最高級品の奴隷

 ゴーディーがセネカ家に来てから一年が過ぎた。

 同い年のフラウィアと共に、初級学校に通い始める。

 使用人としてフラウィアの世話をしながら、勉強するようにとセネカに言われたのだ。

「奴隷に授業料を払うなんて話は聞いたことがない。セネカはおかしな奴だ」

 そう陰口をたたく者もいたが、セネカは気にしなかった。


 ゴーディーが学校に行っている間、アティアは寂しそうにしていたが、その分帰宅してから十分すぎるほど遊んでもらうことができた。

 平穏な毎日の中で、アティアは明るく元気に、いや男勝りに育っていくのだった。


     ♢     ♢


 四年の教育が終わる頃だった。

「セネカ様。私に勉学の機会を与えて下さってありがとうございました。感謝しております。実は、お願いがあります。私は、剣術を習いたいのです。どうか、奴隷剣闘士にして下さい。剣術養成学校へ入ることをお許し下さい」

 ゴーディーは跪き、セネカにお願いした。


「なぜ、剣闘士に? 剣闘士になれば、勝ち続けるしか生きる術はない。若くして命を落とす者が、どれだけいるのか、それはお前も知っているだろう?」

「はい、知っております。でも、私はどうしても強くなりたいのです」

「ふ~む。剣闘士にならなくても、誰か良い先生を私が見つけてやるから、その人から剣術を習ったらどうだ?」

「いいえ! 命の駆け引きをしなければ、真の強さを手に入れることはできません!」


 まだ、11歳の少年が命懸けで強くなりたいと懇願する。

 青い瞳が、セネカを真っすぐに捉える。

 まだまだ幼さの残る顔に、自分の信じる道を真っすぐに進もうとする強い決意が見えた。

 それが例え、どんないばらの道であったとしても…… 


 根負けしたセネカは、ゴーディーの意志を組むことにした。

 しかしセネカは、ゴーディーを奴隷たちの行く剣術養成学校ではなく騎士学校に通わせることにする。

 その行動に誰もが驚いた。

 奴隷が、騎士学校に通うなんて前代未聞だ。

 入学が許されるはずがない。

 しかし、ゴーディーの入学が特別に許されたのだ。

 恐らくは、セネカが法外な授業料を支払う約束をしたに違いない。


 一方、ゴーディーの気持ちは複雑だった。

 奴隷である自分に、どうしてここまでしてくれるのかわからない。

 セネカの行為が嬉しくもあり申し訳なくもあった。


     ♢   ♢


 騎士学校に通い始めたゴーディーは、やはり虐められた。

 同級生の無視は当然。

 罵詈雑言を言われるのも、日常茶飯事。

 足を掛けられる。

 トイレでは豚の血をかけられ、剣術の模擬戦では、袋叩きにあう。

 体には、痣が絶えなかった。


 先生たちは、その様子を見て見ぬふりをする。

 たかが奴隷一人、死のうが生きようが関係ないのだ。

 虐められてもゴーディーは、学校へ通い続けた。

『誰よりも強くなりたい。強くなければ、誰も守ることができない』

 ゴーディーは、ずっとそう思っていた。

 強くなるためなら、どんなことにも耐えられる自信があった。


 もともと武術や剣術の才能があったゴーディーは、どんどん強くなっていった。

 そう簡単には殴られなくなっていったことが、周りの者には面白くない。

 虐めは、より過激に、より執拗になっていく。

 上流階級の子どもたちに気を遣う先生方は、「奴隷なら奴隷らしくしていろ!」とゴーディーを罵ったが、カエサルという先生だけが、ゴーディーを気にかけ面倒を見てくれた。

 奴隷出身の哲学者カエサルは、ゴーディーになるべく自分のそばにいるようにと指示した。

 カエサルと一緒の時は、周りの者に虐められることはない。

 

「ゴーディー、みんなから虐められていて辛くはないのか?」

 カエサルが、ゴーディーに訊ねた。

「カエサル先生。私は、みんなのお陰で、より強くなれる気がするんです」

「どういうことだ?」

 カエサルが金色の長い髪を耳にかけ、ゴーディーの言葉を逃すまいとする。


「豚の血をかけられる前、まず血の臭いが鼻をくすぐります。頭の上の人の気配・息づかい・それらを感じ取れば、豚の血を頭から浴びなくて済むんですよ。ただ、うまく避けてしまえば、向こうも腹が立つでしょうから、少しは血を浴びるようにしています。足を掛けられるときも、同じように上手く避けられますし。五感を研ぎ澄ませば、ケガもなくすみます」


 ふっとカエサルが笑った。

「どんな状況でも、自分の心次第で世界は逆転する。君は、まだまだ強くなるのだろうね」

「そうありたいものです。ところで、先生。白いカラスって見たことがありますか?」

「あぁ。以前、見世物小屋で観たことがある。そこには、白いカラス、白い蛇。それから、幼い男の子もいた」


「……人間も?」

「あぁ。肌も髪も体毛も白く、紫色の瞳をしていた」


「紫色の瞳ですか?」

 ゴーディーが、思わず唾を飲み込む。

「そうだ。私が見た子どもは紫色をしていたが、紅い瞳の子も産まれるらしい。実際、蛇やカラスは紅い眼をしていたな。アルビノとか言っていた気がするが……」


「——アルビノ」

「あぁ。どうやら、黒い肌をした異国の国では、白く産まれた子は殺されて体をバラバラにされ、呪術に使われてしまうらしいな」


「……殺さ・れる?」

 ゴーディーの瞳が、激しく揺れる。

 足元が崩れかけたが、ぐっと踏ん張った。

「ゴーディー、大丈夫か?」

「少し、頭痛が…… 風邪を引いたのかもしれません。申し訳ありませんが、これで失礼します」


 ゴーディーは、腰に下げた短剣をぎゅっと握りしめ足早に屋敷へと急ぐ。


「白い肌、白い髪、紫の瞳、紅い瞳、アルビノ、呪術、殺される……まさか、な」

 ゴーディーの胸の中で、カエサルの言葉が何度も繰り返された。 


       ♢     ♢

 

 ゴーディーは誰よりも強く・賢い少年へと成長していった。

 なるべく目立たぬように息を殺して、学校生活を過ごしたいゴーディーだが、容姿端麗なその姿は、どうしても多くの人間の目を惹きつけてしまう。


 特に、模擬剣闘試合でゴーディーが戦う様は圧巻だった。

 体躯の良い相手の重い剣をかわし、あっという間に急所を狙う。

 本物の剣が使われていたなら、相手は死んでいただろう。


 華麗に剣をさばくゴーディーの姿は、まるで『知恵と闘いの女神・ミネルヴァ』を彷彿とさせた。

 ゴーディーのことを『奴隷の分際で!』と蔑んでいた者たちでさえ、心を奪われずにはいられなかった。

 もし、学校がゴーディーを正当に評価していたなら、間違いなく『麗しの騎士』という称号を与えられたことだろう。


 しかし彼は、奴隷なのだ。

『最高級品の奴隷』

 それが、ゴーディーに与えられた称号であった。

 

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