第十六部「丑の刻の森」第3話(第十六部最終話) (修正版)
すでに時間は早朝だった。
辺りは薄暗い。
小さな鳥の鳴き声が聞こえた。
朝の微かな風に、先程までの重々しさは無い。
それを感じられたことで、
──…………もう終わり………………
──……後は………殺されるのを待つだけ……………………
全身の冷たい汗が少し前までの記憶を引きずる。
神社は静かだった。
しばらくは、静かに暮らしていける。
本殿の扉が開けられたままになっていた。
嫌な予感しかしない。
「……
その言葉に、
それでも
自分でも認めたくない罪悪感があったことを認めるしかなかった。
やっと絞り出した言葉は小さい。
「……〝本殿〟です…………どうしました? 話なら昨夜────」
「何人目ですか?」
──…………やめて……………………
「…………何人目、とは…………」
そんな言葉しか返せない
「〝
──…………お願い………………
いつの間にか、
「何を今更…………それが
「……文献を読みました…………気になったものがあります…………〝火の玉〟と〝水の玉〟は……今は…………」
いくつもある文献は、一族の者なら確かに誰でも読むことが出来た。しかしその中で、水晶に関する文献は一つだけ。そしてそれは、必ず読まなければならない物の一つ。
もちろん
「
「あの水晶は負の念の塊だったはず…………それが埋まっていた洞窟も同じ…………
それでも、その答えを
そこに、
「…………私に兄は……………………」
──…………どうして………………
その気持ちとは裏腹に、無意識に
「…………一人…………」
「殺しているのですよね…………自らの子を…………」
それは動かしようのない事実。
──……私は…………自分の子供を殺した………………
しかし返せる言葉は少ない。
「……
「────私も殺さなければなりませんか⁉︎ 私も……自分で自分の子供を殺さなければならないのですか⁉︎」
しだいに大きくなる
返せる言葉は、こんな言葉だけ。
「……
すると、
そして叫ぶ。
「そうすれば今度は夫ですか⁉︎ 夫を殺すのですか⁉︎ 何が
その声は、
☆
石の階段は百段はあろうかという長さ。
森の中の暗さもあるせいか、一番上は見えない。
木々の隙間に見える空も暗く見えた。曇り空だろうか。階段を登る全員が雨が降りそうな湿度を感じていた。
なかなか頂上が見えない状態で気持ちだけが
誰も口を開かない。無言で階段を登り続ける。
やがて、先頭の
一番後ろの
そして
どこにも看板のようなものはない。そもそも普通の人が来れるような場所でもない。
さらに明確な参道と呼べるような道もなかった。決して綺麗に整地されているわけではない土の地面が本殿まで続いているだけ。
二人の後ろに
本殿が近付く。
すると、小さく、複数の足音。
どこから現れたのか、周りを一〇人ほどの
三人は足を止めざるを得ない。
不安を抱える
そして
「……笑わせるな…………消えろ…………」
すぐだった。
すぐに
全身に鳥肌を立てる
「……な……なんですか今の…………」
反射的に声を出した
「見せられただけ…………そんなものよ…………」
その直後。
扉の開け放たれた暗い本殿に、小さな足音。
小さな人影が浮かぶ。
その黒い人影に、三人は注視した。
「…………
しかしその
思わず
「どうしたんですか
片手でそれを遮ったのは
「待って…………」
小さく
やがて、聞こえるのは
「……待っていました。見せたいものがあります…………着いてきなさい」
しかしそれは
本殿裏の扉から建物の裏に抜けると、そこにあるのは裏山。裏山と言っても深い森が続くだけ。
草の
風がほとんど無いせいか、湿度の高さが際立った。その湿度は空気を重く感じさせるには充分なものだ。
しかし、それは湿度だけではなかった。
周囲を取り囲むような、
そして、その理由が目の前に広がる。
やっとの思いで
「…………
周囲には大小様々な
その
しかも目に見えないその塊は、まるで生き物のように
「ここはまともな場所じゃない…………気持ちで負けたらダメだよ」
その声は、小さくも力強い。
先頭の
やがて足を止めた所は、入り口を石で固めた洞窟。上には板を数枚這わしただけの屋根。
「ここに〝呪い〟の感情が集まった理由は……この洞窟の奥にあります…………この中には、
反射的に
「
「ここの本当の名前ですよ。
「…………そんな…………」
「
そう
──…………分からない……………………
そう思うのが精一杯だった。
実際、
水晶が無かったらどうだったのだろう。今までの人生は水晶に振り回されてはいなかっただろうか。もしも水晶に出会わなかったら人生は違ったのかもしれない。こんな人生を歩まなくてもよかったのかもしれない。
──……………………違う…………
そして聞こえるのは
「…………水晶が……負の塊…………?」
「このままでは…………ますます人の負の念がここに積み重なっていく…………その二つの石にも…………」
「どうすればいいの…………私にはどうすることも出来なかった…………教えて…………
今、
「……
「いいえ…………あなたたちが苦しんでいる…………だから私はここにいる」
直後、小さな声。
いつの間にか俯いた
「…………違う…………」
「……私は……この水晶に出会えてよかった…………そうじゃないと…………
その柔らかい表情のまま。
「いいでしょう…………これで…………あなたは最後まで立ち向かえます」
──…………お母さん……………………
そして、足音。
まだ
小さな枯れ枝が折れる。
三人が振り返ると、そこには歩いてくる
そして
瞬時に理解した
長い時間の記憶だった。
二人の中に流れる、何代にも渡るあまりにも長い時間。
その総てを、
柔らかい笑顔。
──…………重すぎる……………………
すると、再び
二人は洞窟前の
「……ここの負の念を断ち切れば…………終わらせられますか…………?」
それに、
「…………後を…………よろしくお願いします」
そう言って、深々と頭を下げ、
そのまま
「待って!」
それは
「…………忘れないよ…………待ってる…………」
振り返った
そしてその微笑みは、そのまま顔を伏せるようにしながら、洞窟の闇に消える。
周囲に、微かに風が流れ始めた。
空気が動く。
そして、細かな雨粒が空気を遮る。
周囲が、ゆっくりと白く。
空気が、ゆっくりと曇っていく。
突然、
そして外したネックレスを素早く左手に巻きつけた。
それを後ろから見ていた
横。
再び現れた
「────
まるで怒号と言ってもいいようなその叫びが霧の中から映したのは、
「
その叫びに、
「私が断ち切ります…………あなたは必要ありません」
「一度死んで見せた貴様が…………口を開くな‼︎」
「死んで見せなければ…………見せられないものもあるのですよ…………」
直後、何かに気が付いた
白く光る布────
それはたちまちの内に白い蛇へと姿を変えた。
自らの体に
「────なんだ! 誰だ!」
そこに、
「…………分かってくれるはずだよ…………姉さん…………」
その時。
──……水晶が熱い…………
そして、突如、森の至る所が炎に包まれた。
木が燃え、葉が燃え、土が燃える。
周囲を包む炎が、たちまち空気の温度を上げた。
突然の強い風が舞う。
そして
「行くよ!」
総ての木が燃えていた。
風が巻き上げる熱風が、容赦無く四人の周りの空気を揺らす。
神社の建物も炎に包まれていた。
崩れかけ、燃える神社を背に、四人は階段を駆け降りる。
すでにその周囲の森も燃え盛っていた。
火の粉が舞う中で走り、熱に背中を押されるようにして四人は山を駆け降りていく。
車に飛び込むと、
周りも確認せずに舗装道路に飛び込むと、タイヤがアスファルトで乾いた音を立てた。
全員が胸を撫で下ろす中、意外にも、最初に口を開いたのは
「……
それからしばらくは、誰も口を開かなかった。
ただ、
☆
「……すいません母上…………勝手な真似を致しました…………」
白い布は、
すると、祭壇の前で背中を向けたままの
「いえ、
未だ震える唇のまま。
「……しかし母上…………このままでは
その震える声を、
「……このままでは終わらせません…………」
そう言った
「…………邪魔はさせませんよ……………………」
そして
──……どうして…………あんな場所が……………………
☆
その日の夜。
「お腹空いてるよねえ…………たぶん…………」
「栄養が欲しくなったら自然と目を覚ますよ。今は休ませてあげようよ…………」
「よく頑張ったね…………」
「……やっぱり、無駄な力じゃないみたいだね…………」
そして
「私は感謝してますよ。後悔なんかしてません」
「彼氏が出来るまではいさせてあげるから安心して」
「じゃあしばらくかかりますねえ」
そう応えて笑う
「
「そうですね…………もう少ししたらで…………」
すると、
「ところで、これ…………どうする?」
「そうねえ」
二人は二つの水晶を見つめる。
「どうしたんですか?」
僅かに黒味がかった〝火の玉〟。
曇りのない透明な〝水の玉〟。
その中に、それまでは無かった、いくつもの光の粒。
それが、月明かりに照らされる。
山の火は、それから一〇日間、燃え続けた。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十六部「丑の刻の森」終 〜
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