噴火が視える
空は灰色の雲に覆われて、雨が降っている。葬儀の邪魔をするような激しい雨ではない。蜘蛛の糸のように細く光る雨が、まるで涙のように地上を濡らしていた。
優しかったプリミゲニアの葬送行進に、多くの人たちが参列している。参列の中から、泣き女たちのわざとらしい泣き声が響き渡った。本当に悲しんでいる者は、そんな風に大げさに泣けるはずがない。泣き女たちは、金のために誰よりも悲しさを装い、激しく泣きじゃくる。通常なら滑稽とも思える泣き姿であるが、葬儀という世界の中ではその異常さに胸を打つ者がいる。
泣き女の声に耳を塞ぎ涙を堪えて歩くアティアの鼻が、微かに死の匂いを感じとった。シビュラの血の目覚めにより、五感が研ぎ澄まされてきたのだ。
胸の奥に広がっていく底知れぬ不安。
いったい、自分はなにを感じているの?
「もうすぐヴェスヴィオ山が噴火する。この町は、死の灰に埋もれるのだよ」
オルクスが現れ、耳元で囁く。アティアにだけ聞こえる声。
(ヴェスヴィオ山が噴火……?)
恐ろしい未来を想像し、足が震える。前に進むことができない。立ち止まり、小刻みに震えているアティアに、フラウィアは苛立った。誰にも聞かれぬよう、低い声で呟く。
「なにをしているのアティア。みっともないわ。さあ、歩いて! ユリウス様の前で私に恥をかかせないで!!!」
冷たい言葉だった。
フラウィアは、誰よりも体裁を重んじる。どんな時でも、自分たちは常に凛と美しく立ち居振舞わなければならない。それを、妹であるアティアに強いていた。
(歩かなきゃ……。 ゆっくりでもいい。足を出すんだ)
自分にそう言い聞かせて、一歩、また一歩前に進む。
しかし、どんどん強くなる死の匂いに、呼吸が浅くなる。苦しくなる。今にも倒れそうだった。
「アティア様、少し休まれてはどうですか?」
心配したゴーディーが優しく声をかける。しかし、フラウィアの冷たい視線が、それを許さない。
眼帯の奥で右目が疼き意識が朦朧としてくるなか、火山が爆発する映像が浮かんだ。
『助けてぇ――――』
断末魔の声をあげて逃げ惑う人々。多くの人が火山灰に埋もれていく。パン屋の主人も、彼が可愛がっている犬も……。 アティアは思わず叫んでいた。
「ヴェスヴィオ山が噴火するわ! 早く、ポンペイから逃げて!!!」
泣き女の声が止まり、参列者たちが一斉にアティアを見た。みな怪訝そうな顔をしている。
「母を亡くしたショックで、気がふれてしまったんだろうか?」
そんな声が聞こえてきた。
「アティア。大丈夫?」
そう言葉をかけたフラウィアの目は吊り上がり、唇がわなわなと小刻みに震えている。彼女のプライドが、沸き上がる怒りを抑え込み、かろうじて冷静に振舞っていた。
同情の視線、憐みの視線、蔑む視線、冷ややかな視線、いろんな視線がアティアの体を突き刺す。同時に、濃くなっていく死の匂い。アティアは、今にも崩れ落ちそうだった。
(私は一体、なにを見ているの? なにを感じているの? これは、未来? それとも私の妄想?)
ふと、母の言葉が思い出される。
『もし、シヴュラの力が手に余るようなら、その右目を死神に差し出しなさい』
(そうだ。この右目をオルクスに渡せば、シヴュラの力は消える。私はなにも見なくてすむのだ――)
眼帯を外そうとする手が震える。傍らに立つオルクスの横顔は無表情のままで、なにも語らない。なにを考えているのかわからない。冷たい顔だ。
不意に左腕に誰かの手が触れる。アティアは、小さな温もりを感じた。
「ねぇ、だいじょうぶ?」
見知らぬ男の子だった。優しく気遣う男の子。その子からも、死の匂いが漂う。
(こんな幼い子の命まで、神様は奪うおつもりなの……)
絶望が広がる。アティアの心が乱れ、悲しみと、やり場のない怒りが混在していた。
(オルクス、あなたは、悪魔の使いなの?)
胸のなかで、やり場のない怒りをオルクスにぶつけた。オルクスは相変わらず無表情のまま、静かに答えた。
「酷いいいようだな。俺は、悪魔ではない。魂を冥界に送り届けるのが、俺の役目だ。お前の母親は、俺のことを死神だと思っていたようだが、死神でもない」
(じゃあ、みんなを助けて!)
「それは、俺の仕事じゃない。山が噴火するのは、変えられない。ただ、一つ教えてやろう。『三度の死の法則』を知っているか?」
(いいえ)
「人間は生きている間に三度、死に直面する。一度目と二度目、これは回避できる死だ。例えば、火事に巻き込まれても、事故にあっても助かることがあるだろう。人は、『奇跡』とか『九死に一生を得る』なんていっているがな。ただし、三度目の死は回避できない。これは、人間が神が契約した死だからだ。つまり、寿命ってことだ」
(じゃあ、私の母が死んだのは……?)
「あぁ、三度目。つまり、寿命だったんだ」
(——この子は?)
「その子の瞳を覗いて見ろ。お前なら、その子が噴火で死に直面することが何度目かわかるだろう。三度目で変えることのできない死かどうか……な」
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