第三部「蛇のくちづけ」第2話 (修正版)

 幼い時から、京子きょうこの力はタミを凌いだ。

 あの世の者が見えるだけではない。まだ除霊までは出来なかったが、死者と会話が出来た。

 そして未来を見ることが出来た。

 それはタミでも難しい力。

 村人から感謝されると同時に、神社そのものも有名になっていった。

 京子きょうこが五才の時。

 本殿の中心で、京子きょうこは天井を見上げていた。

 それに気が付いたタミが近付く。

京子きょうこや……どうしたんだい?」

 顔を下げた京子きょうこは、タミの姿を見て笑顔を浮かべた。


 ──……天井に気が付いてるね…………


 タミは祭壇の前に膝を降ろすと、再び京子きょうこに声をかける。

「隣においで」

 京子きょうこがタミの横に正座をするが、その姿は幼い子供そのもの。

「水晶は持ってるかい?」

「うん!」

 京子きょうこは首のチェーンを手繰り寄せ、胸元から二つの水晶を出して見せる。

 その水晶は京子きょうこがいつでも持ち歩けるようにと、ネックレスとして首に下げられるように加工されていた。タミの指示だった。

 その二つの水晶に、タミは軽く手を添える。

 熱かった。

「……熱くはないかい?」

 すると京子きょうこは、タミの顔を見上げて不思議そうな顔をして応えた。

「熱くないよ……?」

「そうかい……ならよかった…………」


 ──……覚悟が、必要だね…………


 昭和五三年。

 京子きょうこ一〇才。

 小学校五年生の時だった。

 朝、いつものようにランドセルを背負って家を出ようとした時、不意に玄関先で京子きょうこが言った。

「一ヶ月だけ行ってくるね」

 父の清吉きよきちも、母のよりもその言葉を全く理解が出来ずに、京子きょうこはそのまま学校へと向かう。

 しかしそれを祖母のタミに報告すると、タミは突然に声を張り上げる。

「どうして行かせたんだい! 今すぐ探しな!」

 その日、京子きょうこは学校には行かなかった。

 すぐに警察に捜索願いが出されたが、足取りが全く掴めないままに時間だけが過ぎていく。

 田舎の小さな村。しかし目撃者すらも見付からない。

 タミは祈祷きとうを続けたが、何の手がかりも掴めないままに一日、そして一日…………。

「あの子は一ヶ月と言った…………必ず戻ってくる…………」

 タミはそう言って毎日祈り続けた。

 身代金の要請がないので誘拐事件とも考えにくいまま、二週間後には公開捜査となる。警察でも家出をするかのような言動があったことから神経質な捜査が必要となった。

 しかし相手は一〇才の小学生。事件の可能性を考えるほうが自然だ。

 そしてちょうど一ヶ月後、警察から電話が入る。

 確かに京子きょうこが言った通り、一ヶ月後に京子きょうこは見付かった。

 しかしそれは遠くの街の、とある宗教団体の施設。その施設内で見付かる。信者は二〇人程度の小さな教団だったが、教団は京子きょうこの力を欲した。

 そして、その日、全員が施設内で死亡する。

 全員の首にロープのような物が巻かれた跡があったという。

 元々教団は警察の調査対象となっていた。そして教団施設の外にまで響く大勢の悲鳴が聞こえて警察が踏み込んだ時、死んだばかりと見られる多数の遺体と、その中央で立ち尽くす京子きょうこを発見する。

 そして京子きょうこは保護された。

 誘拐されて監禁されていたとの供述を残すが、それは警察に疑念を残させることとなる。それでも誘拐されたことは事実。傷ひとつなく、それどころか健康状態も良好なまま京子きょうこは家に帰ることとなった。

 もちろん清吉きよきちよりも喜んだが、タミだけは違和感を感じていた。

 PTSDのような精神的な症状が心配されたが、京子きょうこ自身には〝怖い経験をした〟という認識すら無いように見える。決して虐げられていたわけではないらしいが、大量の人間の死を目撃したようにも見えない。そもそも信者の集団死は謎のまま。

 そしてこの事件はテレビでも大々的に取り上げられた。

 年齢的に京子きょうこは小学生。本来であれば精神的に影響を受けていてもおかしくないはず。周囲の大人たちは誰もがそう思った。

 周りからの過剰な気遣いがありながらも、無事に小学校を卒業。

 そして、イジメは中学校から始まる。

 しかもそれは陰湿いんしつなものだった。

 この頃から、明るく活発だった京子きょうこの表情が変わり始める。口数が減り、神社の催事さいじにも顔を出さなくなっていた。

 そして、同級生が死に始める。

 一人、また一人…………それは京子きょうこをイジメていた生徒だけではない。異常なペースだった。

 しかも、その全員がなぜか首をロープのような物で締められて殺害されていた。

 殺人事件として当然警察が動くが、すでに警察の捜査の中には京子きょうこがいた。しかしまだ子供だった。警察の中でも京子きょうこの関与を疑う者のほうが多い。それでも過去の誘拐事件の件もあり、可能性が残されたまま、総ての殺人事件が暗礁に乗り上げる。


 そして昭和六〇年。

 京子きょうこ一七才。

 高校二年生。

 その夜は雨。

 京子きょうこは高校に入ってからは平穏な生活を続けていた。誰も京子きょうこに近付く生徒はいなかった。京子きょうこが醸し出す雰囲気が人々を遠ざけていたのかもしれない。

 どこから来るのか分からない、大人びた冷たさ。

 それは家である神社に帰ってからも同じ。

 両親からも距離を置かれていたことを、京子きょうこ自身も感じていた。両親がどことなく自分に対して恐れのような感情を抱いていることにも気が付いていた。

 それでもタミだけは違った。

 タミだけが、何かを感じていた。

 その目を見るのが京子きょうこは嫌いだった。

 その夜も、京子きょうこはタミに呼ばれて本殿にいた。

「少し、前の話をしてもいいかい?」

 そして座布団に座ったまま、向かい合ったタミからの質問が始まる。

 タミは深夜にも関わらず巫女みこ服。その正装と祭壇の松明たいまつの炎が、自然と京子きょうこを追い込んでいた。それでも京子きょうこは顔色を変えず、いつもの冷たい表情のまま。

 タミは少し間を開けて、京子きょうこの中の何かを感じ取っていた。

「……ほう…………天井が気になるかい?」

 京子きょうこは天井を見上げていたわけではない。しかし何かを見透かしたようなタミのその言葉に、京子きょうこも身を硬くして応える。

「……いえ…………別に…………」

 それでもその態度は堂々としたものだ。決してタミの圧力にも臆してはいない。

 一七才とは思えない、妖麗ようれいさ。

「まあいいさね…………ただ…………これからこの家を継いでいく京子きょうこには、どうしても聞いておかなきゃならんことがある」

 京子きょうこは何も返さない。

 僅かに視線を落としたまま、決してタミと目を合わせようとはしなかった。

 そして、微かに口元に浮かぶ笑みが、タミには気になった。

「まだ…………子供の頃のように未来が見えるのかい?」

「もちろんです。今も見えていますよ…………」

「あの時も見えていたと? 京子きょうこ…………どうやって…………

 京子きょうこは微動だにしない。

 そして小さく口を開く。

「……おばば様は…………私が殺したと?」

「質問してるのは私だよ京子きょうこ。聞かれたことに答えな。見えていたんだろ?」

「目を覚ましたら周りで死んでいました」

「警察にもそう言ったんだろ? 私は警察じゃないよ京子きょうこ

「さすがは、おばば様…………私は…………ですよ…………」

「ほう…………」

「…………蛇に…………巻きつかれていました…………」

 それを聞いたタミはすぐには返せなかった。

 外の雨が大きくなってきたことにすら気が付かない。

 背筋に冷たいもの。

 しかし、タミは言葉を絞り出す。

「…………最初から分かっていたのかい? 誘拐されることも…………」

「もちろんです。私には総てが見えています」

 京子きょうこは表情も変えない。

 タミがゆっくりと返した。

「自分の未来が総て見えているとでも言うのかい⁉︎」

 少しだけ語尾が荒くなってきていたタミに対して、京子きょうこは冷静そのもの。

「はい…………私は二二才で死にます…………二一才で子供を産みますが…………それまでは子供を授かることはないでしょう」

「……蛇に……ね…………」

「…………いずれ、返しにきますよ」

 タミは唐突に立ち上がると京子きょうこの額を左手で掴む。

 そして、タミの声は低い。

「……京子きょうこに何をした…………出てこい…………ワシが相手をしてくれるわ」

 しかし、その手首を京子きょうこが掴む。

「…………おばば様…………痛い…………」

 タミは手を離さないまま口を開く。

京子きょうこ……水晶は持ってるかい⁉︎」

「はい…………」

 京子きょうこは胸元から二つの水晶を出した。

 そしてタミの左手が京子きょうこの額から離れる。

 同時にタミの右手が二つの水晶を掴むとチェーンを引きちぎった。

 次の瞬間には、畳に押し付けた水晶に懐から取り出した短刀を突きつけていた。

 刃の切先きっさきが〝火の玉〟を畳にめり込ませる。

「さすがは代々伝わる石だよ」

 タミは吐き捨てるようにそう言うと、素早く短刀を鞘に納めた。

 そして再び座布団に正座すると、短刀を横にして京子きょうこに見せながら、軽く息を吐いて口を開く。

「この短刀は神物しんぶつだよ…………代々この神社を守ってきた…………このやいばでも割れないとは大した石だ…………もうこの石はお前を守る石じゃない。…………」

 それを聞く京子きょうこの目は、先程とは明らかに違った。

 僅かに震えるその目を見ながらタミが続ける。

「呪われた石に魅入られたね」

 するとタミは、京子きょうこの膝の前に短刀を差し出す。

「預ける…………意味は分かるね…………は慎重に選ぶんだよ…………残念だが京子きょうこ…………我がいえの血筋を絶ってでも、この蛇を生かしておくわけにはいかない…………」

 その夜、雨がしだいに激しくなる中、タミの祈祷きとうが夜通し続いた。

 タミのすぐ後ろには清吉きよきちよりがつく。

 そしてその中心には、短刀を抱えながら震える京子きょうこ

 外には夏の大雨が降り続く。

 その雨粒は容赦無く本殿を揺らす。

 そして、本殿に朝の陽の光が入り込んできた。しかしそれは空が僅かに

明るくなった程度で、分厚く黒い雲から大雨が降り続くのは変わらない。

 玄関の裏口を叩く音がした。

 裏口といっても通用口。家の人間が通常使っている玄関でもある。その玄関を叩く音はけたたましい。

「警察の方が…………京子きょうこに話を聞きたいと…………」

 応対をしたよりが戻るが、その声は震えていた。

 そして、傘を打ちつける雨の音と共に拝殿はいでんの砂利を踏みつける足音が聞こえる。清吉きよきちよりが振り返ると、そこには警察の人間とおぼしき数人のスーツの男たち。

 タミは振り返りもせずに声を上げた。

「お巡りさんたち…………朝からご苦労さまにございます。京子きょうこに話があるということでしたら、ここで話されたらいい…………ほれ…………ワシの後ろで震えておるのが京子きょうこじゃ」

 なぜか、その場の全員がその声に圧倒されていた。

「まさか……ワシを知らんわけでもなかろう…………」

 やっと、辿々しくも一人の刑事が口を開く。

「……いえ、タミさん…………そういうわけには…………」

「ワシらの血筋に隠し事など無いわ! 何用じゃ!」

 そのタミの大声に、慌てて刑事が返した。

「以前の……誘拐事件と…………京子きょうこさんの同級生の殺害事件について…………お聞きしたいことが…………」

 すると、声のトーンを戻したタミの声がした。

「あんたらは、京子きょうこがやったと思っとるんじゃろ?」

 空気が凍りつく。

 そこに切り込めるのは雨の音だけ。

 そしてタミが続ける。

「……蛇じゃよ…………不浄のものに魅入られた蛇の仕業じゃ。こんなか弱い京子きょうこに…………」

 タミは後ろを振り返って繋げた。

「人殺しなど…………そうじゃろ? 京子きょうこ…………」

 京子きょうこは頭を大きくれたまま動かない。

 その体の震えが止まっていることに気付くよりも早く、別の刑事の声。

「タミさん、この時代にそんな────」

「時代ではない! 我らが変わったとて、あいつらに何の関係があるものか!」

 そして、なぜか京子きょうこの頭に映像が浮かんでいた。

 それは、自らが何人もの人間の首に紐を巻きつけるもの。


 ──……私が…………殺してたの…………?


「時代など…………勝手に人間が作ってきたものじゃ…………人間の枠に当てはめるなど、そんな烏滸おこがましいことがあるかね」

 タミがそう言って視線を前に戻した。

 すると、目の前にあったはずの水晶が無い。

「────しまった! 京子きょうこ!」

 振り返る。

 京子きょうこが立っていた。

 左手に短刀。

 右手には水晶のついたチェーンをぶら下げている。

 そしてその目は、京子きょうこのものではなかった。

 口が開く。

「……おばば様…………終わらせましょう…………」

 そして、タミの目が見開かれていた。


 ──……此奴こやつは…………


「……………………」

 タミが、まるで呟くように言葉を漏らした。


 その時。

 振動が本殿を揺らした。

 地面が揺れる。

 やがて、それは大きくなる。

 あっという間に、誰も立っていることが出来ない。


 しかしその中、なぜか京子きょうこだけが本殿を飛び出していた。


 タミはそれを追いかけたかったが、揺れで立ち上がることも出来ない。

 その振動の中で、なぜか京子きょうこは走っていた。

 そして、地面が、流れ始める。

 もはや止められるものではなかった。

 京子きょうこの背後で、本殿と人々が土砂に飲まれていく。

 京子きょうこだけが分かっていた。


 どこに行けば助かるか。

 どこに逃げれば助かるか。


 そして、下半身だけが土砂に埋まった状態で助けられ、京子きょうこは村で唯一の生存者となった。





「若いからって舐めないでほしいわ」

 そう言って御陵院西沙ごりょういんせいさは足を少し広げて立ち、腰に両手を当てて小さな体で虚勢きょせいを張って見せた。

 その目の前にしゃがみ込んだ萌江もえが口を開く。

「やっぱり若い子の生足っていいね」

「本気で変態じゃないの⁉︎ ちょっと! 立坂たてさかさん! なんなのこの人!」

 明らかに困った表情の立坂たてさかも苦笑いしか出来ずにいた。

 そして萌江もえの声。

「で? 西沙せいさちゃん」

「──ちゃんはやめて! これでも二一なんだから!」

「霊感あるの?」

 萌江もえのその一言で、その場の空気が変わった。

 咲恵さきえ立坂たてさかの車まで行くと、寄りかかって腕を組んでいた。そして口元に笑みを浮かべる。

「あのねえ、私は霊能力者よ! あなたみたいな変態と一緒にしないでよ!」

 西沙せいさはしゃがみ込んだ萌江もえを見下ろしながら叫ぶ。

 しかし少しずつ腰が引く。

「でも〝呪い〟を断ち切れてない」

 そう言った萌江もえ西沙せいさを見上げた。

「大変なんだってば! ここの呪いは龍神様りゅうじんさまを怒らせたからなの! 分かる⁉︎」

龍神様りゅうじんさまなんだ。私は会ったことないなあ」

「当たり前でしょ? 修行しなきゃ見れないんだから────」

「修行ねえ…………」

「ここの近くに古い池があるのよ。そこにはほこらもあって…………」

「連れてってよ。そこ」

 すると、やっと立坂たてさかの声が聞こえる。

「お連れいたしますよ。近くですので」

 その立坂たてさかも車の側に移動していた。

 その隣の咲恵さきえが小さく呟くようにして立坂たてさかに声をかけた。

「もしかして、以前にもあの子に連れてってもらったの?」

「そんな感じですね」

 立坂たてさかはそう言って応えた。





 廃墟群から車で少し林の中を抜けると、その池はすぐに姿を現した。

 大きな池だった。長く、そして大きくカーブしたその池の周辺には遊歩道も用意されていた。しかしあまり人の手が入っているようには見えない。舗装された遊歩道の周辺には雑草が幅を利かせ、あちこちにゴミも散乱している現状だ。

 全員でその遊歩道を歩きながら、西沙せいさが言うほこらを目指していた。

 先頭の西沙せいさが話し始める。

「あんたたちをいちいちここに連れてくる時間も本当は勿体ないんだけどさ…………お盆の前には終わらせたいのよね」

「なんでー?」

 後ろから萌江もえの声が聞こえた。

 明らかにからかったような口調だったが、西沙せいさは振り向きもせずに応える。

「お盆になったら息苦しくならないの⁉︎ おはらいがしにくくなるでしょ」

「あー、はいはい。周りに幽霊がいっぱいだから? お盆って日本だけの風習なんだけど、あの世にも国境ってあるの? 地域によっても時期が違うし。あの世ってのも世知辛せちがらい世界だねえ。ただのこっちの世界の風習じゃん。年に一回はご先祖を思い出して墓参りしようねって言う風習なんだから、素直にお墓参りすればいいじゃん。いちいち生きてる人間の地域事の風習になんか合わせて帰ってくるの? あの世のスケジュール管理も大変だねえ」

「だって…………息苦しいんだから仕方ないでしょ!」

「花粉症なんじゃない? 人によってスギ花粉だけじゃなくて色々あるんでしょ? お盆の時期ってなんの花粉かなあ」

「とにかく! ここも今は心霊スポットとして有名なの! 分かる⁉︎ ここが周りの霊たちを集めてるみたいなの。昔の処刑場で殺された人たちとか、土砂災害で亡くなった人たちとか…………水場に霊が集まりやすいのは霊感あるなら知ってるでしょ?」

 そう言って振り返った西沙せいさが声を張り上げる。

「なんで女同士で手繋いでんのよ⁉︎」

「いいじゃん。池に落ちたら大変でしょ」

 そう応えた萌江もえは隣の咲恵さきえと繋いだ手を前後に大きく振って見せた。

 そして続ける。

西沙せいさちゃんも繋ぐ?」

「繋ぎません! 私は同性愛者じゃない!」

「愛と性欲に性別は関係ないのに」

 しかし咲恵さきえが刺さる。

「この場合は性欲はいらなくない?」

「いや、大事だ」

 そう言い切った萌江もえに、咲恵さきえが小さくささやいた。

「……からかいすぎ…………」

「だって」

 その萌江もえの声は、小さく、そして低い。

「…………幼すぎて腹が立つ……」


 やがて一行はほこらに到着した。

 小さな物だったが、岩を掘った所にほこらを納めた立派な物だった。しかも周囲の荒れ方から考えると整備されているほうだろう。花も真新しい。

 池のほうを向いて設置されたそのほこらを前に西沙せいさが口を開く。

「去年、私が来るようになってから綺麗にしたけど、酷い状態だったわ…………」

 その横に立った萌江もえほこらを覗き込むようにして返した。

「ふーん、凄いじゃん。こういう風習はいいと思うよ。山でも川でも池でも〝そこには神様がいる〟って言って大事にしてきたんでしょ? 自然に対して感謝の気持ちを持つことは大事なこと。私は好きだよ」

「へー、ただの変態かと思ったらいいこと言うじゃない」

「でも」

 萌江もえは池に体を向けて続けた。

「よく分からないんだよなあ…………どうしてここに幽霊が集まるの?」

「だから…………水場には集まりやすいって…………」

「誰から聞いたの?」

「誰って…………」

「なんとなくそう言われてるし、みんながそう言うからでしょ?」

 萌江もえは池を見渡すように首を回して続ける。

「遊歩道があるくらいだから一応街灯はあるんだね…………いつ設置されたのかな。私たちが歩いてきた遊歩道って、いつ舗装されたんだろう…………昔はどっちも無かったよね。遊歩道に沿って池を囲む柵だって無かったはず。そんな頃にここに来ていたら、誰かと手を繋いでいても危険だよね。しかも夜なら尚のこと」

 萌江もえが振り返ると、そこには呆然とする西沙せいさがいた。

 さらに萌江もえが続ける。

「水場が危険なのは池だけじゃなくて川でも海でも同じでしょ? そして家の周りだと井戸…………落ちたら大変だよね。しかも電気の無い時代の夜は現代よりも暗い。満月の頃だとしてもね。水場は幽霊が集まって怖いから近寄るな────しかも、なぜか昔は幽霊が出るのは夜だけだった。だから夜の水場は危険」

 西沙せいさは無意識に視線を落としていた。

「でも…………」

「水場が危険ならお風呂場は? トイレは? 台所は? それすらも昔は不浄が溜まる場所とされた。危険があるから。そう思うことで危険に対しての身構えが出来る。家の下とか道路の下に走ってる水道管は? あれに幽霊は集まらないの? どうして誰もプールに幽霊が集まりやすいって言わないの? ただの昔の人の知恵だよ。教えと言ってもいいかな。夜に爪を切ると親の死に目に会えないって言うのと同じ。今と違って夜は蝋燭ろうそくに火を灯すくらいでしょ。今みたいな爪切りだってない。しかも指先の怪我はバイ菌が入ると抜けにくいからそこから化膿かのうして大きな病気にも繋がる。幽霊は指先から入るなんてことも言われてたんだ。なんでも幽霊のせいにする前に冷静に考えたほうがいいよ。昔から伝わってきた言葉には、その裏に必ず意味がある」

 西沙せいさは視線を落としたまま、体を小刻みに振るわせていた。

 それを見ながら咲恵さきえが思う。


 ──……反論は無理そうね…………


萌江もえ

 その咲恵さきえの声に萌江もえが顔を向けた。

 そして咲恵さきえが続ける。

「今日はこのくらいで…………続きは明日…………」

「分かった…………」

 そう言って歩き始めたところで萌江もえは足を止めて続けていた。

西沙せいさちゃん……明日の一一時…………さっきの慰霊碑いれいひで…………」

 すると西沙せいさが言葉を絞り出す。

「……分かった…………逃げるつもりはない」

「……明日は短めのショーパンで」

「変態!」





 二人の宿泊場所は街の中心にある駅の側のビジネスホテル。

 とは言っても披露宴会場も用意された大き目の所だった。

 しかも、どう見ても安い部屋ではない。

 立坂たてさかが用意した。

「ごめんね。うん、思ったより早く帰れそう…………え? ゆっくりって…………いや、新婚旅行じゃないから…………ちょっと、由紀ゆきちゃん⁉︎」

 大した業務連絡もないままの店への電話だった。

 バスローブ姿で大き過ぎるベッドに横になりながら、咲恵さきえはスマートフォンをベッド脇に置いた。

 そして大きく溜息をく。


 ──……まったく…………新婚旅行ならもっと別の場所に…………


 何気なくシャワールームに目をやる。

 シャワーの音が気になった。

 なぜかソワソワとした気持ちと、それを誤魔化したい自分がいる。


 ──……昼間にあんなイメージ見た後なのに…………

 ──…………まだ……言えないな…………


 シャワーの音が止まると、咲恵さきえの鼓動が早くなり、誤魔化せない自分を認めざるを得ない。

 咲恵さきえはシャワーの音が止まってからドアが開くまでの時間が嫌いだった。自分から迎えに行きたい衝動に駆られるからだ。しかも、そうすると萌江もえが喜ぶことも知っている。

 ドライヤーの音が微かに聞こえ、時間の経過を知らせた。

 咲恵さきえ萌江もえのドライヤーの時間も体感で分かっている。


 ──……だめ……大人気おとなげない…………


 分かっているはずなのに、ドアが開く音に驚く。

 しかし、咲恵さきえの隣に横になった萌江もえは何かいつもとは違った。少し寂しさを感じながらも咲恵さきえが口を開いた。

「どうしたの? 明日のこと?」

「んー…………」

 歯切れが悪いままの萌江もえが続ける。

「答えは分かったんだ。思った以上に簡単だった」

「そうなの? 今回は私は難しいかも…………見えてるイメージはいくつかあるけど、それが今〝呪い〟って言われてるものと関係がないことだけは分かる」

「明日、業者に調べて貰えば解決。後は行政が動いてくれるかどうかだけ」

「ロビーで立坂たてさかさんにお願いしてた業者?」

「うん…………それで終わり。それよりあの子」

「イジメ過ぎ…………萌江もえがあの手の霊能力者を嫌う気持ちは分かるけどさ…………」

「まさか、あんなに若いとは思わなかった」

「そっち?」

 咲恵さきえは上半身を上げるとベッド脇のロックグラスを手に取ってウィスキーを軽く喉に押し込む。

「私も飲む」

 萌江もえが上半身を起こしてベッドから降りようとすると、その顔の前に咲恵さきえがグラスを差し出した。

「これ飲んで」

「ん? 嫉妬した?」

「違います」

 そう言って目線を逸らした咲恵さきえの後ろから、萌江もえはその体を両手で包み込む。

「……私の気持ち分かってて…………そうやって困らせるんだ…………」

 こういう時の萌江もえの声に、いつも咲恵さきえは意識を持っていかれる。


 ──……やっぱり…………離れたくない…………言えない…………


 そう思った咲恵さきえの口を塞いだ萌江もえの唇から、声が漏れた。

「……あの子も…………助けてあげたい…………」

「うん…………でも…………先に私…………」

 その咲恵さきえの言葉が、萌江もえうずかせた。





 昭和六二年。

 京子きょうこは一九才になっていた。

 村の土砂災害での唯一の生存者。

 そして、マスコミから逃げるように、京子きょうこはその地を離れていた。

 当時まだ一七才だった京子きょうこは病院から逃げ、遠くの街へ。

 年齢や経歴を偽って、寮のあるスナックで働いていた。

 仕事自体もそうだったが、夜の人間をメインの顧客とするような不動産屋でも、戸籍まで調べられることはない。住民票を求められるわけでもない。そういう時代だった。

 安いアパートを借りた京子きょうこは短いサイクルで店を点々としていた。

 決して楽な生活ではなかった。慣れない生活の中で神経をすり減らしていたのは事実。

 しかしなぜだろう。

 生活に慣れてきた頃から、なぜか子供を作りたい衝動に駆られていた。

 子供が欲しかった。

 しかもなぜか、頭に浮かぶのは〝娘〟。

 そしてたまに頭に浮かぶのは、

 覚えがないはずなのに、時としてその感覚が両手に蘇る。その度に、部屋で一人で震えた。

 家族のことを思い出せない。

 過去の記憶はバラバラ。

 分かっているのは土砂崩れの唯一の生き残りということだけ。

 そして、早く子供を作らなくてはならない衝動。

 その感情だけが京子きょうこを揺り動かしていた。

 健二けんじと出会ったのはそんな頃だった。京子きょうこが働いていたスナックの客だったが、なぜか京子きょうこ健二けんじが気になった。

 二六才。大手の会社で働いていることだけは分かっていた。恋愛対象として見てはいなかった。そもそも京子きょうこはそういう感情が分からない。しかも健二けんじには家庭があった。

 しかし、なぜか健二けんじと肉体関係を持つ未来だけは見えていた。

 そして京子きょうこ健二けんじに近付き、肉体関係を迫る。

 翌年、京子きょうこが二〇才の時、妊娠が分かる。

 体調の変化ではない。京子きょうこには総てが見えていた。

 年の瀬。

 雪の降り続く夜。

 健二けんじ京子きょうこに中絶を迫る。

「俺に家庭があることは分かっているはずだ」

 ホテルの一室、服を着ながら健二けんじは焦りを含んだ言葉を吐いていた。

 それに対して京子きょうこは冷静なまま。

「だったら、どうして私を抱いたの? しかも……何度も私の中で…………」

「君が……大丈夫だって言うからじゃないか」

「うん…………大丈夫だったの…………でもね…………〝卵〟が帰ってきたみたいなの…………」

 健二けんじはその声に凄みを感じた。

 それまでの京子きょうこから感じられるものとは明らかに違った。

 京子きょうこは自分のおなかに手を当てながら続ける。

「ずっとこの子を待っていました…………私が産むんです……………………」

 翌年、平成元年。

 京子きょうこ二一才。

 一〇月二三日。

 京子きょうこは女児を出産する。

 その首には、へそが巻きついていた。

 そのため入院は少し長引いたが、それでも無事に退院することが出来た。

 久しぶりのアパートに戻る。

 安いアパート。決しておしゃれな新生活ではない。

 そして、今は一人ではない。


 ──………………私が育てる…………


 数日後、夜になって健二けんじが訪ねてきた。

 退院した日に連絡だけは入れていたが、健二けんじがすぐに来ないのは分かっていた。

 健二けんじは複雑な目で子供を見下ろす。

 健二けんじには子供がいなかった。妻が産婦人科の不妊治療に通っていることはもちろん知っている。健二けんじ自身も検査を受けていた。

 そして、目の前の子供が自分の子だという。

 健二けんじになんの疑念もなかったわけではない。京子きょうこが他の男と関係を持っていたとすれば、自分の子ではない可能性だってある。

 いや、そのほうが助かる。

 しかし、健二けんじのそんな考えすらも京子きょうこは見透かしていた。

「大丈夫ですよ……私もその内、仕事に戻りますし…………ただ、夜に子供を預ける所にもお金が必要ですから…………そのくらいだけ援助してもらえれば…………」

「そのくらいなら……大丈夫だ。なんとかする…………」

 いつの間にか、健二けんじ京子きょうこから離れられなくなっていたのかもしれない。

「……名前は…………決まったのか…………?」

 その健二けんじの言葉に、京子きょうこはゆっくりと応えた。


「…………萌江もえ……………………」





             「かなざくらの古屋敷」

     〜 第三部「蛇のくちづけ」第3話(第三部最終話)へつづく 〜

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