第十六部「丑の刻の森」第2話 (修正版)
神社の周りが薄らと雪に覆われる頃。
よく言えば昔ながら。
昔ならばそれだけで済むが、現代は出産届け等もあり、行政への手続きもある。
しかし、代々その手続きはしていない。
いわば、戸籍の無い一族。
誰が死んでも、死亡届けの必要も無い。
子供が産まれても学校には通わせず、誰もが神社だけで育てられる。
食料は裏山で採れる山菜や野草、木の芽、近くの川で取れる魚。
どうしても必要なものがあれば、定期的に顔を見せる他の神社の人間に頼む。もちろんその神社は
人が入ってこない深い森を有する山奥。
そうまでしても、
山に巣食う〝念〟が必要だった。
その〝念〟を守る為に、その一族が必要だった。
しかし遥か昔から〝
〝妊娠の為の男〟以外は不要とされた。
一族の娘が年頃になると、
一族に必要な娘は一人だけ。その娘を全力で守る。必要以上の人数は余裕を生み、その力を削ぐ。
しかし、
自分が望まれていないことを知っているかのように、あまり大きな声では泣かなかった。
母である
「では
出産に立ち会うことが許されない
隣には手足を僅かに動かしながら、小さく途切れ途切れに声を上げるだけの子供。未だ
──…………子供じゃない…………私の子じゃない…………
それを子供の顔に押し付ける。
タオルから手に、手から体に、命の抵抗を感じた。
鼓動を感じた。
暴れる子供の小さな手が、
──……小さな手…………小さな足……………………
──…………人じゃない…………
──……私が産んだ赤ちゃんなんかじゃない…………
やがて、静かになった。
もはや手も足も動かない。
鼓動も感じない。
それでも、僅かな温もりだけが
体が震え始めた。
──…………どうして……涙が出るの……………………
障子を開け、板戸を開けると、外は薄暗い。時間は
出産直後。
体力はほぼ無い。
ゆっくりと足を前に出した。
小さな石や枝が足の裏に刺さるが、もはや
それでも足の間を流れ落ちていく何かだけは感じる。
ただただ歩き続け、無心になろうと努める。
──…………母上も…………同じことをしたの…………?
それでも右手に抱いたタオルの塊から、まだ温もりを感じた。
周囲から夥しい数の視線を感じる。視線を忙しなく配るが、目に映るのは月明かりに照らされた
まるで何かを吸い込むような暗い洞窟の入り口。
四つん這いになり、右手に子供を抱き、左手で足元を触りながら進み、穴を探す。
大きな
目を凝らすと、ゆっくりと闇の塊が現れる。
人間の命を奪ったのも初めて。
──…………ごめんね……………………
罪悪感を認めた時、
聞こえるのは、僅かな傾斜を滑り落ちていく音。そして、小さく鈍い音と共に、静かになった。
外に出ると、空気が違った。それまでの重い雰囲気は無い。
何度か往復すると、マッチに火を灯す。しかし
洞窟の中に紛れ込んでいた細い枯れ枝を使い、やっと火が広がる。
途端に、暖かさを感じた。
それから一年と少し。
春の香りを感じる頃。
病院に行くわけではない。性別が分からないまま、日々と共に不安だけが増していく。
大きくなっていく自分のお腹に、喜びは無い。
やがて、
笑顔が浮かびかけた
──……この子にも……同じ運命を背負わせる…………
そこに
「……よく頑張りましたね…………この子は我らの運命を継ぐ子です…………大事に育てていくのですよ…………」
しかし、この後のことは言わなかった。
一週間以内にしなければならないことがある。
それは体力がいること。
そして、相手は子供とは違う。
出産から五日後。
夜。
久しぶりに登る緩い山肌。
夜になると空気が重い。
独特の息苦しさを感じる。
子供の頃から、森の
月に一度ほどの頻度で、深夜に釘を打ち付ける音。
しかしその誰かが去っても、そこには〝念〟が残される。残され続けた。決して消えない。
足が重い。
山を覆う〝何か〟が足に絡みつく。
洞窟の入り口はすぐそこ。
今回は
持ち物は懐中電灯とマッチ、そして
遥か下に、小さな懐中電灯の灯りがチラつく。
その登ってくる夫を待つ間、不思議と
──……あの時とは違う…………愛情なんかない…………
「…………お待ちしておりました」
肩で息をする
「……ここには……来てはいけないと聞いていましたが…………」
「……はい…………今夜は特別な儀式がございます…………お手伝いをお願い致したく、ご足労願いました」
「…………そ……そうでしたか…………」
「どうぞ、中へ…………」
初めての暗い洞窟に圧倒されながらも
しだいに天井が低くなった。
腰を落としながら、膝も曲がったまま。
やがて、
「深い穴ですね…………この穴は…………」
首を回すが、隣にあったはずの
両手に
それを
低い呻き声を出しながら、
両足を伸ばしたその体に、
時間が掛かった。
〝あの時〟とは違う。
そして、やがてその体は静かになった。
それでもすぐには
何も聞こえない。
聞こえるのは自らの激しい鼓動だけ。
息苦しかった。
いつの間にか呼吸が荒い。
すぐにバケツを手に、スコップで土を掘る。
いくつもの視線を感じた。大量の視線が交互に迫ってくる。
──……私は悪くない……私は悪くない…………
一時間後、
火の粉を振り撒きながら、その灯りは周囲を明るく照らしていた。
もし、
☆
もう二ヶ月になる。
修行の毎日だったが、その大半は
それは
その計画の中心となったのは
しかし
そしてその夜も
やがて、
隣の
というより、動じてはいけなかった。以前にこうなった時、
そして、そのまま
「
意識はある。気を失っているわけではない。
荒い息遣いが痛々しかった。
「
とても会話の出来る様子ではなかった。まして見えた映像など今の
──……私はどうすればいいの…………
二人の母である
「これはこれは…………娘の様子を見に来ましたか?」
参道を歩く
「今は湖のほうの滝に行っております…………本殿で待っているがよい」
「左様でしたか……では失礼致します」
すると、すれ違いざま、
「
それでも、途端に不安が押し寄せる。二ヶ月の間、会えないだけではなく電話も許されなかった。今日は
大きく開け放たれているのは正面だけではない。左右まで板戸が開かれ、神社ならではの広大な開放感の中を爽やかな風が過ぎていく。
しかし
ただ強いだけではない。
しかしその正体は見えない。
ここで何が行われているのか、もちろん
それは変わらない。
相対する存在となっていることは事実。しかも
やがて、参道に背を向ける
小さく顔を向けると、視界の端に
そこに聞こえるのは
「
そして
しかし
体を回し、祭壇の前に座る
そこに
「……よくないな…………二人を育てたのはお前ではないのか?
「…………はい……」
その
「
その
「…………私なら……出来ます…………」
その声に、
そして小さく。
「…………言うか……」
「姉のサポートがあれば……私には出来ます。現段階で
事実だった。
もちろん
その
静寂が緊張を刺激する。
その静寂に混ざるのは、再びの
「……私が……………………
それに返す
「貴様
自分に迫るその姿に、
その背中の前で、
周囲の風さえ止まる。
動くのは、横で見ている
色々なものが目から
そして、最初に口を開くのは、
「……
その目に映るのは、怯えた表情の
「…………
そして
──……あなたにも…………迷いがあるのですね……………………
「分かった…………
それが再び響く。
「しばらくはお前も留まれ…………結果を楽しみにしているぞ」
☆
そこに辿り着いたのは早朝。
微かに空が明るくなっていた。
途中のサービスエリアの駐車場で僅かに仮眠を取ってはいたが、誰も満足に熟睡など出来ないまま。
「
「とすると、ガードレールの切れてる所が…………」
三人が目指す
ヒントになるものはネットの情報だけ。僅かだが、
頼りになるのは
幸い、
その痕跡が、
「ここですか?」
「……うん…………
「…………呼ばれなくても行くけどね。
「みんな……〝私〟に会いたいんでしょ…………出向いてやるよ」
すぐに道そのものが無くなることも分かっていた。しかし迷うことはない。目に見えない
一番後ろを歩く
──……
そして森の中を登り続けること二時間。
やっと三人の前に、石の階段が姿を表す。
幅は狭い。人一人がやっと。その左右を深い森が遥か上まで続いている。
すでに明るくていいはずの時間にも関わらず、暗い。
森の木々の高さが時間を隠す。
三人は息を切らしながら階段を見上げていた。
それぞれペットボトルの水を飲み込み、気持ちを休ませる。誰もが水の残りは少ない。それでも真夏でないことが唯一の救いだった。
すでにジーンズの膝から下とブーツは草木の
「……
そう静かに口を開いた
「
返すのは
「そう考えたほうが自然かもしれない。しっくりくる」
「
「今はね…………でも安心して。例え誰が出てきたって、〝私たち〟はあなたを全力で守る…………」
しかし、そんな
──…………
「
「────だから────」
そして続ける。
「……だから…………私も…………
すると、
「…………うん…………」
一度
すると、背後から
その
「……大丈夫ですよ…………私たちなら…………大丈夫です…………」
張り詰めた何かが緩んでいく。
それに合わせたかのように、緩やかな風が吹き始めていた。
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十六部「丑の刻の森」第3話(第十六部最終話)へつづく 〜
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