第十七部「数珠通りの坂」第1話 (修正版)
それは嫌な隙間だった
誰にも見られたくない
見せたくない隙間
しかし
だからこそ浮き立つ
☆
その街は坂の街だった。緩やかな山肌の街。
上から「
遥か昔は正式名称だったが、現在は正式に地名としては使われていない。それでも地元では現在でも使われている当たり前の呼称だった。
古くは
その
それは昔から変わらない。上ほど物価も高く、下に行くほど治安も悪い。
当時から寺が管理する墓地は
山に囲まれた地域でもあるために、外部からの主要な交通機関の根幹は今でも列車だった。もちろん現代の地方経済の現実は車社会。それでも都市部までの道路は山間部を掻い潜る細い道だけ。そのため、二〇年越しでやっと動き出した再開発計画に期待が集まっていた。
町の中心にある一番大きな駅は
閑散とした受付で、声を張る。
「すいません。マスコミ担当の方がいらっしゃると伺ったんですが」
受付の中にはオフィスデスクが敷き詰められているような在り来たりな光景。
──古いパソコンばっかり並んでるなあ…………
その中で何人かが顔を上げ、その内の一人が立ち上がった。四〇前後くらいだろうか、くたびれたYシャツに経歴が見て取れる。胸ポケットの緩み方に清潔感は無い。白髪混じりの頭を指で掻きながら、その男が溜息混じりに受付に近付く。
「えーっと、担当の
「お忙しいところすいません…………」
「フリーの方ですか…………」
「依頼は出版社からのものです」
そこに視線を落とした
「……分かりました。別室になりますので」
そう言ってカウンターを出ると、
空気の動いていない部屋であることがすぐに分かった。湿度が高い。
それでもまるでそれを気にしないかのように、
「〝幽霊マンション〟ですよね」
いかにも
「最近はあまり騒がれなくなりましたよ。もっともあまり騒ぎになってはこちらも困るんですが…………他の仕事もありますし……」
もちろんマスコミ的には幽霊騒ぎとして騒ぎ立てたが、行政的には再開発計画の絡みもあり、町のマイナスイメージに繋がるようなことは早く収まってほしいのが本音。
マスコミとしては、次に何か大きな展開が起きてくれることを期待した。しかしそれほど華のある事件は起きないまま、世間の関心が薄れるのはすぐだった。
「現象が起きたのは二ヶ月くらい前からですか? 一応今でも続いてはいるんですね」
「一応、町民からの訴えでもありますし…………記録には残していますが…………」
「お
「我々は関知していません」
そう応える
「そういったことでしたら不動産屋に聞かれたほうがよろしいかと」
しかし
「住人の方の情報は……さすがにここには載ってませんよねえ」
「個人情報ですから」
「個別に取材したいんですけど」
「それならマスコミに聞いてみたほうが────」
「フリーって嫌な目で見られるんですよねえ」
そう言って
明らかに一万円札。
「名前と電話番号だけで…………パソコンならすぐですよね…………アクティブログだけ個別に消せば…………」
「……五分で…………」
そして部屋を出る。
──……初めてじゃなさそう…………
──……地元のマスコミにもヤバい奴がいるみたいだ…………
五分後。
リストを受け取った
──……とりあえずマンションに行ってみるしかないか…………
職業柄か性格か、こんな地方の町役場でも、周囲に視線を配る観察力は癖のようなもの。
そして、あちこちの壁にしつこいくらいに貼られている再開発計画のポスターが目に入る。
そこには開発地区が地図で示されていた。かなり大きな道路が出来るらしく、確かにこれなら人の流れも物の流れも変わるだろう。
──……これかあ……
観光客を見越してか、隣のポスターには商店街向けの説明会の案内。しかしその説明会は
──……小さな町なのに……これが田舎気質か…………
──…………好きじゃないな…………こういうの…………
途端に聞こえてくる若い女性の声。切迫した声だった。
「どうしてですか⁉︎ 私は担当の方に直接お話を聞いて頂きたいだけです」
受付で身を乗り出してそう声を上げているのは、
その
「──ですから担当者は会議中でして…………」
「いつもじゃないですか⁉︎ お願いです。話を聞いて頂きたいんです!」
「でしたらお電話で予約をされてですね、それから────」
「いつも予約が取れないからこうして
──……この町って、それこそ
お
そこに、狙い通りに
「この町で、神社は一ヶ所と聞いていますが…………」
そして
「……はい…………確かに私は
それに、
「まあ、私はご想像通りのマスコミの人間ですよ。噂の幽霊マンションを調べてましてね。何度かお
「…………はい……私が伺いました。噂ももちろん存じております」
そしてやっと
だいぶ若い。まだ二〇才と少しという感じだろうか。ほとんど化粧もしていないように見えたが、それでもその肌は若さを表していた。
「よろしければ、神社にお越しになりますか?」
「助かります」
意外な
☆
昭和二二年。
戦後からほどない頃。
まだ国内情勢は安定していなかった。
もちろんそれは政治、経済に於いても同じ。直接戦火の影響を受けていない地域でも、やはり物流などの滞りは想像以上だった。
物が無い。お金も無い。
結果的に犯罪が増えていく。
遥か昔の先祖は元々
町を離れた
行く所は無い。どこにもいけないまま、山の中や街の片隅で夜を過ごし、炊き出しをしている場所を渡り歩いた。
そうしている内に、父親が以前に話していた
古い墓地があった。そこは雑草だらけで、倒れた墓石がいくつもあった。それを見ただけで心が痛んだ。戦地で亡くした戦友をしっかりと
戦場でもないこの場所で死者が粗末に扱われている現状が許せなかった。
もはや
背中に野菜の詰まった大きな
「すいません…………」
女性はボロ布のような
「……この……墓地を管理しているお寺があると思うのですが…………」
それに応える女性の表情は柔らかかった。
「この墓地は古い所さ……悲しいことだけど誰も管理する人なんかいないよ。お寺も遥か昔に無くなったんだと…………」
「そんな…………」
「この町の人じゃないね」
「先祖が…………この町の出だったと聞いて……それでここへ…………」
すると、女性は
「行く所、無いのかい? …………着いておいで」
──……私はこの為に生きて帰ってきたのか…………
しかしもちろんお金は無い。
休みはほとんど無い。あっても午後だけということがほとんど。しかも給料は安い。
それでも
生きる目的が出来たからだ。
戦地では何人もの敵兵を殺してきた。何人もの仲間の死を見てきた。
時間を見付けては墓地に通い、雑草を取る所から初めていく。
☆
確かにそこは真新しい墓地とは違う。
古さは否めなかった。
それでも雑草はほとんど無く、墓石も綺麗にされ、所々欠けていることさえ気にならないほどに管理されていることが伺えた。
しかも
墓地の中、
周囲には、神社には珍しいほのかな線香の香りが漂う。
通路状になっている所は砂利が敷き詰められているが、それは新しい物に見えた。
長い時代の中で放棄されてきた墓地。すでに墓参りに来る先祖などいないのだと言う。先祖がまだこの町にいたとしても、忘れられているのだろうか。
そんな場所を綺麗にして管理し続ける労力とはどれほどのものだろうと
「再開発の話がありましてね…………いずれここも更地にされる計画だそうです…………」
「ああ……さっき町役場で…………」
「はい……何度か直談判に伺ってはいるのですが話を聞いてもらえません…………暗い過去には蓋をしたいのかもしれませんが…………それでは我々が何のためにこの墓地を守ってきたのか…………それでも神社がしていることはあくまでボランティアです…………土地そのものは自治体の物…………そこを押されたら勝ち目はありません…………」
──……神社って言っても、色んな人がいるんだな…………
「この墓地も、元々は〝
──……〝
「噂のマンションは、その仏閣のあった場所だそうですよ」
「そうだったんですか……何か関係がありそうですね。お
「根深いものでした…………元々は最初の地鎮祭の時から関わっております。一〇年ほど前になりますので父と母が伺っていますが…………」
そう語る
「ご両親は…………」
「……去年亡くなりました……交通事故です…………現在は私だけになりました…………」
「そうでしたか…………」
こういう時に返す言葉は難しい。仕事の中で
すると
「何やら、父は……あの土地は呪われた所だと申しておりました。どうやら仏閣は戦国時代に城と共に燃やされたそうなのです…………大勢が殺されたと聞いております。その呪いのせいか、その後はどんな建物も長続きしなかったようで…………そもそも、私としてはその仏閣の考え方には疑問もございます。仏閣自体は
──……古くから続く〝差別〟か…………
「私が最初に行ったのは、騒がれ始める少し前でした。お部屋の一つで自ら命を絶たれた方がいらっしゃったということで……お
「やっぱり……そのお寺が関係してるんですか…………?」
「おそらく…………」
☆
明日は次の神社に向けて出発する予定を立てていた。
明日の所で五ヶ所目になる。
しかし
それは〝蛇の会〟としての
外はすでにだいぶ薄暗い。
開け放った縁側から入ってくる風は、まだ夜になると涼しい季節。しかもそれは涼しさよりも
「今日の夕ご飯は?」
縁側で三匹の猫と
台所から返ってくるのは
「猫の?」
「そんなわけないでしょ」
「一晩寝かせた手作りミートソースのパスタだよー」
「昨日は匂いだけでお預けだったミートソース…………日本酒に合いそうね」
そこにワインの瓶を片手に持った
「今夜は白ワインにしようよ。辛口だから飲みやすいよ」
しかし振り返った
「何言ってるのよ。ミートソースパスタと言ったら日本酒でしょ」
「いや、やっぱりワインね」
「ビール」
「まったく、
そう応える
「この子たちのご飯は? いつもの?」
応えるのは
「うん、缶詰出してあげて。
「はーい」
猫の鳴き声が騒がしくなると、パスタ皿を並べた
「子供たちも大きくなったよねえ……あ、
「はーい」
猫がご飯に集中すると
やがてその
すると、
「まずはワインね」
「仕方ないわねえ。付き合ってあげるわよ」
そう応えた
「出発は明日でいいんでしょ?」
応えるのはグラスを持った
「うん。朝早いから夜更かしはダメだよ」
すると
「昼間話してた所でいいの? 小さな神社だけど…………」
それに返すのはワインを一口飲み込んだ
「歴史もそれほど古くないし……
「関係があるだけで言ったら小さい所は沢山あるけど、ここは一応それなりの立ち位置にあるみたいなんだよね。でもその理由が分からなくて…………」
「資料の中でも一番情報が少ない所よね…………怪しげな雰囲気もないし…………」
「でも
「何かあるんでしょうね。名前もやっぱり七福神だし…………
「どうせ何かあると思うよ。いつものことだよ。どんな所だろうと潰すだけ…………簡単でしょ」
それに
「負ける気はないしね」
続く
「じゃあ確定でいいのね。地図のチェックしておく」
三人の目の前の資料に書かれている神社の名前は〝
☆
そんな日々が三ヶ月ほど続いた頃だった。
その日の午後も、
地獄のような戦地を生き抜いてきた。
「あなたは…………仏閣の方ですか?」
そして応える。
「いえ……私は…………」
もはや軍人でもなければ宮司でもない。ただ毎日を生きることに必死だった。生きていられることを神に感謝する毎日だった。
言葉を詰まらせる
「こちらの墓地には管理者がいないと聞きていましたが…………」
これまでのことが、まるで
そして、
「──私は…………自分の罪を少しでも
それまで、何かが張り詰めていたのだろうか。
膝を落とした
その
「私も気持ちはあなたと同じですよ…………仏教も
宮司は泣き崩れる
「我らが神社を作りましょう…………しかしその神社はあなたの物です。あなたが盛り立てていくのです。我らは〝
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十七部「数珠通りの坂」第2話へつづく 〜
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