魔剣
二人は、古物商の店の扉を開けた。
「いらっしゃい」
立派なあご髭のおじいさんが一人、店番をしている。
「ほぉ、武器も扱っているのか」
ゴーディーは、大きな楯を観察していた。
「これは――ガリア侵攻の際に、なめし皮と籐で作った補充用の楯だなぁ。時間がなかったとはいえ、この楯で身を守るのは難しかっただろう。おっ、こっちは、ケルト族が使っていた長剣スパタか。格好いいなぁ」
「お前さん、軍人には見えんが、武器に詳しいようじゃな」
「ああ。少しだけ勉強したことがあって。おやっさん、吹き矢は置いてるか?」
「吹き矢とな?」
「ガリア人が獣を狩る際に、毒を塗った吹き矢を使うことがあると聞いた」
「おぉ、毒は塗られていないが、一本だけあるぞ」
店主がカウンターの後ろで、ゴソゴソ吹き矢を探している。
アティアは、店の奥の壁に掛けられていた短剣をじぃーっと見つめていた。
「あった、あった。これじゃ。500デナリウスでどうじゃ?」
「おいおい、安い奴隷一人買える値段だぞ。もっとまけてくれ」
「よし、400デナリウスでどうじゃ?」
「380なら、すぐに買えるんだけどなぁ」
「若い奴に、これほど値切られるとはのう。仕方ない、380じゃ。そちらのお客さんは、その短剣が気になるのかい?」
店主が、目の端で捉えていたアティアに声をかける。
「あぁ。この剣はいくらだ?」
「そりゃ、売り物じゃねぇんだよ。先代からな、この持ち主が現れるまで、ここに飾っておけと言われておる」
「この剣の持ち主は、どうやってわかる?」
アティアが訊ねた。
「もし、本当の持ち主なら、その壁から剣を外すことができるそうじゃ。今まで外せた者はおらんがな」
「ふぅ~ん」
アティアが短剣に触れる。剣が微かに振動し、簡単に壁から外れた。
「なんと!」
驚いた店主とゴーディーが、アティアの元へ走り寄る。
アティアは、手の中で熱くなっていく剣の鞘を抜いた。中から現れた刃は、七色の光を放った。
「これは――? この短剣は、何でできているんだ?」
ゴーディーが店主に問いかける。
「わからん……」
店主が唸った。
まるで長い眠りから目覚めたように、アティアの手の中で短剣は細かく振動していた。やがて、七色の光は消え、美しい銀色の刃へと落ち着いた。長い間、手入れもされていないのに、錆びてもいない。
「わしは、この短剣をただの飾り物だと思っておった。まさか本当に、持ち主を待つ剣だったとはのう……。 先代からの遺言じゃ。その剣はお前さんのもんじゃ。持って行くがええ」
「えっ? いいのか?」
アティアが申し訳なさそうに聞いた。
「もちろんじゃ」
店主は、二人に短剣と吹き矢を渡した。
「吹き矢代、380デナリウス」
「店主、それじゃ申し訳ない。あの短剣を譲ってもらうんだ。吹き矢代は、500デナリウス支払おう」
「なんじゃ、今頃。わしが380でいいと言っておるんじゃ。それ以上は受け取らん」
それから、ゴーディーにだけ聞こえるように、小さな声で囁く。
「あの短剣は、『魔剣』と言ってな、神に仕える者しか持つことが許されんのじゃ。あの者は、これから魔界の者と戦うことになるじゃろうて」
「——魔界の者⁉」
ゴーディーの中に、不安が渦巻いた。
アティアの手の中で、まるで生きているかのように振動する短剣。これから先、何が待ち受けているというのだろう。
二人は丁寧に店主にお礼を言って、店を出た。
「アティア、その剣は一体何なんだ?」
「——わからない。ただ、この剣に呼ばれた気がした」
「ふーん」
剣は今も熱く振動している。その振動が、アティアの力を増幅させているようだ。
アティアは剣を大切に懐にしまうと、馬に飛び乗った。
「これで用は済んだ。出発しよう」
「あぁ」
「ゴーディー、ぼやぼやしていたら日が暮れてしまうぞ。急いで行こう」
「おい! それはこっちのセリフだ」
ゴーディーは、先ほど感じた不安を、一旦、胸の奥深くに閉じ込めた。
♢ ♢
キメリアは小さな村だった。オリーブとブドウを栽培し、人々は慎ましく生活している。
夕飯をとるため、二人は店に入る。港が近くにあるキメリアは、ポンペイと同じように海の幸と、山の幸に恵まれていた。
アティアとゴーディーは、パンと魚介のスープを注文した。
「初めて見る顔だね。どこから来たんだい?」
女主人が声をかける。
「——ポンペイからです」
アティアは躊躇いながら答えた。
「ポンペイ? あの噴火から逃げて来たのかい?」
「はい」
「そりゃ、大変だったねぇ。今日は、お代はいらないから。ほら、これも食べな」
そう言って、茹でたカニとワインが出された。
「あっ、俺たちワインは苦手なんで、結構です」
申し訳なさそうに断るゴーディー。
「あぁ、ここのワインなら大丈夫さ。体に悪いサパを使ってないからね。サパの代わりに、はちみつを少し入れてる。だけど、ワインに慣れていないなら、水で薄めてあげるから、飲んでごらん」
恐る恐る水で薄めたワインを口に入れるアティア。
「あっ、少し酸味が強いけれど美味しい」
「だろ?」
「サパって、体に悪いんですか?」
ゴーディーが訊ねる。
「シビュラ様たちがそう言ってるんだ。なんでもサパを取り過ぎると、貧血になったり、流産しやすくなったり、頭がおかしくなったりするそうだ。ほれ、あのネロ様だって、最初の頃は名君と言われてただろう。ありゃきっと、サパ入りワインを飲み過ぎて、頭がおかしくなって暴君に変貌しちまったのさ。母親は殺す。キリスト教徒にローマの大火の罪を被せて、残虐に処刑する。人としての心が壊れちまったんだろうよ。まぁ、もともとなのか、サパの取り過ぎか、本当の所はわからないけどさ」
女主人は、早口で教えてくれた。店が混んできて、忙しくなってきたのだ。
「アティアは、サパが体に良くないから、ワインを飲まないようにしていたのか?」
「ううん。なんとなく、嫌だったの」
「ふぅ~ん」
二人は食事を終えると、女主人にシビュラの館への道を訊ねた。
「それなら、うちの娘に案内させるから、外で待ってな」
そう言われ、二人は店を出る。いつの間にか日は沈み、キメリアの空に満点の星が広がっていた。
目元が女主人によく似た、黒髪の少女が現れた。
「こんばんは。シビュラの館にご案内しますね。すぐ近くなんですよ」
狭い石畳みを真っすぐに進む。馬を連れているアティアとゴーディーは、並んで歩くことが出来ず、少女を先頭にゆっくりとついて行った。しばらくすると、道の突き当りに小さな神殿が見えた。
「この神殿は?」
アティアが訊ねた。
「アポロ神殿です。ばば様が、ここで神託を貰うんですよ。で、お屋敷は、神殿の左側にあるここです」
小さく質素な屋敷だった。玄関の扉を叩くと、中から老婆が現れた。深く刻まれた顔のしわ。血管の浮いた筋張った手の甲から、かなり高齢であると思われる。その瞳は、右目は明るい青。左目は灰色の瞳をしていた。
「ばば様。お客様です」
「おぉ、いつもご苦労さん。お母さんの調子はどうだい?」
「お陰様で。ばば様に言われた通り、薬草を煎じて飲ませたら、あっという間に元気になって、今は忙しく働いております」
「それは、良かった」
談笑する二人の会話に入っていくのはいささか気が引けたが、ゴーディーは思い切って声をかけた。
「話の腰を折って申し訳ありませんが、俺たちの相談に乗って頂けないでしょうか?」
そう声をかけられ、ゴーディーの顔を見たばば様は驚いて目をパチパチさせている。
「あのぅ、俺の顔に何か……?」
「あぁ、何でもない。二人とも、中に入りなさい」
「では、ばば様。私はこれで失礼します」
「おぉ、ご苦労であった」
屋敷の中に入ると、三人は小さなテーブルを囲んで座った。
「あんたは、男の子の格好をしておるが、女の子じゃね? その髪は、染めておられる。そうじゃろ?」
「はい」
「その眼帯を外してもらっても良いかね?」
アティアは恐る恐る、黒い眼帯を外した。
「ほぉ。紫と紅い瞳のアルビノとは、珍しいのう。あんたはもしかして、ヴェスヴィオ山の噴火を予言した少女かね?」
「……はい。アティアと申します。私の目は、そんなに珍しいのでしょうか?」
「ここにおるシヴュラたちは、わしを含め、青か緑か灰色の目を持つアルビノじゃ。紫と、ましてや紅は初めてじゃ」
「——そうですか」
キメリアに来れば、自分と同じ瞳の少女に会えるかもしれないという淡い期待は、消え失せた。
「で、お前さんは?」
「俺はアティアの保護者みたいな者で、ゴーディーと申します」
「ふむ。奴隷解放の腕輪をしておるな。元奴隷さんか…… そして、今は、その子の親代わり。なんとまぁ。ところでお前さんは、アトラス出身かい?」
「えっ?」
「その驚いた顔は、やはりそうなんじゃな」
「はい。——ですが、どうしてそれを?」
「シビュラの力とでも言っておこうかねぇ」
そう笑いながら、ゴーディーを見つめる。
まるで、昔の恋人の面影を重ねるように――
「あのぅ、俺の顔に何か?」
「はっ! わしとしたことが……」
我に返ったばば様は、少し赤らんだ顔をして咳ばらいをする。
「ところで、アティアさんは、よくない者に目を付けられておるのう」
「えっ?」
「黒い影がチラチラ見え隠れしておる」
「そんな――」
青ざめるアティアに、ゴーディーが囁く。
「ユリウスのことか?」
アティアは小さく頷いた。
「でも、ユリウスはアティアが死んだと思っているんだ。もう、大丈夫なんじゃないのか?」
「いいや、まだ安心はできん。そのユリウスという者を騙せても、そいつに纏わりついている影は、アティアが死んでいないとわかっておるからのう」
二人は、愕然とした。
まだ、終わっていない。
何も、終わっていなかった。
ユリウスから逃げられたつもりだったのに、アティアの運命はまだ変えられていなかったのだ。
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