奴隷市場での出会い
16歳のゴーディーは、セネカ家の奴隷使用人である。
それも、知性・教養・剣術・美を兼ね備えた稀な奴隷使用人だ。
彼を売って欲しいと買い付けに来る資産家は沢山いる。
しかし、どんなにお金を積まれてもセネカはゴーディーを離さなかった。
彼は、十年前ポンペイの奴隷市場で、農業奴隷として売られていた。
年齢の割には高値が付けられている。
理由は、その容姿にあった。ローマ人が憧れる金色の髪。
吸い込まれそうな青い瞳。
その中性的な顔立ちは、見る者の心をグッと捉えた。
奴隷商人が、これは上玉だと見込んで法外な値段を付けたのも頷ける。
男好きで高慢ちきなご婦人にはもちろん、暇を持て余した金持ちの殿方にも好まれそうな容姿をしていた。
足枷を付けられた少年は虚ろな目をした他の奴隷たちと違い、両手を握り凛とした態度で店頭に並んでいる。
その姿がまた、一段と美しかった。
しかし少年は口がきけないのか、声をかけられても一言も喋らない。
本来なら、首に掛けられた商品札には、名前・年齢・出身地・特徴などが記載されているのだが、少年の札には何も書かれていなかった。
少年は、ただ唇を固く結び前だけを向いて立っている。
そこに3歳のアティアが通りかかった。
凛と佇む少年の近くで、ふいに立ち止まる。
下からじっと少年の顔を見つめ「お兄ちゃん!」と、声を掛けた。
少年は、ピクッと体を震わせた。
思わず「セレン?」と小さく呟き、大きな瞳を少女に向ける。
そこには、黒い眼帯をした少女が立っていた。
(そうだ。妹のセレンがいるはずがない)
少年は、すぐに我に返る。
そして、声を発してしまったことを悔やんだ。
「おめぇ、口がきけるのか!」
奴隷商人が歓喜の声をあげた。
「口がきけるなら、もうちょっと高くして売るかぁ。こいつは、本当に上玉だぜ!」
強欲な店主の高笑いが止まらない。
何度もあご髭をなで、舌なめずりをしている。
「お兄ちゃん、一緒に行こう」
アティアが、少年に向かって微笑む。
驚いた少年は、握っている右手に力を込めた。
拳がプルプルと震えている。
「うん? その子は、手に何か持っているのか?」
二人の様子を見ていたセネカが、奴隷商人に声をかけた。
「あぁ、ただの石ころですぁ。なんで、石ころ握って離さないのか、ちっともわかりませんがねぇ、取ろうとすると暴れるんで、そうやって握らせているんです」
「そうか。ところで、この子を売って欲しいんだが……」
ニヤリと笑い、揉み手をする奴隷商人。
「へぇへぇ。まぁ、見ての通りの上玉で、ちぃっとばかり値が張りますが、宜しいんで?」
「どんなに高くても構わんよ」
「へぇ、ありがとうございます。2000デナリウスになります」
奴隷商人は、農業奴隷の中でも、最高の価格を付けてきた。
たった、5歳か6歳くらい年齢の子どもにそんな値段は付けない。
せいぜい、1000デナリウス程度である。
法外な値を聞いても、セネカはちょっと肩をすくめただけだった。
値下げ交渉をすることもなく、2000デナリウスを支払う。
商人らしからぬ振る舞いであった。
しかし、それには理由がある。
人見知りをするアティアが、こんな風に見知らぬ子に声をかけることが珍しかったのだ。
「店主。この子の名は?」
「こいつは、今まで一言も口をきいたことがなかったんですよ。だから、なんて名前で、どこの生まれなのかさっぱりでさぁ。売りに来た奴も、どこから連れて来たのか教えてくれなかったんでね」
少年は、相変わらず口を結び無表情だった。
「君の名前を教えてくれないか?」
セネカが優しく訊ねた。
「……」
「そうか、答えなくないのだね。では、アティア、この子に名前を付けてくれないか?」
アティアは、黒い眼帯を触ると首を傾けて呟いた。
「ゴーディー?」
「なっ? どうして、僕の名を……?」
少年は、両目を見開きアティアを見つめる。
自分の名前を言う不思議な少女を前に、手のひらの中で石が熱くなるのを感じた。
「ゴーディーか、良い名前だ。今日から君は、セネカ家の奴隷使用人ゴーディーだ。よろしく」
こうして、ゴーディーは買われた。
この頃の奴隷の運命は、主人によって大きく左右されていた。
運が良ければ、貧しい庶民より美味しい食事にありつけ、家族のように扱われる。
運が悪ければ、食事もろくに与えられず、死ぬまで酷使された。
ゴーディーは、運が良かった。
鞭で叩かれて重労働をさせられることもなく、美味しい食事を与えられた。
毎日、アティアの相手をして過ごしている。
要するに、アティアの遊び相手として買われたのだ。
異様に白すぎる肌の色。
プラチナブロンドの髪。
紫の瞳と、右目の黒い眼帯。
アティアのいで立ちは、他の子たちと明かに違っていた。
周りの人にジロジロと好奇の目で見られていたアティアは、いつも一人で遊んでいた。
他人の視線が怖かったのだろう。
花や動物と触れ合って一日を過ごすアティアを両親は不憫に思っていた。
しかしゴーディーが屋敷に来てから、アティアは変わった。
毎日、ゴーディーの側に行き、ゴーディーの真似をする。
ゴーディーが水を汲めば、アティアも水を汲み、ゴーディーが馬の世話をすれば、アティアも馬の世話をした。
奴隷使用人の真似事をするアティアを「奴隷と遊んでは駄目!」と、フラウィアはよく怒っていたが、セネカとプリミゲニアは温かく見守っていた。
それまでと打って変わり、明るく成長する娘の様子を見るのが楽しくもあり、嬉しかったのだ。
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