第三部「蛇のくちづけ」第1話 (修正版)

    あの子は魔性の子

    生かしておいてはいけない

    殺せ

    殺せ

    殺せ





 その夏は、蒸し暑い夏だったという。

 それでも昔ながらの日本家屋というのは、良くも悪くも風の通りがいい。風の通り方を考えて作られていることが多い。

 大正の初期から長く宮大工みやだいくとして働いてきた安吉やすきちは、すでに八三才。五年前に肝臓かんぞう腫瘍しゅようが見付かってから長い闘病生活を強いられてきた。

 それでも回復の見込みが無くなったことと安吉やすきち自身が望んだことで、二年前から家に帰ることを許されていた。定期的に病院から医者が来てくれてはいたが、それが形だけのものであることは安吉やすきちも知っている。健診や治療とは言っても、苦しみを和らげるだけのもの。

 代々続く宮大工みやだいくの家。お屋敷と言っても差し支えない立派な家だ。

 広い一二畳の和室。

 大きく開かれた障子の間からは夏らしい風が入り込んでいた。

「もう、いつあの世に行ってもおかしかねえ頃だ…………あんたが来るってことは、そういうこったな」

「縁起でもないこと言うんじゃないよ。ワシは寺の坊主ぼうずじゃないわな。デカい神社の改修工事になれば必ず声のかかってた伝説の宮大工みやだいくのあんたがそんな弱腰でどうするね…………」

 安吉やすきちの布団の脇でそう応えたのはタミ。七一才。地元の歴史ある古い神社────唯独ただひと神社を長い間守ってきた。現在の神社を守るのは息子夫婦だが、現在でも祈祷きとう催事さいじから離れてはいない。

「……もう昔の話だ…………歳に勝てねえのはお互い様じゃねえか」

「あんたの歳なら大往生だいおうじょうさね。今日来たのは、あんたを看取りたくて来たわけじゃない。あんたに昔頼んだの改修工事のことで聞きたいことがあってな…………」

 安吉やすきちはタミから顔を逸らすように天井に視線を移し、返した。

「改修? もう一〇年以上は昔の話じゃねえか?」

 タミの言葉が少しずつ強くなっていく。

「そうさね……そのくらいにはなるかね…………屋根裏の柱…………〝逆柱さかばしら〟にしたのは何故だい?」

 安吉やすきちは開いた障子の向こうに見える縁側に視線を移すと、ゆっくりと応えた。

「そんなことを聞きに……わざわざこんな所まで…………」

「そうさ……あんたがあの世に行く前に聞いておきたくてね……」

逆柱さかばしら? あれは魔除けの意味じゃねえか。わざと一本だけ────」

「屋根を支える柱が総てひっくり返っていたがね…………」

 タミのその声が空気を包む。

 その雰囲気のまま、タミの声が続いた。

「私に分からないとでも思ったかい? 神道しんとうの世界に長くつかえてきた私でも…………あの数は〝呪い〟以外では見たことがないねえ」

「ほう…………あんたでも見たことがないものってあるのかい…………」

「ああ……この歳になってもいくらでもあるさ…………応えな、安吉やすきち

 再び風が入り込んだ。

 蒸し暑い真夏の風だというのに、何故か軽い。

「…………俺は言われた通りに────」

「誰にだ」

 タミのその声は低さだけではない、凄みを持っていた。

「…………言われたんだ…………にな…………」





「あら、熱中症には気を付けてね。畑仕事のおばあちゃん」

 車を降りた途端にそう声をかけた咲恵さきえに、ゆっくりと萌江もえは振り返る。

 懸命に笑顔を抑えながら返した。

「……ま、まだまだ若いもんには…………」

「コントしに来たわけじゃないわよ」

「冷たい……せっかく朝から考えてたのに」

「そんな冷めたボケより、何それ?」

 咲恵さきえ萌江もえが庭の真ん中で手にしているものが気になった。何やら長い取手の着いた機械を地面に押し当てている。

「あ、これ?」

 意気揚々と続ける萌江もえ

「電動の小型耕運機こううんき買った!」

「ああ、畑作りたいって言ってたね」

 咲恵さきえはそう言いながら庭に繋がる縁側に腰を降ろした。

「うん!」

 満面の笑みの萌江もえが続けた。

「なんだかまだよくわかってないんだけどとりあえずやってみようかと」

「うん、よく分かってないことは伝わった。とりあえず熱中症には気を付けてね」

「まだ春だよ」

 応えながら、萌江もえも軽く息を吐きながら縁側に座る。

 春の昼前にしては強い陽射し。

 すぐに咲恵さきえが返した。

「春なのに夏日の気温だから言ってんの。でも山の中はだいぶ涼しいみたいね」

「まあね。ここで暮らしたくなった?」

「残念でした。久しぶりに仕事の話したら帰ります」

「…………ずっといてよ……」

 少しトーンを落とした萌江もえのその声に、咲恵さきえは少し驚いた。

 視線を落とした萌江もえが、咲恵さきえの手を両手で包んでいる。

「…………ここで……一緒に暮らしたらいいじゃん…………ずっと一緒にいよ」

 その言葉に、少し咲恵さきえは戸惑う。

 それでも大きく上がった萌江もえまぶたがゆっくりと降りていくのを見ると、慌てたように咲恵さきえは返していた。

「ちょっと…………冗談だってば…………帰るわけないでしょ…………今日は美味しいご飯作ってくれるんでしょ?」

「ふふ…………その通り…………」

 途端に萌江もえはいつもの笑顔を浮かべて続ける。

「一晩塩麹しおこうじに漬け込んだ鳥の胸肉を朝にはオリーブオイルと白ワインと塩胡椒でさらに漬け込んで────」

「とりあえず美味しいわけね」

「任せなさい」

 事実、咲恵さきえ萌江もえの作る料理が好きだった。

 例えアルバイトとはいえ、伊達に料理の世界にいたわけではなかった。最初は化学の実験のように感じたらしい。なんとなくその考え方が、心霊現象を科学的に検証するのが好きな萌江もえらしいと、常々咲恵さきえは感じていた。

 そして街中にいた時以上に、山の中で生活している萌江もえは料理を楽しんでいるようにも見える。食べてくれる人がいないと料理をする気になれないと言っていた萌江もえにしては、やはり今の環境が向いているのだろうか。

「麦茶飲む? 朝に作っておいたよ」

 萌江もえは立ち上がるとリビングを抜けてそのまま台所へ。冷蔵庫の扉の音と氷の音が縁側まで届き、それだけで涼しげな空気が流れた。

「水周りのリフォームって全部終わったんだっけ?」

 声を上げる咲恵さきえに、グラスを二つ持って歩きながら萌江もえが応える。

「この間、台所の排水部分も終わったから、これで全部だね」

 グラスを受け取った咲恵さきえが返す。

「お風呂場もトイレも綺麗になったしねえ。外壁もするの?」

「んー…………やったほうがもちろんいいとは言われたけど…………屋根と外壁はそのままでもいいかなって思ってる」

「そうなの?」

「なんか、この家の見た目って、嫌いじゃないんだよね。屋根の瓦とか…………中の床と壁を変えて快適に暮らせれば、それでいいかな」

 そう言って萌江もえは笑顔を浮かべて続けた。

「いいものは残していきたいじゃん。総てが新しいってなんか寂しい感じがして…………勿体ないしね」

 萌江もえさわやかな笑顔を見せる。

 その表情に、自然と気持ちの穏やかになった咲恵さきえが返した。

「なんか分かるな…………お互い歳とったねえ」

「まだまだ若いもんには負けんよ」

「で、今回の仕事なんだけど…………」

「どうしてスルーされるのか」

「仕事には真面目に取り組んでもらいます」

「はーい」

 そして萌江もえが後ろに寝転がると、軽く笑顔を浮かべた咲恵さきえが話し始める。

「ちょっと遠いよ。だいぶ南」

「いいじゃん。新婚旅行みたいで」

「仕事だと心霊旅行だよ…………みっちゃんの依頼だから少し面倒だし…………」

「勿体ぶらないで言ってみなよ。萌江もえちゃんが解決してあげるから」

「……霊能力者が絡んでる…………」

「…………ほう……」

 萌江もえが体を起こした。

 そして、口元に笑みが浮かぶ。

 その横顔を見ながら、咲恵さきえが続けた。

「〝呪われた土地〟って言われてる所なんだけど…………」

「みんなそういうのが大好きだから世界中にあるが」

「まあ、そうなんだけど今回は〝首狩くびかりの村〟って言われてる心霊スポット」

「ああ、あそこね…………」

 再び後ろに体を倒した萌江もえが続ける。

「昔、処刑場があったって言われてる所でしょ? そういう所って全国にあるみたいだけど…………確かそこって、土砂崩れで埋まったんだっけ?」

「その土砂崩れもその処刑場の呪いじゃないかって言われてる所」

「ありがちな設定だなあ」

「そこもだいぶ前に再開発で住宅地になってたみたいなんだけど、結局自殺者とか体調不良者が続出して今は廃墟が並んでるって場所…………昔テレビとかでも紹介されてた気がするんだけど…………」

「そうだったねえ…………今はテレビも見なくなったから知らないけど…………最近はネット動画かなあ。あそこはまだまだ根強い人気みたいだけど…………地元の人間からしたら迷惑もいいとこだろうね」

「でしょうね…………実際行政側も困ってるみたい。元々周りを山に囲まれたすりばち状の街なんだって。だからどうしても閉鎖的になってきたんだろうけど、そこに変な噂があるんじゃ人口なんて増えないからって…………」

「人口減少の理由がそれだけとは思えないけどね…………」

 そう言った萌江もえがグラスの麦茶を喉に押し込む。

 その汗ばんだ首筋を横目で見ながら、咲恵さきえが続けた。

「その〝首狩くびかりの村〟の近くにトンネルを掘ってるらしいのよ。そしてお決まりの事故の多発…………それが最近また処刑場の呪いって話題になってるみたい。行政はどうしてもトンネルが欲しくて一〇年くらい前から工事をしてるらしいんだけど、今じゃ呪いを怖がって請け負う業者も無くて困ってるみたいね」

「トンネルで交通の弁が良くなれば企業誘致もしやすい、か」

「そんなところでしょうね。地方の街からしたら死活問題なわけだし」

「そういう時代か…………」

 萌江もえはそれだけ呟くように応えると、縁側から立ち上がって体を伸ばす。Tシャツが僅かに汗で肌に張り付いたまま、両腕を上に伸ばし、軽く左右に体を揺らした。

 咲恵さきえはなぜかその姿から目が離せない。

 その咲恵さきえが立ち上がりかけた時、萌江もえが首だけで振り返った。

 咲恵さきえはその目にハッとし、浮かしかけた腰をそっと降ろす。

 口を開いたのは萌江もえ

「まさか今回の依頼って、市役所とかじゃないよね」

 僅かに慌てた自分を見透かされまいと、咲恵さきえは平静を装いながら応えた。

「まさか…………奉行所ぶぎょうしょが必殺仕事人に依頼したらビックリだわ」

「それもそうだ」

 その萌江もえの笑顔を見て、なぜか咲恵さきえは胸を撫で下ろしながら返す。

「最初に話した霊能力者って…………神社のおはらいじゃ手に負えないからって宮司ぐうじさんが依頼したみたいなんだけど、その霊能力者も息詰まって…………自分の所の税理士に相談したみたいなのよ」

「税理士? 耳の痛い話だ」

「相談っていうか、愚痴みたいなものだったんでしょうけど…………その税理士って、みっちゃんの知り合いだったのよねえ」

「さすがに顔広いねえ。でも税理士はまずいなあ。奉行所ぶぎょうしょに目をつけられちゃマズいじゃん」

「それは大丈夫。お金を払うのは霊能力者だけど、税理士経由で直接みっちゃんに渡るし、私たちが税理士に会う必要はないよ。それに…………だって分かって依頼したみたい。もちろん、私たちが何者かも知らずにね」

「あの業界の人って、なんだか〝裏の仕事〟が好きだよねえ…………」

「まさか…………みっちゃんってほら、なんか裏で手を引いてる悪代官みたいだからじゃない?」

「どんな理由だ…………ま、よほど困ってるってことかな。税理士ってことは……行政とも繋がりがあるか…………地方の閉鎖的な田舎街ねえ……手間のかかりそうな仕事だなあ…………」

 咲恵さきえには、萌江もえが乗り気じゃないのが口調から分かっていた。税理士の存在だけが問題ではないようにも見える。


 ──……まさか…………早速何か感じてる…………?


「それよりさあ」

 再び振り返った萌江もえが、咲恵さきえの目を見ながら続けた。

咲恵さきえ…………さっきからいやらしい目してる」

「ちょっとだけでしょ⁉︎ してません!」

「認めたじゃん。私の背中に興奮して────」

「してないから!」





 さほど夜の業界が忙しくない時期でもある。

 五月のゴールデンウィークが終わった直後。人の動きは少ない。咲恵さきえの店は元々観光客をターゲットにした店でもないため、旅行を中心に世間の動きが激しくなるゴールデンウィークはそれ自体が静かな期間だった。しかもお金が動き続ける時代でもない。多く使った後の財布の紐は硬くなる。そんな頃。

 今回の仕事はさすがに咲恵さきえも店を休まざるを得なかった。距離もあるが、それより長期の案件になる可能性が高かったからだ。念のために一週間、店を女の子たちに任せてきたが、長く働いている子たちばかり。時期的にも何の問題もないだろう。咲恵さきえが危惧しているのは新婚旅行と思われていることぐらいだ。

 季節外れの夏日が続いていたが、その街は海から距離があるにも関わらず比較的穏やかな気候だった。

 周囲の山の連なりが影響していることは明白だ。低い山々とは違い、標高が高めの山が多い。山から降りてくる風の通り道も形状的に確保されているため、空気がよどみにくい所だった。

 そんな説明を、なぜか萌江もえ咲恵さきえの二人は街の税理士事務所で聞かされていた。

 応接室には三人だけ。

 二人は五〇代くらいと思われる税理士と、麦茶の入ったグラスが三つ乗ったテーブルを挟んで対峙していた。

 立坂修二たてさかしゅうじ────周囲の三つの村を吸収合併した、この市の税理士協会の会長でもある。

 その立坂たてさかが街の立地条件を説明した後、ゆっくりと話を本題に持ち込む。

「それで…………今回のご依頼の件なのですが…………」

 穏やかな笑顔。

 萌江もえはあちこちに視線を転々としながら落ち着かない。

 目の前のグラスの隣に置いた名刺に視線を落としたまま、咲恵さきえが返す。

「ええっと…………立坂たてさかさん…………私たちは…………そのですね…………」


 ──……みっちゃん……寝返ったな…………


「ご安心を…………お二人のことは満田みつたさんから総て伺っております」

 笑顔でそう応える立坂たてさかに、反射的に咲恵さきえが声を上げた。

「すべて⁉︎」

満田みつたさんは私の大学の先輩に当たります…………大変お世話になりました…………お二人のことは常々…………」

「つねづね⁉︎」

「実は以前から存じ上げておりました」

「以前から⁉︎」


 ──……目をつけられてたか…………


「すでに何度か、お二人には私からの依頼を受けていただいているんですよ」

 そう続ける立坂たてさかはやはり笑顔。

 咲恵さきえももはや条件反射で返していた。

「────え?」

「私の名前と職業は伏せておりましたが」

「……はあ」

「なんか…………隠れてこういうのって、かっこいい感じがしてましてね…………」

 そう言って、まるで子供のような笑顔を浮かべる立坂たてさかに、萌江もえが身を乗り出す。

立坂たてさかさん」

 萌江もえが真面目な声で続ける。

「これからもよろしく」

「それはありがたい」

 立坂たてさかの満面の笑みを見ながら咲恵さきえは思った。


 ──……裏の元締もとじめか?


 その立坂たてさかが続けた。

「いつかお会いしたいとは思っていましたが、私の職業柄…………お二人が嫌がるんじゃないかと満田みつたさんが申されましてね」


 ──……そりゃそうだ…………


 そう思いながらも咲恵さきえが返す。

「そうでしたか…………それで、今回のご依頼ですが────」

「ドキドキしますね」

 無邪気な笑顔を見せる立坂たてさかを見て咲恵さきえは思う。


 ──……この人もだいぶヤバいな…………


「ではまず、時系列順にご説明します。現在〝首狩くびかりの村〟と呼ばれている場所の説明からになりますが…………そこは確かに昔の処刑場があった場所で間違いないようです」

「心霊スポットって嘘のウワサ多いけど、本当なんだ」

 その萌江もえの言葉に立坂たてさかがすぐに返した。

「そうですね。戦国時代というんですか…………今はありませんが慰霊碑まで建てられていたそうでして……とは言っても昔の物ですから、当時の村が定期的に管理する程度だったと聞いています。そこが昭和六〇年に小さな村ごと土砂災害で埋まってしまったことも事実です。村人もほとんどが犠牲になったと伺っておりますが、実はその村が吸収合併されることはその前から決まっておりましてね。村全体がそんな状況ですから、強制的に吸収を急ぐしかなかったんでしょうな」

 そこに言葉を挟んだのは萌江もえだった。

「生き残ったのって何人だったの?」

「お一人と伺っております」

「一人だけ?」

「確か若い女性だったと聞きましたが…………残念ながらそれ以上は…………」

「ふーん…………」

 小さくそう応えた萌江もえが続ける。

「ごめん、続けて」

「はい…………市が再開発を始めたのが平成元年です。年号が変わったことでイメージを変えたかった意図もあったようですが、平成最初の公共事業ということで力を入れたそうですよ」

「住宅地は完成したんでしょ?」

「はい、五年ほどで…………それなりに事故はあったでしょうが…………村の名前も無くなったことで災害とは言っても風化いたしますし…………住民も増えて何も問題はなかったといいます。私が税理士の職に就いたのがその頃でしてね。おかしな話が広がり始めたのが、確か平成一〇年頃だったと思います。世帯数は五〇程度あったのですが…………そのほとんどで次々と自殺者が出ましてね」

「呪いの始まり?」

 そう言って麦茶を一口だけ飲み込んだ萌江もえに、立坂たてさかは肩を落として続けた。

「そうです…………しかも精神疾患を患う住人が増えました…………市は昔のことがあったのですぐに神社におはらいをお願いしたのですが、それからも自殺者は増えました。テレビに取り上げられたのは丁度その頃だったと記憶しております。それからはいくつもの神社から宮司ぐうじさんをお呼びしたのですが、結局解決しないまま住人はいなくなりました」

 萌江もえはソファーの背もたれに背中を押し付けて返す。

「そして廃墟群になって今は心霊スポットか…………嫌な話だね…………その廃墟の街…………市はどうするつもりなの?」

「もちろん以前から新たな再開発の話はあります。近くにトンネルを掘って、同時進行で廃墟を総て取り壊して再び住宅地にしたいと…………」

「元の住人でまだ生きてる人は? 土地の所有者問題とか」

「総て市が買い取りました。そのくらいに大規模な公共事業計画だったんです」

「そっか、トンネルが出来て企業進出を誘致出来れば、いずれは人口が増えるし」

「そういうことです。しかし、事故があまりにも多過ぎました。いくら大規模な工事とはいえ、一〇年で三〇人近くが亡くなっています…………元々噂のあった土地ですし、最近になってまた話題になってきましてね」

「それで霊能力者を頼んだの?」

 そう言った萌江の目が僅かに鋭くなったのは、立坂にもすぐに分かった。

 それでもすぐに返す。

「直接的には、以前にお祓いをお願いした宮司さんからの紹介だったようです」

「地元の人?」

「ええ…………残念ながらまだ効果は無いのですが…………事務所の立ち上げ段階で私が絡んでいる方でもありましてね…………」

 そこで口を開いたのは咲恵さきえだった。

「なるほど…………事の流れは分かりました…………でも満田みつたさんに話を持ち込まれたということは、立坂たてさかさんの中でも何か引っかかるものでも?」

「ええ」

 そう言って立坂たてさかは少しだけ身を乗り出して続けた。

「今回は私の地元ですし、だからこそ……今回は無理をしてお二人に会わせて頂きました」

 そして萌江もえの口元に笑みが浮かぶ。

 立坂たてさかの言葉が続いた。

「おはらいで事が収まらないということは…………必ず他に理由があるはずです。私は〝呪い〟の理由が知りたいだけですよ」

 そこに笑みを浮かべた萌江もえ

元締もとじめに頼まれちゃ断れないねえ」

 そして、咲恵さきえが小さく溜息をいた。





「確かに見事なまでの廃墟群ですね」

 立坂たてさかの運転する車の後部座席から、外の景色を眺めながら咲恵さきえが呟くように言った。

 運転席から立坂たてさかが返す。

「取り壊しの業者ですら見付からない有様ですよ」

 道路の連なり自体はよくある新興住宅地だったが、並ぶ家々は明らかに人の手が入っていないことが伺えた。多くが雑草に囲まれた状態で放置され、ガラスの割れた場所も見える。不法侵入が横行していることは目に見えて明らかだった。

 しかもかなりの敷地の広さ。行政が見捨てられないのも頷けた。

 市の中心部からは若干の標高の高さがあったが、目線を変えれば見晴らしのいい場所とも言える。小さなスーパーマーケットのような建物も見えた。中心地からの交通の便も悪くはない。元々冬でも雪が積もるようなことは稀な地域。見た目だけなら住みやすそうにも見える地域だった。

 咲恵さきえの隣に座って外を眺めていた萌江もえが、突然胸元に左手を添えた。

萌江もえ? どうかした?」

 思わず声をかける咲恵さきえに、萌江もえは平静を装う。

「ん…………大丈夫」

 しかしその目は何かを訴えていた。


 ──……水晶が熱いんだ…………


 咲恵さきえがそう思った時、車が静かに停まる。

「こちらが、土砂災害の時の慰霊碑です」

 そう言って外に出る立坂たてさかに、二人も続いて外に出た。

 標高のせいか、まだお昼時だというのに風が涼しい。

 五メートルはありそうな立派な慰霊碑がそこにそびえていた。周りの廃墟群の雰囲気からすると異質に見えるほどの物だ。すぐ隣には説明文が彫られた石碑もある。添えられている花も最近の物だ。しっかりと人の手が入っているのが分かった。

「毎年の慰霊祭は今でも続いています。もっとも、最近の参加者は市役所の職員だけですがね。あとは地元新聞社のカメラマンが来てくれるだけです…………」

 そう言いながら、立坂たてさかの声はどこか寂しげ。

 そして、慰霊碑の周りは林に囲まれていた。

 なぜか萌江もえはその林に目を配り、上を見上げている。


 ──…………どうしたの?


 咲恵さきえがそう思って萌江もえを目で追った直後、萌江もえが呟く。

「鳥の声がしない」


 ──……ホントだ…………


 咲恵さきえも言われてから気が付いた。

 慰霊碑の周りだけでなく、住宅地自体が山に続く林に囲まれているにも関わらず、確かに静かだった。

 春。

 季節的にも静かな時期でもないはず。

 萌江もえも山の中で暮らしているせいか、この静けさが異質なものに感じるのだろう。

 応えたのは立坂たてさかだった。

「そうですね…………この近辺の山にはどういうわけか野生動物がほとんどいないそうですよ」

「まさか」

 萌江もえの言葉に立坂たてさかはすぐに返した。

「下には畑もありますが、獣害と無縁の土地だそうでして…………住みやすい所だと思うんですけどねえ」


 ──……そういえば…………この街に来てから虫も見てない…………


 咲恵さきえの頭にそんな言葉が浮かんでいた。


 ──…………どうして………………


 そして、聞こえてくるのは車の音。

 立坂たてさかの黒い車の隣に、一台の黄色い軽自動車が停まった。

 そこに振り返る立坂たてさか咲恵さきえと違い、萌江もえは分かっているかのように林を見上げたまま。

 降りてきたのは小柄な女性だった。

 萌江もえ咲恵さきえよりもかなり若い。二〇代前半だろうか。黒いショートボムの髪に、実際に見ることの少ない黒いゴシックロリータの衣装。車を運転するためか、底の厚いブーツのヒールは決して高くない。

 唖然とする咲恵さきえを無視し、その女性が口を開いた。

立坂たてさかさん、こんな所に呼びつけるってことは…………この人たち?」

 威圧的な態度に少し違和感を感じながらも、咲恵さきえの中にイメージが浮かぶ。


 ──……なるほど……そういうことか…………


 すぐに咲恵さきえの側に寄ってきた立坂たてさかが返した。

「お待ちしてましたよ西沙せいささん。こちらのお二人です」


 ──……策士な元締もとじめだこと…………


「ふーん…………」

 女性は咲恵さきえを目を細めて眺めてから口を開いた。

「どんな霊能力者が来るのかと思ったら…………ただのおばちゃんじゃん」


 ──……やっぱりそうくるか…………


 咲恵さきえは表情を変えることすらないまま、そのピリピリとした雰囲気を恐れた立坂たてさかが口を開く。

「こちらは御陵院西沙ごりょういんせいささんです…………まだお若いですが、街ではちょっとした有名人でして…………」

黒井咲恵くろいさきえです。よろしく」

 身長の高い咲恵さきえは、意図せずに見下ろすように手を差し出した。

 軽く視線をずらしながら西沙せいさが手を出す。

「……よろしく」

 すると立坂たてさかが額の汗をハンカチで拭いながら挟まった。

「それで……あちらの方が…………」

 全員が顔を向けた時、林を見上げて背中を向けたままの萌江もえの声。

「大したことないね」

 そしてゆっくりと首だけ振り返った萌江もえが続けた。

「でもそのゴスロリのスカートから伸びる太もも…………私は好きだよ」

「変態⁉︎」

 西沙せいさの張り上げた声が林に木霊した。

 そして、咲恵さきえが小さく溜息をいたのには誰も気が付かなかった。





 昭和四三年。

 村で古くから続く唯独ただひと神社に、京子きょうこは長女として産まれた。

 父、清吉きよきち。母、より。祖母、タミ。

 清吉きよきちは代々の血を受け継ぐ宮司ぐうじとして村人から尊敬を集め、よりは隣町の神社の血を引き継ぐ巫女みことして嫁いできた。

 清吉きよきちの母であるタミはたまたま男兄弟がいなかったために神社を守ることになり、その類まれな能力で村人をまとめてきた過去を持つ。

 神社には代々伝わる水晶があった。

 しかも必ず女系に伝えるようにと言い伝えられてきた。そしてなぜか神社を引き継ぐのは男女が交互。そして清吉きよきちの次はやはり長女の京子きょうこ。その京子きょうこが水晶を受け継ぐことになる。

 僅かに黒味がかった〝火の玉〟と、透明な〝水の玉〟。

 必ず対になる形で保管されてきた。

 純日本産の水晶は珍しい。そしてこの二つの水晶は災厄さいやくを退ける効果があるとされた。

 通常は三才になる時に正式に伝承されるが、タミの言葉によって産まれた直後に伝承されることになる。

安吉やすきちは嘘は言わん…………まだボケてもおらんしな」

 田舎の小さな神社。鳥居を抜けるとすぐに拝殿はいでんがあり、そして本殿となる。その本殿の中、早朝の朝拝ちょうはいが終わったところで清吉きよきちはタミに捕まっていた。

 そのタミが続ける。

「屋根裏の逆柱さかばしらの件はお前にも分かったであろう。一〇年以上も結界で隠すとはどういう了見かと問い詰めたら白状しおった」

 清吉きよきちにもそれは驚くことだったが、理由を分かりかねていた。

 本来、建物の柱は太さや長さに関わらず、木が地面に生えていた時と上下は変えない。わざと一本だけ逆にするという考え方もあるようだが、それは〝完成したものは後は衰退していくだけ〟という考えから、敢えて不完全にするためだ。しかしそれは稀であり、基本的には上下を逆にすることはない。

 それをするとしたら〝呪い〟をかける時だけ。さらにその柱に呪物を括り付けることもあるという。建物の柱を〝呪い〟で逆柱にするのは当然誰でも出来ることではないし、大抵は指示を受けた大工が行う。古くは必ずしも家の持ち主が家を建てるとは限らない時代に存在した呪詛じゅそ。そして歴史的な建造物で見られるとしてもそう多くはない。よって、呪詛じゅそとしてはあまり有名なものでもないのが実情だ。

「それで母上…………理由とは、どういう…………」

「…………〝蛇〟に…………言われたそうじゃ…………逆らえなかったと…………」

「蛇…………ですか…………しかし、蛇は守り神としてまつられている神社も多くありますよ」

「神が逆柱さかばしらで呪いなんぞかけるものかね…………神と魔というものは紙一重じゃ…………魔に魅入られた神もおる。そのたぐいのものかもしれん。細かいことが分かるまでは下手に屋根裏にも手を出さんことじゃ」

「そうですね……警戒はしておきます…………無事に京子きょうこも産まれたばかりですし…………」

京子きょうこにはすぐに水晶を授ける…………水晶無しであの子を本殿に入れるわけにはいかん」

 母のよりと娘の京子きょうこが退院するには少々日数がかかった。

 出産時、京子きょうこの首にへそが巻きついていたからだった。一時は小児集中治療室に入ったが、それでも一〇日で退院することが出来た。

 退院した日の夜、寝ている京子きょうこを見下ろすタミがいた。

「お母様…………どうされました?」

 そう聞くよりの声に、タミは呟くように応えていた。

「…………蛇が…………巻きついておる……………………」





          「かなざくらの古屋敷」

      〜 第三部「蛇のくちづけ」第2話へつづく 〜

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