうだ。医者も匙を投げている。どうやって助ける?」

「これで、助かる」

 ゴーディーは、腰に下げていた<再生の草>を手にもった。


「この草の匂いで、アティアは目覚めるそうだ」

「そんな草の匂いで……? おい、どう思う?」

 ユリウスは、怪訝な顔で医者に聞く。


「イエス・キリストが誕生したとき、黄金の他に贈られたのが、<乳香にゅうこう>と<没薬もつやく>です。植物には、傷口の化膿を止めたり、胃腸の調子を整えたり、治療薬となるものが多くあり、私たちの生活には欠かせません。そのことは、ユリウス様もご存じですよね? 恐らくですが……シヴュラの世界には、我々が知らない薬草があるのかもしれませぬ」


「なるほど……」

 ユリウスは、セネカを見つめた。


「では、アティアを目覚めさせる役目は、セネカ様にお願いしよう。ゴーディー、お前はそこから動くな!」


 ゴーディーは、言われた通りセネカに薬草を渡す。

「おっと、セネカ様。剣は、床に置いて下さい」


 セネカはユリウスの言葉に従い、剣を床に置きアティアの元へ走り寄った。それから、アティアの鼻の側で、草を揉み始めた。

 ツーンとした刺激臭が広がる。その匂いが、アティアの鼻腔をくすぐった。


「うっ」

 微かだが、アティアが反応した。


 ホッとするゴーディーに、突然ユリウスの剣が襲い掛かる。すぐさま、剣をかわし、迎え撃つ。

 激しく両者の剣がぶつかり、火花が散った。ゴーディーが、力でユリウスを押していく。


(くっ、長旅で疲れていても、これほどの力が残っていたとは……)

 ユリウスは焦った。じりじりと、壁に追い詰められていく。あちらこちらで戦いが始まり、ユリウスの援護に回る奴隷はいなかった。


 ドンっ!

 ユリウスの背が壁にぶつかった。これ以上、逃げ場はない。顔を歪め、憎々し気な目でゴーディーを見る。両手で持っている剣が、力で押し込まれる。(このままでは、まずい)と思った瞬間、アティアの悲鳴があがった。


「キャ——————!!!」


 アティアのベッドの下で、セネカが血を流し倒れていた。

 この時、ゴーディーに一瞬の隙が生まれた。ユリウスは、ゴーディーのみぞおちに膝を蹴り入れた。


「ぐっ」

 あまりの激痛に、ゴーディーはよろめいた。お腹を抑え、背中をみせたゴーディーに、ユリウスは剣を振るった。ゴーディーは剣を避けたが、剣先が左肩を切り裂いた。


「ゴーディー!!!」

 アティアが叫ぶ。


 ゴーディーは体制を立て直し、呼吸を整える。左肩から血がドクドクと滴る。

 ユリウスとの間合いを取り、足を前後左右に動かす。つま先を少し浮かせ、踵を強く踏む。時には大きく、時には小さく足を動かし、相手に隙を与えない。


 心で相手をしっかりと見て、肉眼で相手の動きをゆったりと見る。

 今、ゴーディーを挟んでいるのは、ユリウスとユリウスの屈強な奴隷剣士だった。


「さすがに、ちょっと不利だな」

 ゴーディーは呟いた。

 思ったより、肩の傷は深い。これ以上、血が流れるのは危険だ。しかし、止血することもできない。

 

 奴隷剣士が剣を振り上げ、踏み込んできた。ゴーディーはすばやく相手の剣をかわし、わき腹を切りさく。刹那、ユリウスに背中を突かれた。


「くっ」

 その衝撃で、右ひざをつく。すかさずユリウスに羽交い絞めにされた。


「さすがに、二対一では分が悪かったなぁ」

 きつく首を絞めつけられ、手から剣が滑り落ちた。ゴーディーは意識を失いかける。しかし、その瞬間ユリウスが、ぐふっと足元から崩れた。


 血だらけのセネカに、背中を刺されたのだ。

「き、さまぁぁぁぁぁぁぁ――――!」

 ユリウスは、腰に下げていた短剣で、セネカの心臓を突く。


 心臓に短剣を指したまま、セネカがゆっくりと倒れて行った。


「お父様~~~~~!」

 セネカの背にすがりつくアティア。


「これ、を……」

 セネカは最後の力を振り絞り、アティアに魔剣を渡した。


 


  

 


  


 


 

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