第七部「猫の目」第2話 (修正版)

 すでに国元くにもとは焦土と化しているだろう。

 国を追われておよそ一月ひとつき

 五人の落武者たちは、どことも知れない山の中を歩き続けていた。

 途中で立ち寄った村では命を脅かされた。

 しばらく何も食べていない。

 川で魚を捕まえる体力も残っていなかった。

 川の水と雑草だけで命を繋いでいた。

 夜が明けた頃、一人が大木の側で目を覚ますと、目の前には一匹の黒猫の姿。

 捕まえて食べてやろうかと思った。

 しかし簡単には捕まらない。

 他の四人を叩き起こして五人で追いかけるが、体力の落ちた五人には一匹の猫を捕まえることすら難しい。

 猫は少し進むと止まり、また少し進むと止まり、その度に五人を確認するかのように振り返って進み続けた。

 やがて五人の前に小さな村が現れる。

 猫の姿はすでに無い。

 その村の人々は優しかった。

 村人は空いていた蔵に招き入れ、落武者に食事と酒を提供して匿った。

 そして夜。

 落武者が寝入ったところで五人を蔵に閉じ込める。

 その夜の内に村人の一人が城下町まで走った。

 奉行所に駆け込む。

 翌朝には捕まった落武者たちは城まで連行され、そのまま打首となる。

 切腹すら許されなかった。

 そして村人たちは大量の賞金を得る。

 しかし二日後の夜、村人の一人が黒猫に咬み殺された。

 その翌日には二人目が噛み殺される。

 一晩に一人ずつ、合わせて五人が殺され、村人はやっと黒猫を捕まえてそのまま殺した。

 猫のたたりを恐れた村人は、村の一角に猫の墓を作り、その横にほこらを建てて祀った。

 そのほこらは〝猫神様ねこがみさま〟と呼ばれた。

 村のおさほこらを守っていくことになったが、それから百年あまり。

 いつの間にかほこらでの催事事さいじごともおざなりになっていた。

 村のおさ末裔まつえいはある時から黒猫と落武者に殺される夢を連日見るようになる。

 そしてたたりを恐れ、一族を連れて村を去った。

 それ以来、村人がほこらを守り続けていた。





「けっこういいホテルでしょ?」

 バイキング形式の朝食を三人で囲んでいると、なぜか自慢げな西沙せいさがそう言って笑顔を浮かべる。

 クロワッサンをちぎりながら向かいの萌江もえが返した。

「まさか西沙せいさと同じホテルだなんて……どうせテレビ局に用意してもらったホテルなんでしょ?」

 駅前のビジネスホテルということだったが、ロビーだけを見ても豪華な作りだった。場所的にリゾートホテルではないと言うだけで、規模もクオリティもそれに匹敵する。まだ作られて新しい。そもそもが市の再開発の一部として建設されたホテルでもあった。

 朝食のバイキングスペースにしても、中庭から大きなガラスを通して入り込む陽の光が程よく暖かい。

「まあね。ご飯も美味しいし部屋は綺麗だしお洒落なラウンジだってあるし…………何かあった時に同じホテルのほうが動きやすいでしょ」

「そうだけど…………」

 そう言ってコーヒーを一口含んだ咲恵さきえが続ける。

「あまり私と萌江もえが表に出るわけにはいかないのよ」

「それなら心配ないよ。最近私、人気無いし。派手なパフォーマンスする霊能者のほうがテレビ的には受けがいいんじゃない?」

「なるほどね」

 そう言って咲恵さきえはフォークでスクランブルエッグを一口。

 隣の萌江もえは厚切りのベーコンを一切れ頬張ってから口を開く。

「郊外の開発工事って今は止まってるんでしょ? 今日はとりあえずそこに連れてって。その村…………まずはそこを見てからじゃないとね」

「分かった。そうするとレンタカーだね。手配しとく。他に用意するものは?」

「そうだね…………キャットフードかな」

「は?」






 駅前からは車で一時間以上の道のり。

 山へ向かい、そこに辿り着くまでの道路だけは立派だが、周囲に何かがあるわけではない。典型的な切り開かれた山。その山沿いに不釣り合いな広い道路が続く。中断された工事現場が広がる場所が、話の通りに転々と転がっている印象だった。ガードレールも未だ所々。

 天気の良さが唯一の救い。それでも冬の雲。それだけでも涼しげだ。

 しだいに標高が高くなってきたからか、車内の暖房もしだいに数字を上げざるを得ない。気が付くと周囲に僅かに残る木々の動きに風を感じるようになってきた。

 レンタカーを運転していた西沙せいさが口を開く。

「もう少ししたら舗装してない道に曲がるよ」

 やがて西沙せいさが右のウインカーを点けた。

 すぐに砂利道の振動が車全体に伝わる。

 先に口を開いたのは咲恵さきえだった。

萌江もえ

「ん?」

「朝食…………コールスロー美味しかったわね……」

「ポテトサラダも美味しかったよ……」

「明日は和食?」

「そうだね……そんなに長居するわけじゃないから色々なバリエーションを楽しまないと……」

 すると運転席から西沙せいさの声。

「緊張感が無いんですけど」

 さらに山道を三〇分。

 途中の道路脇の資材や重機を横目に辿り着いたエリアは、まだまだ起伏が激しい。

 いくつか古い建物が解体途中で残されているのが視界に残る。

 三人が車を降りると、最初に動き始めたのは萌江もえだった。無言で突き進む萌江もえに、咲恵さきえ西沙せいさも無言で着いていく。

 しばらく歩いたところで、萌江もえは足を止めた。

 周囲は掘り起こされたままの剥き出しの土がほとんど。雑草すら所々。

 何の目印も無いようなところで萌江もえはしゃがみ込む。首だけで振り返ると西沙せいさに声をかけた。

「買ってきてくれたキャットフードお願い」

 西沙せいさは小さなレジ袋をカサカサと言わせながら近付いた。その中から取り出した小さなパックを萌江もえに手渡す。

「小さいのだけど、こんなので大丈夫だよね」

「バッチリだよ。レジ袋も頂戴」

 萌江もえは受け取ったレジ袋を裏返しにして右手に被せると、それで土を掘り始めた。そして小さく掘った穴にパックの中身を開ける。軽く土をかけると、レジ袋に空のパックを入れてコートのポケットに押し込んだ。

 立ち上がって呟く。

「ここだね…………ほこら…………」

 すぐ横で西沙せいさが手を合わせていた。

 萌江もえ咲恵さきえに振り返って手を伸ばす。

咲恵さきえ、来て」

 近付いた咲恵さきえ萌江もえの手を握った。

 同時に全身に何かが流れ込む。


 ──……………………重苦しい…………


「……古いね…………」

 思わず咲恵さきえは呟いていた。

 そしてしばらく目を閉じ、眉間みけんにシワを寄せる。

「大丈夫?」

 そう声をかける萌江もえ咲恵さきえは小さくうなずくが、同時に繋いでいた手に力を込めていた。

 やがて口を開く。

西沙せいさちゃん…………あなたの言ってることは正しかった…………やっぱり〝御伽噺おとぎばなし〟だ…………」

 心配そうに顔を向ける西沙せいさに、咲恵さきえも視線を振って続ける。

「……ここに残ってる〝ねん〟は…………みんなが思ってるより深い…………」

 そこに萌江もえが繋げる。

「うん…………だから早く終わらせなきゃ…………西沙せいさ、行くよ」

 萌江もえ咲恵さきえと手を繋いだまま車に向かった。その後ろを小柄な西沙せいさが小走りで追いかける。

 すると三人はほぼ同時に気が付いた。

 レンタカーの後ろに、随分とレトロな車が停まっている。


 ──こんな山の中でチャールストン?


 そう思った萌江もえはすぐにそのエンジンの音がオリジナルの物ではないことに気が付いた。

 そのエンジンが止まり、後部座席のドアが開くと、降りてきたのはこの季節に似つかわしくない紫のワンピースに薄手の白いロングコート。背の高い細身の女性。ツバの広い帽子のせいで見えるのは口元だけ。小さ目のハンドバッグだけを肩から下げ、レンタカーの横で立ち止まる三人の横を素通りしていく。

 そして萌江もえは振り返らずに声をかけた。

「────チグハグだね…………」

 砂利道の上の女性の足音が止まる。

 萌江もえが続けた。

「レトロなシトロエンのチャールストンなのにエンジンはフォードの六気筒。そもそもこの時期に乗るような車じゃないよ。寒くて仕方ない…………それなのに薄手のロングコートを重ねただけのワンピースに高いヒール…………歩きにくいよ。ここはまだアスファルトとは無縁な場所だ」

 咲恵さきえも何かを感じているのか顔色ひとつ変えていない。唯一不安気な表情を浮かべているのは西沙せいさ萌江もえとワンピースの女性の背中に交互に視線を配る。

 萌江もえがさらに続けた。

「霊能力者の観光だったら尚のこと…………服装は選んだほうがいいね」

 萌江もえはそれだけ言うとレンタカーの後ろに咲恵さきえと乗り込む。慌てて西沙せいさが運転席に座ってエンジンをかけた。

 さっき聞こえていた後ろの車に比べるとそのエンジン音は静かだ。

 西沙せいさは小さくUターンをして車を進めた。通りすがりに見ると、レトロな車の運転席には黒いスーツの男性。そこそこ高齢に見えた。

 萌江もえは小さく溜息をいて西沙せいさに声を掛ける。

「さっきの人…………同業でしょ?」

「ああ……うん…………」

 歯切れの悪いまま西沙せいさが続ける。

「けっこう最初の頃から来てた人だけど、最近は私と一緒で人気ないよ。テレビでも見なくなったな…………私も会ったのは初めて」

「私たちより年上。四〇代半ば。そこまでは見えたんだけど、あの人…………私が話してる途中で〝壁〟作ったよ…………気付かれたかも……」

「気を付けないと…………」

 そう呟いたのは咲恵さきえだった。

 萌江もえが返す。

「そうだね……それなりな人も来てるみたいだ…………」





 三人は一度ホテルに戻る。

 一階のカフェ。高い天井だけでなく、テーブルとテーブルの距離がさらに開放感を演出する。床とテーブルのダークブラウンの色調が落ち着いた雰囲気を押し上げていた。

 萌江もえ咲恵さきえはいつも通りコーヒー。西沙せいさだけはハーブティーを飲みながら話を進めていた。

「改めて、これが犠牲者のリスト」

 そう言った西沙せいさが二人の前に分厚い紙の束を重ねる。

 軽くそこに目を通しながら、萌江もえが応えた。

「合併前の最後の住民っていうのが、今の現状を〝呪い〟だって言ってる人たちなんだっけ?」

「そう……五人……その前に集落から街に出た人たちは他にもいるみたいだけど…………そういう人たちって、あまり表立って関わりたくはないみたい。集落の出身だっていうのを隠してる人もいるみたいだし…………」

 すると、萌江もえは大きく溜息をいて返す。

「なるほどね。マスコミに出てるのも最後の五人だけってわけか…………」

「メインはその内の三人だけど、けっこうテレビには出てるなあ…………マスコミもネタが欲しいんだろうね」

「どうしてなんだろう…………どうしてカメラの前に出たいって思えるのかな…………敵を作る可能性だってあるのに…………」

 そう言う萌江もえの言葉に応えたのは咲恵さきえだった。

「自分たちは間違ってないと信じてるんでしょうね。だから支持されるはずだと考える…………訴えるだけじゃ、それを裏付けることにはならないのに…………まして〝呪い〟なんて目に見えないものなんて…………」

「〝呪い〟を裏付けて…………信じてもらおうとしたら…………どうするかな…………」

 その萌江もえの言葉に、しばらく、静寂が続いた。

 やがて、それを西沙せいさが破る。

「……嘘でしょ…………まさか…………」

 しかし萌江もえは即答した。

「犯罪者って…………よく喋るよ…………嘘で真実を上書きするためにね…………」

「いや…………だって…………」

「会ったことは?」

「……うん、一度話は聞いた…………」

「じゃあ、もう一度会えるかな」

「それはテレビ局に頼めば出来ると思うけど…………」

「その前に、全員の名前と生年月日、住所をリストアップして。住所は古い物もね。夕方までにデジタルデータで。PDFよりテキストのほうがいいな。マスコミとか行政って何かするとすぐにPDFだから気を付けるように。データはSDカードでもUSBのフラッシュメモリでもどっちでもいいよ。メールはやめて。マスコミの人間のアドレスは情報流出が怖い。同時に五人にアポもお願い。出来れば明日。でも今回はテレビ局は同席させたくないから西沙せいさから直接。出来る?」

「…………分かった」

 そう応えた西沙せいさの目には真剣さが浮かぶ。

 萌江もえの言葉は、時に緊張感を生むことを、西沙せいさも知っていた。


 夕方、テレビ局から送られてきたリストをタブレットで見ながら、萌江もえが頼ったのは杏奈あんなだった。

 タブレットの画面を見ながら萌江もえが通話を繋ぐ。

「データ受信出来た? この人たちのことを調べて欲しいの。そう、五人」

『これって…………もしかして今度は〝猫神様ねこがみさま〟の事件に絡んでるんですか⁉︎』

「うん、西沙せいさから。さすがに押さえてるね杏奈あんなちゃん」

『いいなあ、私も前から取材に行きたかったんですよ。でもお金は無いし取材費も出ないし』

「この五人の過去を色々と調べてくれたら杏奈あんなちゃんの三ヶ月分の給料は保証するよ」

『マジすか⁉︎』

「いいよ。どうせ取材って言ったってあと二日か三日で解決だしね」

『えー、もうちょっと伸ばしてくださいよー』

「そんなわけにいくかい。で? いつまでに調べてくれるの?」

『そうですねえ、五人とも同じ村だし…………明日の夜には』

「さすがフリーは顔広いねえ。なんで彼氏出来ないかなあ」

『余計なお世話です。依頼料は週末に取りに行きますのでよろしく』

「はいよ。いつも悪いね」

『いえいえお安い御用で』

 萌江もえが通話を切ると、バスルームの扉が開く音が聞こえた。

 続くバスローブ姿の咲恵さきえの声。

杏奈あんなちゃん? どうだって?」

 すると萌江もえは冷蔵庫から出した缶ビールを渡しながら応える。

「明日の夜までには揃えてくれるってさ。あの子は私たちが何を求めてるか分かってくれるから助かるよ」

 缶ビールの栓を開けながら咲恵さきえが返す。

「いい仲間が出来たね……今回は私たちも動きにくいし…………」

 そう言って大きくビールを喉に流し込む。

 萌江もえも一口ビールを飲んで応えた。

「そうだね。本来なら私たちみたいな裏の人間が関わる話じゃないよ。マスコミ関係が絡みすぎてる。でも同時に…………私たちじゃなきゃ無理だ」

「あんなもの見ちゃったしね…………もしかしたら本当に〝呪い〟かもって思ったよ」

咲恵さきえらしくないこと言わないでよ…………いつも通り、黒は黒、白は白」

「ほんの少しグレー……って感じ?」

「落とし所はそんな感じだろうね。でも、犯人は炙り出す。それが私たちの仕事」

 萌江もえは缶ビールを飲み干した。

 そして咲恵さきえの髪に指を絡めながら続ける。

「ご飯食べに行こうよ。駅前に良さげな居酒屋があったし」

「たまにはいいね。せっかく遠くまで来たし」

 しかし二人は、駅前の居酒屋で意外な人物と出会うことになった。





 その時間、家に誰もいないことは分かっていた。

 元々は地主の大きな家だったが、現在はひと昔前の栄華は誇っていない。街が大きく改変されていく過程で半ば強制的に土地は切り売りされ、資産そのものは大きく縮小していた。

 それでもかつて家主が起こした事業のおかげで近所でも有名な豪邸であることには変わらない。しかし何人もの使用人を抱えていた時代とは違う。豪邸とはいっても実質的には一部しか使用していないのが実情だった。

 お互いに六〇を目前に控えた家主夫婦と、もうすぐ四〇を迎えるその息子は五年ほど前に離婚したばかり。別れた妻との間に一二才の息子がいる。

 家の敷地はかなりの広さ。

 その敷地の奥、今では家の人間もあまり近付かないような場所に、二つの蔵があった。特別古い物ではないためか、どちらも蔵としては小ぶりな大きさだ。

 その日の夕方は雨が激しく降っていた。

 秋の大雨。

 学校からの帰り道に、その家の一二才の息子────久宝隆史くぼうたかしが屋敷の裏路地を経由して帰路に着くことは分かっていた。人通りも車通りも少ないために学校としては推奨してはいなかったが、何より家から学校までの距離が短い。

 そして誰もが視線を落とす大雨。

 拉致をするための条件は揃っていた。

 目隠しと猿ぐつわをされ、両手と両足を縛られた状態で、自宅の蔵の中に押し込まれる。

 本人にはそこがどこなのかも分からない。

 恐怖で泣き叫ぼうとしているのだろうか、その嗚咽おえつは猿ぐつわを震わせた。

 蔵の床にうつ伏せにされ、髪を掴まれる。

 目隠しが外され、目を見開いた直後、右目に何かが突き刺さる。

 猿ぐつわ越しの大きな叫び声と同時に、体が小刻みに震える。

 続けて左目に激痛が突き刺さると、その波が再び訪れた。

 すでに恐怖で痛みも遠ざかる。

 耳に小さく誰かの声が聞こえた。

「早くしろ! お前の仕事だぞ!」

 髪を掴んでいた手が離れ、顔が床に落ちた直後、再び髪を捕まれて頭を持ち上げられた。

 その手は大きく震えていた。

「やれ!」

 喉を何かが滑る。

 呼吸が詰まる。

 心臓の音が大きく響いた。





 地方都市と言ってもそれなりの駅だった。新幹線も通過する規模の駅で、隣接する駅ビルもそれなりの大きさだ。

 しかし駅前の開発はまだ半ばといった印象だった。駅前だからと言って特別街の中心になっているわけでもなく。街一番の繁華街までは少し距離がある。いずれはそこまでの道なりも開発対象となっているのだろうが、そういう中途半端な所ほど古い店が集まっていた。

 街がその風情を大事にしてそれそのものを売りに出来るか、もしくは新規の大手チェーン店だけで堅実な管理のしやすさをとるか、この街の未来を占う判断になるだろう。

 チェーン店の飲食店にも確かに良さはある。

 しかし、個人経営の店だから出せる〝技〟というものも事実としてあることを萌江もえ咲恵さきえも知っていた。二人が外で食べ歩く時には、いつの間にかそういう店を選んでしまっていた。

 良くも悪くも、二人は〝こだわり〟のないものは認められない性分なのだろう。

 本人たちも自覚はしていた。

 もっとも、お互いにそれを変える気はない。

 ただ、地元の常連ばかりが幅を利かせているような店はあまり好きではなかった。〝ビジネス〟と〝ホームパーティー〟は切り離して考えたいのが二人の主義でもある。

 そうすると、初めての街では気に入った店に出会うのは大体三軒目くらい。

 しかし、その夜は二軒目でその人物に出会う事になる。

 カウンターが一〇席ほど。テーブル席は四人掛けが四つ。

 古さはあるが、酔っ払った中年のサラリーマンだけが居座っているような店ではなかった。カウンターを含め、テーブル席にもOL風の若い女性客がいるほどだ。静か過ぎず、それでいて決してうるさくはない。初めてでも居心地は悪くない。

 萌江もえ咲恵さきえは敢えてカウンターに座った。

 居酒屋でのジョッキのビールはやはり家とは違う。雰囲気がそう感じさせるのか、おしゃれなレストランでのピルスナーグラスで飲むのとも違う。

 そして二人の数席隣で上がった声に、当然二人は耳を側立そばだてることになる。

「あんなもんただの町おこしみたいなもんじゃねえか。今の時代に〝呪い〟なんて」

「あれは本当だ…………〝猫神様ねこがみさま〟の呪いなんだぞ。この間もまた殺されたじゃねえか」

 見た目だけで言えば二人とも六〇はすでに過ぎていそうな初老の男性だった。

「そりゃそうかもしれねえけど、殺された奴は猫神様ねこがみさまと何の関係もねえじゃねえか」

「……いや……関係は、ある…………」


 ──……へえ…………


 話を聞きながらそう萌江もえが思った時、カウンターの中の従業員の女性が口を開いた。

洋三ようぞうさん……今夜は飲み過ぎだよ」

 常連客なのだろう。その女性の声は親しさを感じさせるものだった。萌江もえ咲恵さきえと年齢的には同じくらいだろうか。しかしその姿に、二人は影のようなものを感じていた。

「今夜はこのくらいで終わり。また膝痛くなるよ洋三ようぞうさん」

 その女性の言葉に、男性は僅かに声を荒げる。

「まだ〝呪い〟は終わってないんだぞ────」

 その時、咲恵さきえ萌江もえに耳打ちをした。

「……あの人……あの村の匂いがする…………」

「…………間違いないよ」

 萌江もえも小さく応える。

 そして初老の二人がブツブツと言いながら席を立ち、萌江もえ咲恵さきえの後ろを通ろうとした時だった。

 咲恵さきえが椅子を降りる。

 男の一人がよろける。

 咲恵さきえがぶつかりそうになりながら、その男の体を支えた。

「大丈夫ですか?」

「いやいや、すまねえすまねえ」

 二人はそのまま外へ。

 咲恵さきえはトイレへ向かう。

 その後、トイレから戻った咲恵さきえ萌江もえが声をかける。

咲恵さきえが色仕掛けとは珍しいねえ」

「あれって色仕掛けになるのかな?」

 そこに、カウンターの中から先程の女性が声を掛けてきた。

「さっきはすいません。すぐに熱くなっちゃう人で…………」

「いえいえ、全然」

 萌江もえがそう返した直後、隣に座っていた中年男性が挟まる。

恵美えみちゃんも大変だねえ。洋三ようぞうさんとは同郷なんだろ? げにも出来ねえもんなあ」

「ええ……まあ…………」

 女性の明らかに困った表情を見た途端に、萌江もえが食いついた。

「ああ、そうなんだ。それじゃあ仕方ないですよねえ……同郷なんだ…………」

 そこに隣の男。

「あの村だよ。猫神様ねこがみさまの」


 ──こういう便利なヤツって助かるわー


「ああ、あの…………」

 萌江もえの言葉に女性の表情が明らかに変わったことで、萌江もえは反射的に話題をはぐらかして軌道をズラしていた。


 ──……面倒なことになりそう…………


 そう思った萌江もえの膝の上の手には、咲恵さきえの手が重なっていた。





 パートの仕事が終わるのは午後三時半。

 短時間の仕事だが、夕方に主婦業をするにはちょうどいい。

 週に多くても四日。すでに春子はるこは一〇年近く働いていた。

 長男と長女はすでに社会人として家を出て長い。現在は不満の多くなった夫とゆっくり過ごす毎日だ。

 春子はるこは大体仕事終わりに近くのスーパーで買い物をしてから家に帰るのが定番の流れとなっていた。職場も家からは遠くない。その中間にあるスーパーに寄っても家に辿り着いたのは四時半過ぎ。大きな買い物等は夫が休みの日曜日に二人で車で買いに行くので、春子はるこが一人で買い物する量はたかが知れていた。

 その日もスーパーで軽く買い物を済ませ、まっすぐ自宅に向かう。

 しかしリビングに入ったところで、いきなり背後から猿ぐつわを噛まされ、頭が追いつかない内に両目を潰された。

 心の中で叫び声を上げ、床に押し付けられ、髪の毛を掴まれた。

 やがて、恐怖しかない中で、喉に違和感を感じた春子はるこは、そこまでしか意識を保つことは出来なかった。





          「かなざくらの古屋敷」

      〜 第七部「猫の目」第3話へつづく 〜

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