魔剣の伝説
「ところで、アティアさんの懐にある物はなんじゃ?」
アティアが懐から短剣を取り出し、鞘を抜く。中からは、七色に輝く刃が現れた。
「おぉ。これは、ウルカヌスの魔剣じゃ。どこで、これを手に入れた?」
「キメリアに来る途中の小さな町で見つけました。ウルカヌスの魔剣とはなんですか?」
「この剣には、不思議な話があるんじゃ」
そう言うと、ばば様は魔剣の伝説を語り始めた。
♢ ♢
遥か昔、たいそう腕の良い刀鍛冶がおったという。
その刀鍛冶が作る剣は、美しく、よく切れると評判だった。
その噂を聞きつけたある国の王が、なんと直々に刀鍛冶の元を訪れたそうだ。そして、長剣を作って欲しいと頼む。金は、幾らでも出すと言ってな。刀鍛冶は大喜びで、眠る間も惜しんで長剣を作り上げた。
剣が仕上がると、王はまた直々に刀鍛冶の元を訪れた。そして長剣を手に取り、まじまじと眺め「ほぉー」っと、嘆息した。
剣は、王が持つに相応しい装飾が施され、とても立派な物だったという。しかし、切れ味はわからない。
そこで王は、試し切りとして、鍛冶屋の妻を切り殺した。
鍛冶屋は、泣き叫び悔やんだ。自分の魂を込めて作り上げた長剣が、愛する妻の命を奪ったのだから……
号泣する鍛冶屋に向かって、王は更なる
鍛冶屋は拒んだ。もう、剣は作りたくないと。
しかし、作らなければ、今度はお前の子を殺すと脅された。
鍛冶屋は仕方なく、短剣を作り始めた。しかし、人を殺す剣は、もう作りたくなかった。泣きながら剣を作る鍛冶屋の元に、火と鍛冶の神・ウルカヌスが現れた。
「男よ、もう泣かなくてもよい。この鉄に私の血を混ぜてあげよう。そうすれば、この剣は誰も傷つけない。この剣が切れるのは、魔者だけになる」
こうして完成した刃は、七色に輝いたという。
短剣を引き取りに、王は鍛冶屋の元を訪れた。そして、試し切りをしようと、今度は鍛冶屋の娘を狙ったのだ。しかし、切られたはずの鍛冶屋の娘は無事で、悲鳴をあげて倒れたのは、王の方だったという。
♢ ♢
「この剣には、そんな話があったのですか」
アティアはそう言うと、煌めく刃をそっと鞘におさめた。
「あぁ。以来、この剣は何処へ消えたのか、行方知れずとなっていたんじゃ。お前さんが、この剣を手にするとはのう。ところで、アティアさん、剣術の方は?」
「少しだけなら……。 よく剣を振り回して遊んでいましたから」
「こう見えても、なかなかの腕前ですよ。とんでもないじゃじゃ馬ですから」
ゴーディーが笑いながら答えた。アティアは頬を膨らまし、ゴーディーを睨んだ。
「せっかくの宝物も扱えなければ意味がない。先を見据えて、もっと上達しておいたほうがええじゃろ」
「はい」
二人は、ごくりと唾を飲み込んだ。いつかこの剣で、ユリウスと闘う日が来るのかもしれない。緊張が、二人を包む。
「さてと、二人とも長旅で疲れておるじゃろう。今日はここに泊まりなさい」
ばば様は二人が床に就くと、隣のアポロ神殿へと向かい、長い時間祈りを捧げていた。
♢ ♢
ヴェスヴィオ山の噴火後、ローマは、ポンペイから逃げてきた人々で溢れていた。
金銀財宝を持ってローマに逃れた金持ちは、新しい生活をすることができるが、無一文になった者たちは途方に暮れている。
そんな中、主を失った奴隷たちが一番悲惨な状況にあった。ローマの市民権を持たない彼らには、パンの配給もないからだ。
それでも、料理・勉学・髪結いなど、何らかの才に恵まれた奴隷は、次の主が決まるからいい。皿を洗うだけの奴隷・靴を履かせるだけの単純労働系奴隷は、次の主が見つからない。
女たちは娼館へ、男たちは剣闘士になる道を選ぶ者たちが多くいた。剣闘士に志願すれば、次の主がすぐに見つかるからだ。
ユリウスもチャンスとばかりに、奴隷剣闘士をより多く確保しようと、若く体躯のよい奴隷に声をかけていた。自分の所の奴隷剣闘士が、いい戦いをしてくれれば名声があがるからだ。
その一方で、家を失ったセネカの為に豪邸を用意し、何かと面倒を見ていた。
大商人のセネカの娘と結婚できれば、莫大な財産が自分に流れてくる。本当は、シビュラの力を持つアティアとの結婚を望んでいたが、亡くなってしまっては仕方がない。好みの女ではないが、フラウィアにも結婚する価値はあると、ユリウスは目論んでいた。
ユリウスの本心を知らないフラウィアは、見せかけの優しさにどんどん惹かれていく。二人が婚約するのに、そう時間はかからなかった。セネカも、ユリウスの父・アントニウスも二人の婚約を喜んだ。
ただセネカの心に、時おりゴーディーを殴った時のユリウスの顔が浮かび、胸の中にほんの小さな不安の棘があることを感じていた。
それは、喉に突き刺さった魚の小骨のように、取りたくても取れない小さな痛みだった。
♢ ♢
ヴェスヴィオ山の噴火から一年。明日は、ユリウスとフラウィアの婚礼の日。
そこに一つの情報が届く。キメリアに、紫と紅い瞳のシヴュラが誕生したらしいと。
「紫と紅い瞳……まさか⁈」
ユリウスは確信した。それは、アティアだと――
ユリウスの体が、わなわなと震えた。一年前、アティアが盗賊に襲われ亡くなったという話は、嘘だったのだ。
「あの野郎! 諮ったな!!」
怒りが頂点に達したユリウスは、持っていたワイングラスを床に叩きつけた。近くに立っていた黒い肌の男を床に蹴り倒す。男は、自ら四つん這いの姿勢を取った。
するとユリウスは、腰に下げていた鞭を右手に持ち、奴隷の背中を打ち始めた。何度も、何度も鞭がしなり、奴隷の背中に血が滲む。
奴隷は声を上げることもなく、ひたすらその痛みに耐え続けた。苦悶の表情を浮かべ、この過酷な時間が終わることだけを願っていた。そう、彼は、主に鞭で打たれる奴隷だったのだ。
鞭で打たれる奴隷は、他にもいた。みな、ユリウスよりも体躯がよい。その気になればユリウスを倒すことができるだろうに、誰一人、彼に逆らう者はいなかった。
恐怖に心も体も縛られていたからだ。
鞭で打たれていた奴隷が、痛みで気を失うと、ようやくユリウスの怒りが収まった。荒い呼吸が落ち着くと、ユリウスはこれからのことを考えた。
「そうだ。フラウィアに死んでもらえばいい。妻に先立たれ、悲しみに打ちひしがれた俺がキメリアに託宣を求めに行き、アティアと再会する。そこで、愛妻を失い悲しみくれる義兄をアティアは慰める。やがて、二人は惹かれあい結婚。この筋書きなら、セネカも喜ぶだろう」
ユリウスの口元が緩み、笑みが浮かんだ。
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