送り犬

平中なごん

一 忠犬

 渋谷駅前で待ち合わせしようってなって、まず一番に思い浮かべるとすれば、やっぱり忠犬ハチ公像ですよね?


 生前と変わらず、亡くなった飼い主の先生を毎日駅まで迎えに来ていた秋田犬ハチをモデルに建てられた、誰もが知るあの有名な犬の銅像ですけどね、これも、そんな駅の改札前で人を待っている犬にまつわるお話です……。


 私の学生時代の友人がもう10年以上も前に体験した、なんとも奇妙な出来事なんですけど、仮に彼のことをK君とでもしときましょう。


 K君、関東のとある地方都市に住んでいて、働いてる会社まで電車通勤をしていたんですが、いつの頃からか、夕方、仕事を終えて帰ってくると、最寄り駅の改札口前に真っ黒い犬がいるのを見かけるようになったんです。


 色は真っ黒なんですが、大きさは芝犬くらいですかねえ。その犬が、改札を出た所にあるちょっとした公園のベンチ脇にちょこんと座って、誰かが出てくるのをじっと待ってるようなんだ。


 夕暮れ時の橙色と薄闇の混ざりあった空の下で、居酒屋なのか近所の家なのか、帰宅する人達の雑踏の中に魚や焼きとりを焼くようないい匂いが風に混ざって流れて来たりしてね、駅前にぽつんと座っているその犬の姿が、これまたまあいい絵になるんですよ。


 そんな絵になる風景の中で、あれ、誰かのお迎えかなあ? と気になってK君が眺めていると、案の定、グレーのスイーツを着た一人の老紳士が改札を出て来るのを見つけて、すぐにそちらへ駆け寄っていくんですね。


 駆け寄って来た黒犬に、老紳士もにこやかに白い口髭の生えた顔を綻ばすと頭をこう撫でてやるんですね。見るからに犬好きそうなお爺さんですよ。


 ひとしきり犬を撫でてやってから老紳士が歩き出すと、黒犬もその後をついて行きます。


 ああ、あの犬、やっぱり飼い主のあの爺さんを迎えに来たんだな。なんだか、ハチ公みたいじゃないか……。


 老紳士とともに去ってゆくその黒犬を見送りながら、K君、そう思ったんだそうです。


 まあ、地方都市ですからね、利用する人はそれなりに多いとはいえ、渋谷みたいに大きな駅ではないですよ。でも、この駅前というシチュエーションと、その一人と一匹の微笑ましい姿を見ていると、やっぱりあの日本一有名な犬を連想してしまいますよね……。


 それからまた何日か経ったある日の仕事帰り、改札を出たK君は、また駅前でその黒犬を目撃したんです。


 前と同じように、駅前のベンチの脇にちょこーんと座って誰かを待ってるんですね。


 ああ、今日もあのお爺さんを迎えに来たんだ。ほんと、頭のいい犬だなあ……。


 そんなことを思いながら、K君、またぼんやり眺めていたら、やっぱり犬がやって来た人物の方へ駆け寄って行くんです。


 ですが、その人物、予想外にもあの老紳士じゃあなかったんですね。


 今日はOLさんらしき、カーキのトレンチコートを着た若い女性なんです。でも、犬はよく懐いている様子でその女性に擦り寄っていきますし、彼女の方も彼女の方でその場にしゃがみ込むと、犬を親しげにあやしています。


 そして、女性が立ち上がって歩き出すと、また犬もその後をカルガモの親子のようについていくんですよ。


 あれ、あのお爺さんを迎えに来たんじゃないのかなあ? でも、あの懐いてる様子からすると、もしかして孫娘か誰か、あのお爺さんの家族かもしれないなあ……。


 女性とその犬のやりとりを見ていて、K君、そんな解釈をしたんですね。


 ところがですよ。また数日経ったある日、K君はまた帰りに駅前で待っている黒犬を見かけたんですが、その日、犬の駆け寄って行った相手は老紳士でも若い女性でもないんですよね。


 今度は紺のスイーツを着た典型的なサラリーマン風の中年男性なんですね。


 それでも、犬は人懐っこく男性の方へ向かってゆくと、男性の方も笑顔を浮かべて犬を撫でてやってる。


 あれえ? また別の人だけど、もしかしてあの人も家族なのかな? 年齢からして、あのお爺さんの息子さんで、あのOLさんはこの人の娘さんかなあ?


 この前と同様に、K君はそんな風に家族なんじゃないかと思ったんですけどね。それが、その後も何回か駅前で誰かを待っている黒犬を見かけたんですが……その度に出迎える相手が違うんですよ。


 ある時は女子高生だったり、またある時は買い物帰りらしいおばさんだったり、とにかく毎回違う人なんだ。老紳士だとかOLさんだとか、前に見かけた人をもう一度出迎えるってことがないんですよ。


 まあ、全員、家族だって可能性もありますよ。でも、やっぱり何かおかしいですよね? 家族だとしても、同じ人の場合が一度もないなんてことあるんでしょうか?


 それでも、偶然が重なっただけで、きっとあれは全員家族なんだろうな……と、K君は常識的な考え方で自分を納得させていたんですけどね、その内、ついにその謎の解ける日がやって来たんです。

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