ゴーディーの秘密

 しばらくの間、二人の沈黙が続く。空は何処までも澄み渡り、鳥のさえずりが聞こえる。軽快に響く馬の足音。でも、二人の間には静寂。その静寂を先に破ったのは、ゴーディーだった。


「これから、たった一人でどうやって生きていくつもりだ?」

「キメリアに行って、そこでシヴュラとして生きる」

「キメリア?」

「母が、亡くなる前にそういったの。『シヴュラとして生きるなら、キメリアに行きなさい』って」

「それが、お前が生きる道だというのか?」

「えぇ」


 アティアの強い決意をみて、ゴーディーも腹を括った。

「わかった。それなら、これを付けていけ!」

 ゴーディーが差し出したのは、あの黒い眼帯だった。



「お前の瞳は目立ちすぎる。そうでなくても、お前の肌と髪の色は人目を引くからな。すぐに、シビュラの娘が生きているとバレるだろう。まず、眼帯をして、それから服を着替えよう。準備をするから、馬から降りてくれ」

 二人は、馬の手綱を木に繋いだ。ゴーディーは、大きな袋の中から、膝丈ほどの男性用トゥニカと、細長い布を取り出した。


「最初にこの布で、その小さな胸の膨らみを隠せ。それから、このトゥニカを着るんだ」

「なっ!」

 アティアが、頬を赤らめる。

「小さくて悪かったわね! あと一年もしたら、フラウィアのように大きくなるんだから!!」

「フラウィアは、十三歳の頃もっと大きかったぞ」

「ゴーディーのスケベ! 変態! バカ!」

 アティアが、ポカポカとゴーディーの厚い胸を叩く。


「ほら、もう時間がないんだろ…… 俺は向こうを向いているから、その木陰に行って、早く着替えろ」

 アティアは、ゴーディーに言われた通り急いで着替えた。


「着替えたよ」

 アティアをまじまじと見て、ゴーディーがニヤリと笑う。

「うん、ボサボサ頭の少年にしか見えないなぁ。でも、髪の色が……」

「あぁ、それなら大丈夫。ヘナを用意している」

「ヘナ?」

「そう、髪の色を栗毛色に染めることができるみたい」

「いつ、そんな物を?」


「お父様が、ちょっと変わったゲルマン人の商人から貰ったって言ってた。娘さんに、いつか必要になるかもしれないからって」

「へぇ。そんなことが……」

「その人には、私の未来が見えていたのかな?」

「どうだろうな。なんにしても、髪を染められるのはラッキーだ。だからといって、その眼帯は絶対に外すなよ!」

「……うん。わかってる」

「それから、これも持って行け」

 ゴーディーが、群青色の石がはめ込まれた指輪を差し出す。


「これは、ラピスラズリ。どうして、これを?」

「お守りだ……」

 アティアが指輪を受け取ると、幼いゴーディーの映像が浮かんだ。


 立派なお城の中を、泣きながら走るゴーディー。母親と思われる女性が、ゴーディーを抱きしめ静かな声で語る。

「もうすぐ、ローマ軍がこの国へ攻め入ってきます。このまま、この城に居ては、王子のあなたは捕まって殺されてしまうわ。ゴーディー、今日からあなたは、この方の子どもとして生きなさい」

「母上とセレンは?」


 涙を堪え、女性は言葉を続ける。

「心配しないで。私とセレンは、遠くへ逃げるから。だから、あなたも生きて、生きて、生き抜いて、いつかまた会いましょう。さぁ、これを持って行きなさい!」

 そういうと、女性は指輪を外した。

「この指輪を、からくり石の中に隠して持ち歩きなさい。使い方は、わかるわね? 決して無くさないでね。あなたを守る大切な指輪だから……。それから、自分の素性を、決して他の人に話しては駄目よ。あなたは今日から、農家の子。でもそうね、その口は閉じておきなさい」

 女性は、指輪を灰色の石に入れ、ゴーディーに渡した。最後に、もう一度強く、強く、抱きしめた。ゴーディーは、農夫の格好をした男性に手を引かれ、城を出る。そこで映像は、プツリっと途絶えた。


「アティア、大丈夫か?」

 放心状態だったアティアに、ゴーディーが心配そうに声をかける。

「えぇ、大丈夫。ゴーディー、あなた、王子だったのね」

 ゴーディーは、目を見開き驚いた。

「あぁ。なにか見えたんだな。確かに、小さな国の王子として生まれた。でも、昔のことは、あまり記憶にないんだ。俺は今、セネカ家の奴隷使用人だ。でも、それを不憫だと思ったことも、不幸だと思ったこともない。むしろ、恵まれていると思っている。セネカ様や奥様に、とても大切にしてもらったからなぁ。人が生きていく上で、身分っていうものは、そんなに大切なものだろうか? 王子から奴隷になっても、俺は俺で、なにも変わってはいない」


 そう胸を張るゴーディーの姿は、誇りと気品に満ち溢れている。

(この人にはやはり、王子の血が流れているのだ)

 アティアは、そう感じた。


「私は今まで、一度も、あなたのことを奴隷だと思ったことはないわ」

「知っているさ」

 そう、わかっていた。アティアは、俺を奴隷扱いしたことなんか、一度もない。だから、俺は生きてこられた。あの日、アティアに出会わなかったら、俺は今頃、人として生きることを諦め、心が死んでいたかもしれない。


「はい」

 アティアは、指輪をゴーディーに返した。

「この指輪は、ゴーディーが持っていなきゃ駄目よ。指輪を隠していた石は? まだ持ってる?」

「もちろん」

「じゃあ、指輪の代わりに、その石をちょうだい」


 腰に下げていた袋から、石を取り出す。

「こんな物でいいのか?」

「初めて出会ったとき、ゴーディーがこれを大切に握っていたと聞いて、ずっと気になっていたの。この中に、指輪が隠されていたとは思わなかったけれど……」


 アティアは、石を大切そうに握って、そっとカバンに閉まった。

「これ、お守りにするね。ありがとう、ゴーディー」

「あぁ」

「それから―― 今まで、ありがとう」

 アティアが潤んだ瞳で、ゴーディーを見つめる。唇をきつく結んで、必死に涙を堪えている。

 ゴーディーは、深く息を吸うと、意を決したように口を開いた。


「いいか! 眼帯は、絶対に外さないこと。女であることがバレないようにしろよ。それから、無茶はしないこと。あまり、人も信用するな。それから……」

「わかってる! 心配しないで――」

「——そうか。さぁ、出発の時間だ。日没前に、あの森を抜けるんだぞ!」

「えぇ」

「アティア、セネカ様に髪を渡したら、お前を追いかける。それまで、頑張ってくれ」

 ゴーディーが、アティアの頭をポンポンと優しく叩く。いつもなら、それで終わりだ。でも今は、頭の上に置いた手をなかなか離そうとしなかった。

「……ゴーディー?」

「あっ? あぁ、ごめん。とにかく危ないマネはするなよ」

「うん、わかってる」

 消え入りそうな声でそう言うと、アティアは馬にまたがった。


「じゃ、私は、左の道を進むわ。あなたは、右の道を。ゴーディー、お元気で。さようなら!」

 まるで永遠の別れのような言葉を残し、アティアは無理やり笑顔を作った。ひきつった顔。今にも泣き出しそうな瞳。頑張って口角だけをあげている。今のアティアができる精一杯の強がりの笑顔だ。


(駄目だ! これ以上は、笑えない)

 そう思った瞬間、アティアは急いで馬を走らせた。


 泣いちゃダメ。泣いちゃダメだ!

 これからは、一人で生きていくんだ。

 どんなことがあっても、全て自分の力だけで。

 ゴーディー、今まで一緒にいてくれてありがとう……


 覚悟していたとはいえ、別れがこんなに辛いものだということをアティアは知らなかった。心と体が、引き裂かれるように痛い。寂しい。それでもアティアは、歯を食いしばった。

 自分の呪われた運命を変えるために――。

 


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