第六部「鐘の鳴った日」第1話 (修正版)

     闇

     そこから手を伸ばした

     そこから手を伸ばせば

             届く気がした

        いつもそうしていた

               届く気がしたから





 教会。

 上から見ると、そこは十字架のような型の建物。

 中心の採光塔さいこうとうの一番上には大きな鐘。

 キリスト像がそこから差し込む光で照らされる。

 聖堂の天井は高い。

 その聖堂の四隅には背の高い細い台。

 その上には丸いライト。

 ベンチ状の木製の長椅子が左右に分かれて四本ずつ。

 その聖堂の中心には初老の神父。

 そのそばには、男の子と、女の子。





 最近、よく見る夢。

 週に二回から三回。

 この夢を見るようになるまでは、あの子供たちが夢に出てくることはなかった。

 そしてこの夢を見た時、萌江もえは必ず汗だくで目が覚める。

 決して怖い夢ではない。起きた瞬間も気持ちが悪いわけではない。キリスト教徒でもない自分がなぜ教会の夢を見るのか萌江もえ自身も不思議だった。

 そしてなぜか〝あの二人の子供〟がいる。

 それはこの世に存在しないはずの子供たち。かつて、子供を作ることの出来ない体であるはずの萌江もえの前に現れた、不思議な存在。萌江もえにとっては自分の想像の産物としか考えられない存在のはずだった。

 そして、それでよかった。

 それなのに、なぜその二人が夢に現れたのか。

 意味を汲み取るのも難しかった。

 萌江もえは過去に予知夢を二度見たことがあった。しかしそれはどちらも自分に直接関わりのあるようなことではなかった。世界的な大事件の夢。しかしそれ以来、明確に記憶に残る夢には何か意味があるのではないかと考えるようになっていた。

 そういう夢は滅多に見るものではない。しかも今回の夢は見る頻度も高い。

 ただ〝あの二人〟の事には咲恵さきえを巻き込みたくなかった。

 なぜか、関わらせてはいけない気がしていた。


 ──……これだけは、相談出来ないな…………


 季節はもう秋と言ってもいいだろう。

 蒸し暑かった夏が終わり、朝晩はだいぶ過ごしやすくなった。

 夜型の萌江もえにとってはありがたい季節でもある。ただ、その分起きる時間は早くなっていた。まだ日中は暑い。朝の涼しさから一気に気温は高くなる。暑さのためか自然と目が覚めるようになっていた。

「そりゃあ汗もかくよね」

 一人でそんなことを呟きながらベッドから立ち上がる。


 ──……あの夢の時だけ…………


 シーツとタオルケットを外して持ち上げる。更に少し考えてから枕カバーも外した。


 ──せっかく日曜日なのに…………


 洗濯機を回すとすぐに縁側に通じるガラスを大きく開いた。

 一気に陽射しと外の空気が入り込む。

 この瞬間の気持ちよさは街中で体験出来るものではないだろう。土と葉の匂いが一気に家中に流れる瞬間がこの季節の醍醐味だと萌江は思っている。

「シャワー浴びてご飯食べるか」

 そんな独り言を言いながら、ふすまや窓を開けながらお風呂場へと向かった。

 シャワーの後、コーヒーメーカーのスイッチを入れてから外の物干し竿にシーツを広げた。


 ──……天気がいいからすぐに乾くね


 今日の朝食はピザトーストとコーヒー。

 オリジナルのピザソースに自家製のパプリカ。玉ねぎとソーセージはさすがに買った物。チーズはモッツァレラとゴーダにパルミジャーノ。最後に粗挽きのブラックペッパーを振りかけるのが好きだった。少し厚めのパンだと尚美味しい。

 最近リビングにソファーが導入されていた。二人掛け用ということだったが、もう少し余裕があるようにも感じる大き目のタイプだった。

 そのソファーにゆったりと腰を降ろしながら、家の中を通り過ぎていく緩やかな柔らかい風を感じながらの美味しい朝食。

 周囲から聞こえる鳥たちの声が心地いい。

「贅沢な朝だなあ」


 ──こりゃ独り言も増えるわ…………


「もうお昼の時間だけどね」

 テレビの無いこの家にとっては、目の前の縁側から見える庭が大きなモニター代わり。

 そして聞こえる聞き慣れた車の音。

 途端に浮ついていた気持ちが落ち着く。

 少しだけ鼓動が速くなってきたにも関わらず、この安心感はなんだろう。

 やがて、足音と共に庭の映像の中に入り込む咲恵さきえの姿。

 萌江もえの姿を見付けた途端に、その咲恵さきえの笑顔が映像を彩った。

「ソファー届いたんだ」

 満面の笑みに合わない抑えた声。

「昨日届いた。早く隣においで」

 すると咲恵さきえはまるで子供のように縁側からリビングへ。萌江もえの隣に腰をおろすと、手でソファーの感触を確かめる。

 そのソファーは一週間前に二人でネットで選んだ物だった。萌江もえはもっと大きな物でもいいと考えていたが、小ぶりな物がいいと言ったのは咲恵さきえ咲恵さきえのマンションのソファーは明らかにもっと大きい。ゆったりと余裕があってそれはいいのだが、咲恵さきえ的には強制的に萌江もえとの距離が近くなるほうがいいと考えての選択だった。

 カウチソファーではあったが、肘掛け等に木材が露出したスマートなタイプだ。足回りにも空間が多いので、風通しを意識したこの家にも丁度いい。

「コーヒー飲む?」

 そんないつもの萌江もえの声にも、自然と咲恵さきえは明るく応える。

「うん」

 萌江もえは台所まで歩きながら続ける。

「ピザトーストも食べる? すぐ出来るよ」

「うん! 萌江もえのピザソース好き」

 マグカップを取り出し、ソファーに戻りながら萌江もえが返す。

「どうしたの? 珍しく昼間から甘えた声出して」

「え?」

 カップにコーヒーを注ぎ、それを咲恵さきえの前に置きながら、続く萌江もえの声は柔らかい。

「一週間ぶりなんだから…………会ってすぐにそんな声だしちゃダメだよ…………」

 途端に咲恵さきえは真っ赤になった耳を髪の隙間から覗かせた。

 その隙間に手を滑り込ませた萌江もえが続ける。

「…………何か…………あったの…………?」

 素直に萌江もえがそう感じたのは事実。

 今まで、会ってすぐに体を重ねたことは何度もある。お互いにそういう気分の時はやはりあった。

 いつもの萌江もえなら何も悩まなかったが、今朝の夢が頭に残っている。そのためか、もう少し時間が欲しいと思っていた。

 萌江もえの手に指を絡めながら、ゆっくりと咲恵さきえが口を開く。

「……やっぱり…………分かっちゃうんだ…………」

咲恵さきえのこと……全部分かるのは私だけでしょ」

「そうだよね…………」

 咲恵さきえの過去から、感情まで、萌江もえは常に総てを見透かしている。そしてそれはお互い様。普通の人なら耐えられるものではない。しかし二人の場合は、だからこそ一緒にいられた。お互いに、お互いが唯一の理解者。

 お互いに、自分を理解した上で自分を受け入れてくれる、たった一人の大事な人。

 指を強く絡めながら、咲恵さきえが続けた。

「……ちょっとね……なんだか………………嫌な夢見ちゃって…………」

「……夢?」

 〝夢〟という言葉に、反射的に返した萌江もえはやはり自分の見た夢のことを思い出す。

 しかしその直後、咲恵さきえの足元から電子音が鳴り響いた。

 二人で顔を見合わせる。

 それは足元の咲恵さきえのハンドバッグからの着信音だった。

 咲恵さきえ眉間みけんにシワを寄せてハンドバッグを持ち上げる。

「もう……誰よ。せっかくの日曜日なのに…………」

 そう言う咲恵さきえの耳元で萌江もえささやいた。

「いいじゃん……時間はたっぷりあるよ…………」

 その声に神経を揺さぶられた咲恵さきえがスマートフォンの画面を見てから、それを萌江もえに向けた。

「……どうする?」

 画面には〝杏奈あんな〟の文字。

「よっぽどだね」

 萌江はそれだけ言うと画面をタップする。

「ええ⁉︎」

 咲恵さきえは慌てて電話に向かう。

「──ちょっと……杏奈あんなちゃん⁉︎ なんで電話してきてるのよ……ダメだって…………え?」

 すると咲恵さきえはテーブルにスマートフォンを置いてスピーカーモードに。

『────ということなんですよ。今回は私のオカルトライターとしての将来がかかってるんです。なんとかお二人のお力を借りたいと…………』

 すると、それに応えたのは萌江もえだった。

「いつからライターが本職になったのよ」

 元々杏奈あんなの本職はあくまでカメラマン。ライターとしての仕事は生活のためだけにやっていたのを萌江もえ咲恵さきえも知っている。

『え⁉︎ 萌江もえさん⁉︎ ────話が早い。これから伺ってもいいですか⁉︎』

「どうしてそうなる」





「〝呪われた教会〟? 杏奈あんなちゃんも好きだねえ。〝呪われた〟シリーズ?」

 そう言ってコーヒーをすす萌江もえに、向かいでクッションに座る杏奈あんなは大きなカメラバッグからタブレットを取り出して応える。

「これでもオカルトライターなんで、そういう情報はいくらでも集まってきますからね。大概はよくあるような心霊トンネルとかそんなのばっかりですけど…………」

 前回会った時とは違い、仕方なくライターをしている印象の口調ではなかった。それはそれで楽しんで続けているように萌江もえ咲恵さきえは感じた。

 そのためか、萌江もえも半分からかうように返していく。

「ああ、トンネルに水が流れてるシミを見ただけで顔に見えるとかって騒いでるようなヤツでしょ? 所詮どんなにコンクリートで塗り固めたって土の中の水は染み込むよ。雑草だってアスファルト割るんだよ」

「……いえいえ……それより今は謎の声が聞こえるとか…………」

「トンネルの幅、高さ、長さ、勾配こうばい、さらには壁の材質……声や足音の反響がどうなるのかなんて目で見えないからね。手彫りで壁がボコボコだとさらにそれはもっと複雑になるよ。トンネルの心霊スポットって声が定番なのはそれが理由。そこに天井から落ちる水の音…………水の音は人の声に間違われやすいんだよねえ…………子供騙しだよ。みんなすぐに幽霊に結びつけるんだから…………」

「はあ…………」

「まさかそんなつまらない話をしに私たちの貴重な時間を割こうと?」

 萌江もえはそう言うと、僅かに身を乗り出していた。しかし決してその目は鋭くはない。

 それでも慌てたように返す杏奈あんな

「違いますよ。今回のお話は────」

「どうせ山の中の廃墟に行っておきながら周りの林でパキパキ音が聞こえるとか…………当たり前だと思うんだけど……ここも山の中だけど、常に音なんか聞こえるし」

「いえ、今回はそういう廃墟の話ではなくて、教会の廃墟なんですけどね」

「やっぱり廃墟じゃん」

「まあ…………ちなみに場所はここです」

 杏奈あんなはタブレットをテーブルに置いて地図を広げてみせた。

「街中とまでは言いませんけど車なら繁華街からすぐですよ。それでも今は知らない人のほうが多いと思います。忘れられてるって感じですかね」

「ふーん」


 ──……よりによって教会か…………


 やはり最近の夢のことが気になった。

 無意識の内に興味の無いような素っ気ない態度をとっている自分がいる。しかしそれは杏奈あんなに、というより咲恵さきえに感づかれたくない気持ちのほうが先にたった。

 そんな興味の無さそうな萌江もえの表情に、さらに杏奈あんなは食い付いた。

「前回の話ほどの大きな依頼ではありませんけど、これはこれで────」

「その前回の件ってどうなったの? あれから…………」

 そう行って挟まったのは咲恵さきえだった。

 その咲恵さきえ杏奈あんなの前にコーヒーの入ったマグカップを置いてソファーに腰を下ろす。

「あ……すいません…………あの時のお屋敷跡ですか?」

 そう応えた杏奈あんなはすぐにマグカップを手に取った。

「うん…………変わったことはない?」

 そう続けた咲恵さきえの言葉は杏奈あんなの身を案じての言葉だった。

「そうですね…………私もさすがに怖くなって手を引いたのであの後は分かりません…………お墓はまだ探してますけど…………」

 それに返したのは萌江もえだった。

「一族全員がいなくなったからね…………難しいと思うから片手間くらいでいいんじゃない? まだ監視くらいはあるだろうし」

 一度は国家レベルの秘密に触れてしまったのは事実。こちらが手を引いた素振りを見せたくらいで簡単に終わるなら、そもそもあんな問題にはなっていない。

 だからこそ萌江もえ咲恵さきえ杏奈あんなとの接触は絶ってきた。

「脅かさないでくださいよ」

「脅しじゃないよ。本来ならここに杏奈あんなちゃんがいることもどうかと思うけど…………」

「だって近くまで来てたんですもん」

 すると再び咲恵さきえ

「────ってことは緊急の話なの?」

「緊急…………でもないんですけど、今までにないパターンというか…………」

「さっきの〝呪われた教会〟?」

 言いながら咲恵さきえは食いつくが、応える杏奈あんなの表情は僅かに曇った。

「はい。廃墟とは言っても、そこにいた神父さんが確か一〇年くらい前に入院してからなのでそんなに古いわけではないんですが、実質的には近くの教会で管理しています。そこの教会の神父さんが言うには、取り壊すにしても建て直すにしてもお金がかかるから手を出せないでいるということみたいです」

「なるほどね。その内に勝手に心霊スポットって言われ出した感じかあ……」

 咲恵さきえが隣の萌江もえに顔を振るが、その表情は堅い。


 ──……どうしたの?


 しかし、そんな咲恵さきえの不安に気付かないまま、杏奈あんなが話し始めた。

「そんな感じです。教会の裏に墓地もあるので、そのせいもあるんでしょうね。あまり有名ではないので今回飛びついたんですけど、やっぱり噂は噂でしかなくて諦めてたんですよ…………」





「私たちも困っておりましてね…………」

 そう言って杏奈あんなを案内する神父は四〇才だったが、それでもまだ若い世代なのだという。

 神父が教会までの道を歩きながら続けた。

「最近は心霊スポットとか言われて深夜になると不法侵入が絶えません…………あなたも夜に行かれると危険ですので近付かれないほうがよろしいですよ」

 神父の口調と物腰は柔らかい。

 キリスト教でも仏教でも、神職の世界に深く関わる人物というのは人格者が多い。仕事でそういう人たちから話を聞くことも多かった杏奈あんなは、この世界の人たちと接するのが好きだった。

 目的の教会は神父の教会からは車で一五分。駐車場から建物まで少しだけ歩く。

 やがて、その廃墟の教会が目の前に現れた。

 建物自体は朽ちているというより荒らされていた。ガラスは割られ、落書きも目立つ。

 神父は入り口まで進みながら話を続ける。

「残念なことに中も外も心無い方々に荒らされてしまいましてね…………色々と噂されていることは知っていますが、ここでおかしなことがあったという話は聞いたことがありません。裏に墓地があるので、そのせいで噂が出来るのでしょうか…………悲しいことです…………墓地の管理も私たちのほうでさせて頂いておりますが…………」

「墓地があるんじゃ取り壊しというわけにも…………」

「そうですね…………信者の方々にも失礼ですし…………しかし建て直すにもお金を工面しなくてはなりません…………何度も協会のほうには掛け合っているのですが…………」

「……お金ですか…………」

 しかし建物の周囲には雑草はそれほど見当たらない。

 杏奈あんなが続けた。

「雑草とかはあまり…………」

「私たちのほうで出来ることはしておりました」

 見ると、壁の落書きにも所々消した跡が見受けられた。


 ──……どうして、こんなことに…………


 神父が扉に手をかけた。

 すでに鍵は壊されている。

「外の門には鍵があるのですが…………」

 そう言って神父が扉を開けた時だった。

 決して広くはない聖堂の奥。

 キリスト像の前。

 膝をついた女性がこちらを振り返っていた。

 女性は組み合わせていた両手を解くと、立ち上がって足早に歩いてくる。

 目を伏せたまま、神父の横をすり抜けるように外へ。

「……すいません」

 小さく一言だけを残した。

 そして神父が女性の背中に声をかける。

「もし…………信者の方でしょうか…………」

 女性は背中を向けたままで足を止めた。

 神父が続ける。

「それでしたら一度……ぜひ私たちの教会へ…………」

「……いえ…………すいませんでした…………」

 女性は再び歩き始める。

 杏奈あんなは少し驚きながらも女性を目で追うと、外の門のすぐ横の鉄柵に隙間があった。女性はその隙間から外の駐車場に出ると、足早に去っていく。

 五〇代くらいだろうか、あまり小綺麗な印象ではなかった。

 俯き加減で僅かに見えた表情も重い印象。

 杏奈あんなは〝影〟を感じた

 その杏奈あんなが先に口を開く。

「…………祈って……ましたね」

「そうですね…………どんな理由があるのかは分かりませんが…………あの方は神に手を合わせていらした…………私たちは、あの女性が救われることを祈りましょう」

 教会の噂に関しては総てがその域を出ないものばかり。ほとんどの心霊スポットと同じだった。教会の心霊スポットが珍しいことと、まだあまり有名でないことを理由に興味を抱いたが、杏奈あんな的にはあまり面白いネタになるとも思えなかった。

 教会の立場に立てば真実を書いたほうがいいのだろうとも考えたが、それでネットの読者が満足するとも思えない。

 記事そのものをボツにすることも考えたが、締め切りまでに次のネタを探すのも難しい。

 そして杏奈あんなはあの女性に目をつけた。


 ──……もしかしたら、定期的に通ってないかな…………


 その予測は的中した。

 門の近くで張り込むと、女性は毎日午前一〇時頃に教会を訪れていた。


 ──……だからあの壊れた柵の所を知ってたんだ…………


 いつも女性は一〇分ほどで帰る。

 わざとなのか、この間の神父があの壊れた柵を治しに来る様子もない。

 一週間ほどの張り込みの末、杏奈あんなは女性の後を追いかけて教会の中へ。

 杏奈あんなが扉を開けると、あの時と同じように女性は逃げるように帰ろうとする。

「すいません……お話を聞けませんか?」

 杏奈あんなのその声に一度は立ち止まるが、女性は顔を上げようともしない。

「…………すいません」

「別に責めてるわけじゃないんです。あなたがここに来る理由を知りたいだけで…………ホントです。あなたがここで祈る理由を聞かせてもらえませんか?」

 しばらく黙っていた女性が小さく呟く。

「……わたしは…………」

 しかし、女性はそれだけで立ち去った。


 ──……何かを……聞いてほしいの…………?


 翌日、杏奈あんなは教会を立ち去ろうとする女性の後をつけていた。


 ──……良かった……今日も来てくれた…………


 女性の自宅は古いアパートの二階。

 一週間ほど探ってみるが、午前中に教会に向かう以外は近くのスーパーに買い物に行くだけ。他の人の出入りもなければ働きに出ているようにも見えない。


 ──……在宅の仕事かもしれないしなあ…………


 どうにかして教会に通う理由を聞き出したかった。

 必ずそこには〝ドラマ〟があるはず。

 しかし直接問い正しても断られるだけなのは予想が出来た。


 ──……あの二人なら…………





「それでここまで来たの?」

 咲恵さきえのその言葉に、杏奈あんなは小さく応える。

「…………はい……」

 萌江もえがマグカップを手にしたまま、少し前から杏奈あんなの顔を見ようとしないのが気になった。


 ──……何か、感じてるのかな…………


 そう思った杏奈あんなは対照的に萌江もえの顔を見続けていた。

 萌江もえが何を言ってくれるかが気になって仕方がない。

 やがて、萌江もえは小さく息を吐く。

 そして口を開いた。

「……記者ねえ…………」

「……あ……はい…………」

「そんなくだらないジャーナリズムしかないなら、さっさと辞めたら?」

 そう言った萌江もえの目が、杏奈あんなに刺さる。

「…………え?」

 杏奈あんなはそう無意識に言葉を発しただけ。

 混乱した。

「心霊トンネルでも取材してればよかったのに…………他人の人生に土足で入り込みすぎ。あなたにそんなことをする権利なんかどこにもない。誰にもない。人にはそれぞれ人生がある。人に知られたくない生き様ってのもあるんだよ。他人に評価されたいなんて思ってない。自分が信じるように生きたいだけ。私だって咲恵さきえだって同じ。他人に見せられない過去を持ってる…………それは私たちだけのもの」

 明らかに杏奈あんなの目は怯えていた。

 それでも萌江もえは続ける。

「何かを聞いてほしい? 笑わせないで。何様のつもりで言ってるの? 勝手な思い込みで正義感を作り上げて…………そんな押し付けなんかいらない……胡散臭うさんくさい霊能力者と同じじゃないの」

萌江もえ────」

 少しキツめの咲恵さきえの声。

 その咲恵さきえの制止する声も届かないまま、萌江もえは尚も続けた。

「あんたがその人の過去を知ってどうするのよ…………ストーリーテラー気取り? そっとしておいてほしい人だっているの…………自己満足のために他人の人生を引っ掻き回さないでよ…………」

「…………萌江もえ……」

 咲恵さきえがそう何かを言いかけた時、杏奈あんなの声が聞こえた。

「…………ごめんなさい……」

 うつむいていた。

「……帰ります…………」

 杏奈あんなはそれだけ言うと、立ち上がり、縁側を降りていく。

 小走りな足音が切なく響き、やがてそれは車のエンジン音へと変わる。

 ゆっくりとその音が遠ざかっていった。

 そして、先に口を開いたのは萌江もえだった。

「…………ごめん……」

 その声は明らかに苛立ったもの。何か張り詰めたような感情が隣の咲恵さきえまで伝わった。

 その咲恵さきえは軽く溜息を吐くと、萌江もえの体を抱きしめる。

「どうしたの? 嫌な夢でも見た?」

 その柔らかい声を聞きながら、萌江もえ咲恵さきえに体を預けていた。

「……ごめん」

 まだ、萌江もえはそれしか言えない。

 すると、咲恵さきえは不思議な感覚を覚えた。

 何かが、ゆっくりと萌江もえから流れ込んでくる。

 そして咄嗟に口が開く。

「────萌江もえ? どういうこと? どうしてさっきの女性の記憶が────」

「分からない…………断片でしかないけど…………感情的になっちゃった…………」

「だって……さっき話を聞いただけで名前すら…………」

 咲恵さきえは恐怖を感じた。

 萌江もえに何かが起きている。そうとしか考えられなかった。

 元々、場所や物から〝念〟のようなものを感じ取ることは出来た。しかし今回は名前すら知らない。咲恵さきえ杏奈あんなから記憶を引き継いでなどいない。

 しかし、どこかから萌江もえはその情報を得ていた。

 断片的なものに過ぎなかったが、そのイメージは暗かった。分かるのは余程の重い過去であるということだけ。一気に咲恵さきえの感情を覆い尽くす。

 萌江もえはまるで子供のように咲恵さきえに抱かれたまま、ゆっくりと言葉を絞り出していた。

「……関われってことかな…………関わるなってことなのかな…………」

 か細い声。

 何も応えられずにいる咲恵さきえに、萌江もえは続ける。

「…………誰か……仲介者がいる…………もしかしたら、今までもそうだったのかも…………」





 教会。

 上から見ると、そこは十字架のような型の建物。

 中心の採光塔さいこうとうの一番上には大きな鐘。

 キリスト像がそこから差し込む光で照らされる。

 聖堂の屋根は高い。

 その聖堂の四隅には背の高い細い台。

 その上には丸いライト。

 ベンチ状の木製の長椅子が左右に分かれて四本ずつ。

 その聖堂の中心には初老の神父。

 その側には、男の子と、女の子。

 聖堂の中が、無数の光の粒で覆われていく。

 眩しい。





 火曜日。

 萌江は再びあの夢を見る。

 全身が汗で濡れ、シーツもタオルケットもしっとりと体に張り付く。


 ──…………だれ………………


 カーテンで遮られた陽の光が僅かに部屋に入り込んでいた。

 ベッド脇のスマートフォンを手に取る。

 時間は九時を過ぎたばかり。

 そして、すぐに電話をかけた。

「建物って十字型?」

 スピーカーから聞こえてくるのは杏奈あんなの声。

『……えっと……はい…………そうです』

「中央に高い塔があって…………一番上に鐘がある?」

『……はい』

「聖堂の四隅の上に丸いライト…………」

『……はい……そうです……間違いありません』

咲恵さきえには秘密でお願い。明日の八時に迎えに来て」

 そして萌江もえはすぐに通話を切った。





           「かなざくらの古屋敷」

      〜 第六部「鐘の鳴った日」第2話へつづく 〜

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