ローマ街道を行く

 馬の走るリズムに合わせて、一つに束ねられた白金の美しい髪が、左右に激しく揺れている。無言で走る二人を、朝日が照らす。ローマ街道は、爽やかな空気に包まれていた。その世界の美しさが、より一層ゴーディーの心に影を落とす。


 不意にアティアが、スピードを落とした。ゴーディーと肩を並べて、ゆっくりと歩みを進める。

「こうして、ローマ街道をゴーディーと二人で駆けたのは、二回目だね」

「——そうだな」

「知ってる? かつて奴隷剣士・スパルタクスと、多くの奴隷が反乱を起こし、ローマ騎士団に捕らえられた。その遺体は、十字架に磔にされ、この道の両端に飾られたって話」

「もちろん、知っているさ。スパルタクスを中心に、七万人の軍隊ができたと聞いている。その強さは圧巻だった。ただ、四度の勝利に隙が生まれたのか、態勢を立て直した新編成ローマ軍に破れ、スパルタクスは戦死。その際、誰の遺体か判らないほどに、切り刻まれたらしい。スパルタクスが倒れると、六万人が戦死して、捕虜となった六千人が磔にされた。そして、なぶり殺され、鳥についばまれたって」


「人間って、残酷だね……」

「——でも、このスパルタクスの反乱のおかげで、奴隷の待遇はグンと良くなったらしい。頑張れば、奴隷から解放されてローマの市民権を貰えるようになったんだからな。昔のギリシャの奴隷たちより、ずっと待遇が良いってカエサル先生が教えてくれた」

「そう……。 スパルタクスは命を懸けて、奴隷たちの運命を変えたんだね」

 

「どうして、こんな話をする?」

「右目が疼いて、過去の映像がみえたの」

「磔にされた人間が……か?」

「えぇ」

「——そうか。シビュラの力は、しんどいか?」

「どっちだろう? 正直、こんな力はない方がいいのかもしれない。でも……誰かの役に立つなら、シビュラとして生きるのも悪くないと、思う」


 そういうと、アティアは手綱を強く引いて、馬を止めた。慌てて、ゴーディーも馬を止める。アティアは、ゴーディーを見つめた。

「私、ローマに行けない……」

「えっ?」

「ローマには、行かない……」

「なっ‼ どうし……て……?」


 ゴーディーの顔色が変わり、言葉に詰まる。今にも泣き出しそうなアティアの顔。声が、肩が、震えていた。


「ローマに行けば、私はユリウスに捕らえられて、地下に幽閉される。そして、ユリウスの為にだけ、神託を授ける運命が待っているの……。 そんなの嫌だわ。耐えられない! 私が、私として生きる為には、ここでお別れするしかないの」

「なにを、馬鹿なことを!! 俺は、お前のそばを離れるつもりはない」

「ゴーディー、ローマに行って。そして、お父様に伝えてほしいの」


 アティアはそういうと、小刀で美しい髪をザクザクと切り始めた。

「……いたっ」

 乱暴に切り落とされた白金が、地面に散らばる。

「アティア、なにをするんだ!」


「はい、これ!」

 アティアは切った髪の一部を掴み、ゴーディーに差し出す。

「私は、ローマに向かう途中、盗賊に襲われて死んだと伝えて! この髪は、私の形見だと……」


 ようやく、アティアが髪をおろしていた理由がわかった。アティアは、昨夜から覚悟していたのだ。十三歳の少女が、自分の運命を受け入れ、たった一人で生きて行こうとしている。揺るぎない覚悟で先を見つめるその姿は、神々しくもあった。


(しかし、アティアを一人にするなんて――)

「できない!」

 ゴーディーは、アティアから目を逸らした。

「他に…… 他に方法は?」

「考えたわ。でも、見つからないの。私が生きている限り、ユリウスは私を追って来る。どこまでも、どこまでも……」


「俺がいる! 俺が、お前をユリウスから守る!! 俺は、そのために強くなった」

「確かに、ゴーディーは強いわ。でも、彼は、残酷でずる賢いの。私を手に入れるためなら、どんなことでもする! きっと、父と姉が人質に捕られる―― だから、こうするしか方法がないの!」

「そんなっ……」


 ゴーディーは、なにか別な策はないかと考えた。でも、なにも浮かんでこない。一対一の戦いなら、ユリウスに勝つ自信はある。しかし、セネカ様とフラウィア様を人質に捕られたら、勝ち目はない。そうすれば、アティアを守ることもできない。

 どう考えても、アティアの策が、一番良いように思えた。


 


  

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