エピローグ
ピッ、ピッと心拍が鳴る。
今日も彼女は穏やかに眠っているようだ。
窓の外はよく晴れていて、こんな状態でもなければ外を散歩したくなる。
ちょうど昼下がりの点滴が終わりかけたところに、看護師の女性が扉を開けて入ってくる。
「――失礼しまーす。お変わりはなさそうですね」
「はい。大丈夫そうです」
「点滴の回収に参りました。失礼しますねー」
「お願いします」
慣れた手つきで針を抜く。
今の彼女は経口摂取ができないため、注射で栄養を補っている状態だった。
すっかり無愛想になってしまったが、それでもこの瞬間は微かに顔をしかめる。
そういえば注射苦手だったっけ――以前の何気ないやり取りをふと思い出し、微かに頬を綻ばせる。
回収を終えた看護師が退出すると、俺は彼女のそばに座った。
携帯端末を起動し、
『――もしもし』
「ご無沙汰してます。水澤春人です」
『おぉ春人くんか。よく掛けてきてくれたね。予後はどうかな?」
「おかげ様で何事もなく過ごせてます。先生の助力のおかげです」
『そうか。それならひとまず安心だな』
電話越しに先生が笑う。
どこか元気がないように感じるのは、気のせいではないはずだ。
無理もない。
あの後、警察の捜査や研究の打ち切りなど、先生の進退に関わることが立て続けに起こったのだ。
まだ気苦労が晴れていないのだろう。
心中を察しつつ、俺は尋ねた。
「それで、依頼した件なんですが」
『あぁ……調査は無事に済んだよ。残念ながら、全員亡くなっていた。警察は他殺として処理したらしい。犯人はいまだ分かってないが……』
「……ミナがやったんですね」
『物証はない。あまり決めつけないほうがいいだろう。警察もそう言っている』
「分かってます……ありがとうございます」
厳しく釘を刺される。
それでも、何となくミナが殺したのだろうと予感はする。
三人は俺にとって大切な人で、ミナにとっては恋路を邪魔する障害でしかないのだから――嫉妬に狂ってしまっても、何もおかしくはない。
もちろん、決めつける気はないのだが。
ともあれ知りたかった真実は、これで全て知ることができた。
三人の無念を少しでも晴らすことができたら、現実世界に戻った甲斐があったというものだ。
『――それで、春人くん。ミナの具合は……どうかな』
先生が気まずそうに尋ねてくる。
俺は努めて冷静に、ベッドの上で眠る彼女――梛野ミナの顔を見つめながら答える。
「大丈夫です。娘さんは今日も元気ですよ」
『そうか……よかった』
「俺が付きっきりで見てるので、何かあったらすぐに連絡します。だから安心して休んでください」
『……春人くんも休みたまえ。あれからずっと、ミナのそばにいてくれているだろう。気分転換に外出でもしないか? 良いレストランを知って――』
言葉を遮り、俺は微笑んで告げた。
「いえ。俺はここにいます。ミナが目を覚ます、その時まで」
沈黙が流れる。
せっかくの提案を申し訳ないとは思う。
それでも、これは俺がやり遂げなければならない使命なのだ。
夢の世界で誓った愛を、現実世界で貫き通すために。
先生も理解してくれたのか、ため息を吐いたのち、悲しそうな声色で了承する。
『――本当にすまなかった。ミナを止められなかった私も共犯だ。許してくれ』
「もう終わったことですから……大丈夫です」
『何か必要なことがあれば、すぐに頼ってほしい。罪滅ぼしのためならば、何だってやるからな』
「ありがとうございます……それじゃあ、失礼します」
電話を切る。
携帯端末をズボンのポケットにしまって、一つ大きく息を吐く。
現実世界に戻ってきてから、息苦しさがずっと続いていた。
先生からは通院するように言われているが、正直乗り気はしない――でたらめに薬を飲まされる上に、全く効果が現れないからだ。
ミナを暗闇から救い出した代償は、心と身体を確実に
そしてこの苦しみは、現代の科学では治すことができないのだろう。
未来の自分の姿が
いずれミナと同じように、物言わぬ生体に成り果てる運命だ。
なら俺はここにいよう。
後悔しない選択を、俺自身の意思で。
「……ミナ」
彼女に呼びかける。
何も反応はなく、空虚な間だけが漂う。
すっかり色の抜け落ちた髪を撫でる――今度、看護師さんに頼んで茶髪に染めてもらおう。
自分の変わり果てた顔を見たら、きっと卒倒してしまうだろうから。
もしもの未来を想像し、自然と笑みがこぼれる。
何十年も掛かってしまうだろうが、きっとまた会えるはずだ。
夢の中でさえ、大切な人と巡り会えたのだから。
「俺はここで待ってるよ。ずっと、いつまでも――」
ミナを愛してる 分福茶釜 @Archive-1
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