第十七部「数珠通りの坂」第2話 (修正版)

 御陵院ごりょういん神社。

 この日、恵比寿えびす神社の加藤苑清かとうえんせいが訪れた。恵比寿えびす神社の真の名前は蛭子ひるこ神社。清国会しんこくかいのトップに君臨する雄滝おだき神社と二番手の御陵院ごりょういん神社に次ぐ、実質的な三番手の神社。

 当主の加藤苑清かとうえんせいはすでに七〇を超え、清国会しんこくかいの派閥の中でも最も影響力を持つ存在だった。

 それでも二番手の御陵院ごりょういん家との間は広い。

 清国会しんこくかいのしきたりに従い、本殿の祭壇の前に座る御陵院ごりょういん家のおさであるさきの斜め後ろで苑清えんせいは頭を下げる。真後ろに座ることは許されない。

 さきの後ろには次女の涼沙りょうさが控えていた。

布袋尊ほていそん神社に関しまして…………少々気になることが御座いまして…………」

 苑清えんせいのその言葉に、さきは背中で返す。

布袋尊ほていそんは……苑清えんせい殿の先代が建てられた神社でしたね」

「左様で…………〝けがれ〟のまった地を探し求めた中で見付けたそうでございます」

 古くから清国会しんこくかいは〝けがれ〟や〝負の念〟を求めてきた。その中で苑清えんせいの先代が数珠町じゅずまちを訪れたのは戦後。仏閣も神社も無く、残っていたのは廃墓地だけ。そしてその歴史を調べた後に、神社の再興を願う雫川依定しずくかわよりさだに出会った。

 それ以来、神社を建てただけではなく、蛭子ひるこ神社は現在まで金銭的にもバックアップをしてきた。もちろん依定よりさだけがれを集めようという気持ちは無かった。むしろそのけがれをきよめる為に神社を守ってきた。

「何か、問題でも…………?」

 さきがそう問うと、苑清えんせいは床に視線を落としたままで僅かながらも間を開けた。

 やがて、ゆっくりと口を開く。

「……はい…………〝けがれ〟の中に…………〝揺らぎ〟が生じました…………」

 すると、さきは微かに首を横へ。

 肩越しに苑清えんせいへと言葉を返した。

「……その〝揺らぎ〟とは…………」

「恐らくは…………〝ヒルコ様〟かと…………」

 その直後に動いたのはさきではなかった。

 さきの背後の涼沙りょうさが、小さく、少しだけ首を動かす。

 しかし口を開いたのはさき

「……いいでしょう…………」

「では、なにとぞよしなに…………」

 苑清えんせいはそう言うと、深々と頭を下げた。

 その夜。

 さきが祭壇に呼び出したのは長女の綾芽あやめだった。綾芽あやめは通常業務のおはらいから戻ったばかり。それほど難しい仕事ではないように思えたが、それでも綾芽あやめが買って出た仕事でもある。

 雄滝おだき神社から戻って二週間ほどになるが、綾芽あやめは過剰なほどに出張仕事を好んだ。仕事に没頭したいのか一人になりたいのかは分からなかったが、さきからは無心で没頭しているようにも見えていた。

「ご苦労様でした……今夜のはらいはいかがでしたか?」

 さきはあくまで柔らかく言葉を投げかける。

 綾芽あやめは目を細めて向かいのさきの膝下を見つめながら返した。

「なに…………あの程度、何ということもありません…………」

 それでも、連日の業務に綾芽あやめに疲労が溜まっていることはさきも気が付いていた。

 その綾芽あやめが続ける。

布袋尊ほていそん神社の一件ですか?」

涼沙りょうさから聞きましたか…………しかし今回はあなたは休みなさい…………休養も必要ですよ」

「…………西沙せいさがいます…………」

 その綾芽あやめの言葉に、さきが感情を動かされないわけはなかった。

 さきは言葉を選ぶ。

「……分かるのですか…………?」

「はい…………常にアンテナは張っております……涼沙りょうさが調べるまでもありません…………昨夜、感じました」

「そうですか…………」

 さきはそんな言葉しか返せない自分をいた。


 ──……西沙せいさがいるのなら…………綾芽あやめでいくべきだ…………


 そんなさき綾芽あやめは言葉をぶつける。

「よろしいのですか?」

 意外にもさきの返答は早い。

「……やりなさい…………恵麻えま様が見ておられる…………」

「母上はどうなのですか? 恵麻えま様は関係ありません。母上は西沙せいさをどうしたいのですか⁉︎」

 その綾芽あやめの予想外な問いに、さきは応えられなかった。

 そのまま綾芽あやめが続ける。

涼沙りょうさは関わらせません…………涼沙りょうさには迷いがありません…………危険です」

 静かになった。

 お互いに、次のお互いの言葉を待つ。

 やがて、何かの覚悟を決めたさきの言葉。

「…………あなたには…………あるのですか…………?」

 綾芽あやめは応えなかった。





 夕方。

 空はすでにだいぶ暗い。

 あちこちの街頭が灯り始めた頃、布袋尊ほていそん神社を後にした杏奈あんな上数珠うわじゅずの噂のマンションの前にいた。

 マンションは四階建て。四角く中庭を囲むような作り。


4階 4部屋(分譲)

3階 4部屋(分譲)

2階 8部屋(賃貸)

1階 管理室・ロビー・ジム・カフェスペース


 杏奈あんなはマンションの入口で出入りする住人に声を掛けるが、なかなか話を聞かせてくれる住人は見付からない。

 すいませんと声を返して通り過ぎてくれるならまだいい。無言で通り過ぎる人がほとんど。しかも一様に誰も表情が暗い。疲れているように見えた。それが心霊現象のせいか、マスコミのせいか、そこまでは分からない。

 中の管理室の小窓から初老の管理人の鋭い視線まで感じる。


 ──……なかなかシビアだなあ…………


 周囲にマスコミ関係者は見当たらなかった。マスコミとは言っても、すでに注目しているのはローカル局のみ。取り上げた程度。新しい動きがなければ何度も取材に来ることはないだろう。

 杏奈あんなはいつものように、今回の事件も100%信じているわけではない。恐らく大半は小さな物理現象から生じた集団パニックだろうと考えていた。それでも未沙みさの話も気になる。大元になる原因はあるのかもしれないとも思っていた。

 マスコミで報道されている内容はラップ音や足音、金縛り、人影のようなものを室内で見た等、よくある怪談話レベル。ポルターガイストレベルならば水道管が原因のウォーターハンマー現象や建物の構造、低周波の作り出す振動、そういった物理現象で説明がつくものがほとんど。そこに集団の思い込みがプラスされると検証のしようがなくなるのでタチが悪い。結局のところは答えがはっきりしてしまうことがほとんどだが、どうにも未沙みさとの温度差を感じる。

 杏奈あんなが正直思うのは、現象が小さ過ぎること。


 ──……明日電話作戦しても難しそうだなあ…………


 せっかく賄賂わいろを使ってまで住人リストを手にしたが、あまり成果に繋がるとも思えなかった。


 ──……一旦引くか…………


 杏奈あんなは今夜の宿を求めて中数珠なかじゅずの駅前まで移動した。

 ビジネスホテルが一つ。カプセルホテルが数カ所あるだけ。決して観光客が来るような土地柄ではなかった。とはいえ、再開発に向けていくつかのホテルの建設予定はあるらしい。

 今夜はそれほどお金を掛ける理由もない。杏奈あんなは迷わず手近なカプセルホテルに入った。

 決して真新しい印象ではなかったが、料金もそれに見合った場所。

「女性専用のフロアありますけど」

 若い受付の男が、パソコンに向いたまま慣れた感じで言う。

 もちろん杏奈あんなもそれが目当て。

「そうですね。そこでお願いします。チェックアウトの時に領収書もらえます?」

 その杏奈あんなの言葉に、受付の男も慣れた返し方。

「いいですよ。マスコミの方ですか?」

「ああ……分かります?」

 やっと男は顔を上げて返した。

「マスコミの人って独特なんですよね。なんとなく雰囲気が。変わった人が多い感じだし…………少し前まで多かったですから……あのマンションでしょ?」

「ええ、まあ」

「少し前も東京から来たって人たちいましたけど、あまりネタにならないってグチこぼして帰りましたよ。最近じゃおはらいしたっていうみこ女さんが大袈裟に騒いでるだけじゃないかってみんな言ってるくらいで。あの人もやたらとテレビ出てたし」

「そうなんですか…………」


 ──……テレビに出た話はしてなかったな…………


 そう思いながら杏奈あんなが続ける。

下数珠しもじゅずっていうエリアの……古い墓地の横の神社ですよね?」

「そうそう。ああ、でも取材に行くなら気を付けたほうがいいですよ。〝しも〟は治安も悪いし…………みんなあそこに住んでない限りはあまり近付きませんからね」


 ──……やっぱり差別意識があるのか…………


「そういえば、あの幽霊マンションってお寺があった所って聞きましたけど」

「話に聞いたことはあるけどホントかどうか……よく聞くじゃないですかそういうの。人が呪い殺されたりしない限りホラー映画のネタにはならないんじゃないですか」


 ──……熱が冷めてる感じ…………今回は小ぶりな記事で終わりかな…………


 翌朝、杏奈あんなは早目にチェックアウトをしようと荷物をまとめた。

 地元のマスコミに直接掛け合って情報を集めようと考えていた。

 地元のテレビ局の報道映像は見ていた。住人数名のインタビュー映像を見せてもらった上で、テレビ局経由ならインタビューも可能かもしれないという可能性に賭けるしかない。

 もちろんこのまま帰る気にもなれなかったというのが本音だった。

 未沙みさの話も興味深かったが、おはらいをしたというだけで直接的に幽霊マンションに繋がる話は少ない。土地の歴史が分かっただけで充分だと思えた。

 財布と名刺を手に受付に向かった。

 まだ早い時間。受付周辺に人は少ない。受付の奥には昨夜の若い男。あのまま夜勤だったのだろう。

 その男は杏奈あんなの顔を見るなり、目を丸くして先に声を掛けてきた。

「ああ丁度よかった。あれ見てくださいよ」

 男が指差す先にはカウンター奥の小さなテレビ。

 そしてそこには、


 〝幽霊マンションで焼身自殺〟


 の文字。

「ホラー映画っぽくなってきましたよ」

 そう言ってニヤニヤとする男を無視し、杏奈あんなはカウンターに一万円札を置いた。

「チップ込みで。お釣りはいらない」

 杏奈あんなは領収書を受け取ってホテルを飛び出していた。

 車を停めていた平面駐車場までが遠く感じる。

 杏奈あんなは高ぶる気持ちを抑えながら、上数珠うわじゅずまでの坂道で車を走らせる。それでも朝。出勤時間と重なったのか、なかなかすぐには到着出来ない。

 その坂は通称〝数珠じゅず通り〟と呼ばれた。上数珠うわじゅずから下数珠しもじゅずまで一本の坂の道で繋がるのはその道だけ。

 苛立ちながらもやっとマンションが見えてくると、そこにはパトカーが三台と救急車が二台。マスコミのワンボックスが一台と軽自動車が数台。マンション前の広い道路を埋め尽くしていた。

 杏奈あんなも便乗する形で道路脇に車を停めた。


 ──……どうしてまだ救急車があるの? しかも二台…………


 近付くと、現場の緊迫度が伝わってくる。

 何度も警官と救急隊員が出入りしていた。


 ──……焼身自殺だけじゃないの?

 ──…………これじゃ簡単には入れそうにないな…………


 周りに目をやると、道路にはテレビ局のワンボックス。さっき中継をしていた局のようで、大きなカメラを下げたカメラマンとマイクを持つ女性アナウンサー。

 杏奈あんなは迷わなかった。

「さっき中継してたのって…………」

 そう言いながら、出来るだけさりげなく名刺を差し出す。

 二枚。いつものフリーライターとしての名詞と、出版社付きの名詞。こういう時は大きな会社の名前を出したほうが色々と仕事がしやすい。経験で杏奈あんなも分かっていた。

 すると名刺を受け取った怪訝けげんな表情のカメラマンの手からその名刺を取り上げる手。ワンボックスの中から。そして中年男性が顔を出す。

岡崎おかざきさんのとこだな」

 その男性は鋭い目のままに口元に笑みを浮かべた。

 杏奈あんなは反射的に返す。

「ご存知なんですか?」

「昔だけどな。新聞社時代に世話になったよ……こうなりゃ無下むげには出来ねえ」

 すると男性は話を聞いていた女性アナウンサーに顔を向ける。

「────カナちゃん、説明してやってくれ。こっからの取材は面倒なことになりそうだ。情報収集も難しくなるだろうしな」

「ありがとうございます。助かります」

 杏奈あんながそう言って頭を下げると、隣のカメラマンの表情が緩む。

 そして若い女性アナウンサーが説明を始めた。

「ご遺体はもう運ばれたみたいなんですけど、他にもトラブルがあったみたいで…………」

「トラブル? 焼身自殺って聞いてましたけど…………」

「ええ……そのご遺体の他に自殺未遂が一人と…………暴れてる人もいるって管理人さんが言ってました…………さっきの中継の後に聞いて…………」

 その時、入り口からの大きな音に全員が顔を向ける。

 救急隊員が担架と共に現れた。二台。一つは顔にまでシーツが被せられ、一つは痙攣けいれんをしている女性。

 現場の緊迫感が上がる。

 さらに上から女性の悲鳴。

 全員が見上げると、三階の部屋のベランダで叫びながら飛び降りようとする女性。それを止める男性の姿。

 警官が数名ロビーに走る。

 杏奈あんなの側ではカメラマンがいつの間にかカメラを回していた。

 そして杏奈あんなはスマートフォンを取り出す。

 指を滑らした。

「あ……緊急です…………洒落にならないオカルト話かもしれません…………」





 中数珠なかじゅず

 数珠じゅず警察署。

 町の規模の割に建物が大きいのは町役場と同じだった。

 殺人事件ではないが、さすがにパトカーの出入りは多くなっていた。

 そのためか、タクシーは警察署入り口の少し前で停まる。

「お姉さん、何だか随分とパトカーの出入りが凄いよ。道路脇にまで停まってるし……ここでもいいかい?」

 タクシーの運転手が溜息混じりにそう言うと、センターコンソールに一万円札が一枚。

「いいわ。運転手さん優しいからお釣りは取っといて」

 そう言ってタクシーを降りたのは────西沙せいさだった。

「すいません、ありがとうございましたー」

 その運転手の声を背中で聞き、続けてドアが閉まる音。

 西沙せいさは警察署の建物を見上げた。


 ──…………ふーん……無駄な威圧感にも意味はあるんだろうけどさ…………


 門までは五〇メートルもあるだろうか。

 歩き始めると足音が高く鳴る。黒いゴスロリに合わせた黒いローファーは最近買った物。


 ──……この靴、やけに音がうるさいのよねえ…………


 そんなことを思いながら門から入ると、玄関部分の自動ドアの左右には警官が二人。

 西沙せいさは堂々と警官に近付く。怯んだ警官も無理はない。あまり目にすることのないゴスロリ姿が、鋭い目で靴音を響かせながらズカズカと向かってくる。

 その西沙せいさが足を止め、警官の一人に顔を振った。

上数珠うわじゅずのマンションの警察発表はまだやってるの?」

 警官はまだ若い。西沙せいさの勢いに完全に押された返答をする。

「……え、ええ……そうです…………」

「マスコミの人たちは?」

「あ、はい……来てました…………」

「そう、分かった」

 西沙せいさが一歩足を進めると自動ドアが開く。

 そしてその向こうの奥。

 そこには杏奈あんなの姿があった。

「あ! 西沙せいささん!」

 なんとなく、反射的に西沙せいさは溜息をく。

 そして杏奈あんなが駆け寄る。同時に何人ものマスコミ関係者が外に溢れた。

「今終わりました。早かったですね」

 杏奈あんなの表情は決して明るくはない。深刻さが伺えた。西沙せいさは他のマスコミの人間たちとは違う印象を感じていた。

 もちろん西沙せいさ杏奈あんな以外のマスコミの人間とも仕事をしたことはある。その度に感じる違和感はやはりこの町でも同じだった。あまり感情を感じられない。そのほうがいいのだろうかと考えたこともある。

 杏奈あんなは違った。西沙せいさから見ても感情の塊にように見える。杏奈あんな自身が〝自分はジャーナリストには向かないかもしれない〟と言っていたことを西沙せいさも覚えていた。


 ──……なにか分かる気がする……だからフリーか…………


「行きましょう。説明します」

 杏奈あんなの真剣な目に、西沙せいさは黙って頷いた。





 中庭に悲鳴が上がった。

 いつもの朝。

 まだ真夏までは早い。朝も過ごしやすい季節。その日も穏やかな朝のはずだった。

 一人の女性の悲鳴に、空気が引き裂かれる。

 まばらに部屋を出た他の住人の目に入るのは、中庭から上がる僅かな煙。

 見下ろした視線の先にある炎は大きなものだった。

 しかもその炎は中庭を激しく動き回る。

 歩いていた。

 両手を振りまわし、体をのけぞらせる。

 一人の住人が風呂場のタライで水をかけた。しかし炎は動き回る。別の住人も続けて水を落とすが、炎の根を消すことが出来ないままに、それでもゆっくりと炎の動きが鈍くなった。

 その時、一気にその炎が消える。

 横には大きなバケツを持った管理人の姿。

 辺りには煙と嫌な匂い。

「救急車呼びましたから‼︎」

 息を切らした管理人の叫び声にも、住人たちの気持ちは落ち着かない。

 緊迫感が全体を包む中、次の悲鳴。

 二階の廊下に女性が飛び出す。

「──夫が…………夫が…………────!」

 隣の部屋の住人が中を覗くと、そこには首を吊った男性の姿。

 すると、三階の廊下に飛び出した別の男性が叫ぶ。

「──妻が倒れた! 救急車を呼んでくれ!」

 緊迫感が生む静寂が、ザワつきに変わった。

 静かなパニックが生まれる。

 管理人は再び受話器を手に取った。





 地元のテレビ局も中数珠なかじゅずにあった。

 そこのロビー。小さなテーブルが五つあるだけのカフェスペースに杏奈あんな西沙せいさはいた。テーブルの数の割にはやけに自動販売機の数が多い。

 西沙せいさが椅子に腰を下ろすと、いつものように杏奈あんなは自動販売機で缶コーヒーを二本買う。西沙せいさの前に置くと、その向かいに腰を降ろして大きく溜息をいた。

「偶然だったんですけど、ここのディレクターさんが私の依頼先の編集長の知り合いでして」

 缶コーヒーを開けながら杏奈あんなが説明を始めると、首から社員証を下げたテレビ局の人間が近付いてきたかと思うと、無言で杏奈あんなに紙を一枚渡す。

「どうも」

 杏奈あんなも冷めた感じで受け取った。

 杏奈あんなはしばらく用紙に目を通す。

 そこに西沙せいさが言葉を投げる。

「相変わらずマスコミの人間ってぶっきらぼうよね」

「感情の塊じゃ仕事になりませんよ……あのくらいが丁度いいのかもしれません…………幽霊マンションの話に関してはさっき説明した通りなんですけど、とうとう犠牲者が出てしまったので、ここまでくるとさすがに…………」

「まあね。典型的な集団パニックだとは思うけど、いきなり死人が二人も出るとね」

「三人になりました…………さっき話した痙攣けいれんして運ばれた女性…………死因は脳梗塞ってことになってますけど」

 杏奈あんなが受け取ったのは犠牲者リストだった。三人分の氏名と住所、仕事について等、個人情報というものは意外に多い。

 杏奈あんなはそれを西沙せいさに渡す。西沙せいさも目を通すが、特別何かを感じるわけではない。

「呪いで殺されたってするには無理があるね…………自殺の原因だってこれからでしょ? 単純に理由があった可能性だってあるし…………一度見てみるしかないか…………」

 西沙せいさはそう言うと、多目にコーヒーを喉に流し込んだ。

 そこに杏奈あんなが返す。

「昨日、マンションのおはらいした巫女みこさんに会いましたけど、会ってみますか?」

「そっちは萌江もえ咲恵さきえに任せて大丈夫」

 その西沙せいさの言葉に、すぐに杏奈あんなは身を乗り出す。

「え⁉︎ 来てるんですか⁉︎」

「だから早く来れたのよ。布袋尊ほていそん神社には二人が行ってる」

「じゃあ、あの神社って…………」

「うん…………清国会しんこくかい…………」





 萌江もえ咲恵さきえが神社を訪れたのは朝の終わり頃。

 そこは小さな神社だった。鳥居も取り立てて大きくはない。古めかしさはあったが、それは決して嫌な印象を伴うものではなかった。

 鳥居の前に車五台ほどの駐車スペースがあったが、咲恵さきえの車以外には無い。

 聞いていた通り、横には古い墓地が広がる。確かに墓石も古いものばかりだ。それでも今でも整備された印象のある場所だ。明らかに人の手が入っている。

 辺りにほのかに残る線香の香りが、不思議と二人の気持ちを落ち着かせた。

「……いい場所だね…………空気が綺麗…………」

 車を降りてすぐに咲恵さきえがそう言うと、萌江もえもすぐに返した。

「うん…………ここに嫌なものは存在しない…………」

 鳥居から続く石畳も長くはない。すぐに本殿。周囲に背の高い木が無いせいか、狭い土地とはいえ開放感はある。

 建物は奥に長い。奥は住居スペースも兼ねているのだろう。

 賽銭箱を通した本殿の板戸は解放されていた。奥が伺える。板間に小さな祭壇と、その前に座布団が一つだけ。

 萌江もえ咲恵さきえは近付いて中を覗き込んだ。綺麗に掃除され、几帳面な人間が管理していることが細かい部分からも感じ取れる。

「空気が綺麗なはずね」

 そう言った咲恵さきえの表情が緩む。

 それまでの清国会しんこくかいの神社も決して汚れた印象があったわけではなかったが、空気がまるで違った。ここは誰かが仕事として綺麗にしたものではない。意味を持って、感情を持って掃除がなされていた。

 気持ちがこもっていた。

 二人が、ここが清国会しんこくかいの拠点であることを一瞬忘れそうになるほど。

 その時、小さな足音が聞こえた。

 若い長身の巫女みこ────未沙みさが奥から姿を現す。

 未沙みさは少し驚いた表情を見せながらも、すぐに二人に満面の笑顔を向けた。

「どうぞ、ゆっくりなさって下さい」

 〝けがれ〟のない笑顔。

 しかし、そこに二人は〝影〟を見た。

 最初に言葉を返したのは咲恵さきえだった。

「あの……実は…………少し聞きたいことがありまして…………」

 この時、未沙はマスコミがマンションの話を聞きに来たのだろうと単純にそう思った。しかし未沙みさはそれを決して嫌がらない。どんな形からであれ、再開発計画を修正して墓地を守ることしか頭にはなかった。

「よろしいですよ。どうぞお上がり下さい」

 未沙みさはそう応えると、本殿の隅にある座布団を二つ、祭壇の前に並べて続けた。

「今、お茶お持ちしますね」

 そう言って奥に戻る。

 終始笑顔の未沙みさに、二人は完全に調子を狂わされていた。

 それでも気を張り続けながら、二人は座布団に座る。いつものようにロングスカートの咲恵さきえは正座をするが、パンツスタイルの萌江もえはやはり胡座あぐら。程なくして戻った未沙みさが辿々しく二人の前にお茶を出すと、煎茶の柔らかい香りが広がった。

「他にこの神社の方は…………」

 咲恵さきえのその質問に、未沙みさは僅かに目を曇らせて応える。

「いえ、今は私だけです…………両親は去年交通事故で…………」

「そうでしたか……失礼しました」

「いえいえ、小さな神社ですから……一人でも別に困りことは御座いません」

 明るく笑顔で返すが、未沙みさの目の曇りは消えない。

 咲恵さきえは気になりながらも質問を続けた。

「でもこの町には他に神社は無いと聞きましたから、色々とお忙しいんじゃありませんか?」

「たまに地鎮祭とかおはらいとかは頼まれますが、小さな町ですから…………マスコミの方ですよね。噂のマンションのことですか?」

 未沙みさはそう応えて小さく身を乗り出す。

 僅かな違和感を覚えた咲恵さきえの言葉がにごった。

「いえ…………私たちは…………」

 直後、隣の萌江もえが口を開く。

「単刀直入に〝清国会しんこくかい〟のことについて、聞きたいの。ここは清国会しんこくかいの重要拠点の一つのはずだけど…………」

 未沙みさは驚いた表情を浮かべながらも、懸命に言葉を選んだ。

清国会しんこくかいですか…………確かに清国会しんこくかいの方々にはお世話になっております。私の曽祖父がこの神社を建てる時に助けて頂いたそうで…………それから……ですが、重要拠点など……こちらは田舎の小さな神社ですから…………」

 嘘をついているようには見えなかった。

 言葉に〝にごり〟が感じられない。


 ──……本当に知らないのかもしれない…………


 そう思った萌江もえが言葉を投げる。

清国会しんこくかいについて知ってることは…………?」

互助会ごじょかいのようなものと伺っております。この神社にはこの町のご先祖の墓地を管理する役目もございますので、費用の面でも助けて頂いているんです。まあ……それなりですけど…………」

 そこに咲恵さきえが挟まる。

「では…………水晶のことはご存知ありませんか?」

「……水晶…………ですか?」

 不思議そうな表情の未沙みさを前に、咲恵さきえはネックレスを外して左手に絡めた。腕を伸ばして水晶を未沙みさの前へ。

 僅かな陽の光が、水晶の小さな光の粒に反射する。

 未沙みさ咲恵さきえてのひらの上の水晶を覗き込んで口を開いた。

「……いえ…………私は存じませんが…………」

 咲恵さきえは腰を浮かせると、膝をついたまま未沙みさの隣へ。驚く未沙みさの手に水晶を重ねるように左手を乗せた。

 未沙みさの感情が咲恵さきえの中に流れ込む。

 咲恵さきえは目を閉じながら、小さく。

「……この子は…………真っ黒……………………」

 萌江もえも二人に近付き、咲恵さきえの手に触れた。





              「かなざくらの古屋敷」

    〜 第十七部「数珠通りの坂」第3話(第十七部最終話)へつづく 〜

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