泣き女の妬み

 アティアは、ゴーディーに支えられながら屋敷へ戻った。倒れ込むようにベッドに沈む。

「アティア、大丈夫か? ゆっくり休め。俺は部屋の外にいるから、なにかあったら呼んでくれ」

 ゴーディーは、優しく声をかけて部屋を出た。


 アティアはベッドで仰向けになり、ゆっくりと呼吸を整える。傍らには、オルクスがいた。


「あの婆さん、俺のことを『悪魔』とか言っていたな」

「——そうね」

「お前は、あの婆さんのことを知っているか?」

「……いいえ」

「そので、あの婆さんを見ればいい」

「……興味ないわ」

「——そうか。興味がなくても知っておいた方がいい。あの婆さんの若い頃の話だ。お前のひい爺さん・ガイウスに恋をしていた。ずっとな。だが、ガイウスが選んだのはお前のひい婆さん・ユリアだった。あの婆さんの中では、激しい嫉妬と憎悪が長い間くすぶり続けていた。そしてとうとう、ユリアを罠にめちまった。憎い女・ユリアが、シヴュラの偽物として処刑され、あの婆さんの理不尽な復讐は終わったと思ったんだがなぁ。まさか、ひ孫のお前にまで憎悪をぶつけるとは……。 人の憎しみは、どこまでも果て無く広がり、きりがない。愚かしい生き物だ」

「……そう」


 アティアの心は虚ろだった。オルクスの言葉が、ノイズのように流れていく。曾祖母とあのお婆さんの間になにがあったのか、今さら真実を知ってもなにも変わりはしない。過去は変わらないし、未来も変えることができない。


 時が止まったように、静かな時間だけが流れる。

 アティアは考えた。自分が、どうするべきかを……。 

 考えても、考えても、答えはでない。

 山は噴火し、街は灰に埋もれるのだ。

 シヴュラの偽物と呼ばれてしまった私が、「逃げて!」と叫んだところで誰が信じるだろう?未来を知っていても、誰も救えないなら、こんな力はいらない……。

 そう思い始めていた。


「オルクス、この右目、あげようか……?」

「いらぬのか?」

「こんな力、いらない……」


 オルクスの細く長く冷たい手が、アティアの顔を包み込む。怖くはない。けれど、なぜだろう、体が痺れる。それから、右目が激しく疼き始めた。

 脳裏に、はっきりと、死の灰に埋もれて亡くなっていく男の子の姿が浮かんだ。


「いやあぁぁぁぁぁぁ――――!」

 アティアが両手で口を塞ぎ、叫んだ。

「お前は、どうしたいのだ? その子を助けたいのか? 自分の運命から逃げたいのか? どっちだ?」

「わからない……。 でも、あの子が死ぬのは見たくない。見たくないの‼」

 

 二つの未来が揺らいで、見え隠れしている。死の灰に埋もれる男の子の姿と、元気に学校に通う男の子の姿が、重なり合い、ぶつかり合い、渦のように激しく回転していた。涙が、堰をきったように溢れる。オルクスは、その涙をじっと見つめていた。


 どの位の時が過ぎたのか、涙は止み、アティアは唇をきつく結んだ。意を決したかのように。

「オルクス、やっぱり、まだ右目はやらない。私は、街へ行く!」

 オルクスは、顔を包み込んでいた両手を離した。


「ほぉ、神託を告げに行くつもりか?」

「えぇ」

 すっと、ベッドから立ち上がるアティア。

「今度は、その美しい顔に、石をぶつけられるかもしれんぞ」

「——でも、誰かが、私の言葉を信じてくれるかもしれない。そうでしょ?」

 無表情だったオルクスが、微かに笑った。


「ゴーディー!」

 部屋の外にいるゴーディーに声をかける。

「直ぐに、馬を用意して欲しいの」


 先ほどまでと打って変わったアティアの様子に戸惑うゴーディー。

「アティア、馬を用意してどうするんだ?」

広場フォロへ向かう」

広場フォロって、まさか……? さっきの予言を?」

「えぇ、そうよ」


「そんなことをしたら……。駄目だ、馬は用意できない!」

 ゴーディーがアティアの前に立ちはだかる。

「お願い、ゴーディー。私には、視えるの。山が噴火して、多くの人が亡くなってしまう。一人でもいい。助けなきゃ!」


「しかし、顔色が…… それに――」

「私の心配なら、いらないわ。大丈夫、すぐに戻るから。これは、私がやらなきゃいけないことなの。私だから、できることなの。立ち上がることで、助かる命があるなら、私は行くわ!」


 さっきまで泣いていたアティアの瞳に宿る強い決意。

 ゴーディーは、今のアティアを止めることができないと悟った。




 


 

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