第37話 私の本音。

 先ほどまでがやがやと賑やかだった街の喧騒も、もう私の耳には届いてこなかった。


 ここは以前訪れた本屋さんから少し歩いたところにある住宅街近くの公園。その隅っこに置かれているベンチに、私は一人静かに腰掛けていた。

 目の前にある大きなタコの形をした滑り台では、この辺りに住んでいる子供たちが楽し気な声を上げて遊んでいる。


 誰かがブランコを漕ぐ音や、風が揺らす葉擦はずれの音。

 そして、子供たちが奏でる賑やかな笑い声。


 たとえ初めてくる場所であったとしても、こうやって公園に来ると少しでも寂しさが紛れて心が落ち着くのは、きっと私にとって特別な想いが詰まっているから。

 そんなことを思うと、私はそっと息を吐き出して真っ青な空を見上げる。

 きっとまさ君のことだから、今ごろ無事に朱華あやかちゃんのことを見つけて、二人の仲を深め合っていることだろう。


「これで……良かったんだよね」



 ――おばあちゃん。



 ふいに呼び掛けてしまったのは、もう二度と会うことはできない、私にとって大切だった人。

 けれどもそっと瞼を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる私の大好きだったあの笑顔。


 幼い私たちがまだまさ君の家に預けられる前、多忙な両親の代わりに自分たちの面倒を見てくれていたのは、いつもおあばちゃんだった。

 家事は何でもできて料理がとても美味しくて、そして物知りでわからないことがあれば何でも教えてくれて。

 わがままでやんちゃな私たちをいつも公園に連れて行ってくれては、日が暮れるまでずっと優しく見守ってくれていたおばあちゃん。

 たぶんまだ幼かった朱華あやかちゃんと心晴こはるちゃんはもうほとんど覚えていないと思うけれど、おばあちゃんは孫娘だった私たちのことをとても可愛がってくれていた。

 そして長女だった私はそんなおばあちゃんの愛情を、そして一緒に過ごした時間も、一番多く受け取っていたと思う。



 ――まりあちゃんはおねえちゃんだから、妹たちをよろしくねぇ。



 病院のベッドで寝たきりになってしまっても、いつもと変わらぬ優しい笑顔でそんな言葉を伝えてくれたおばあちゃん。


 そしてそれが、大好きだったおばあちゃんと交わした最後の言葉であり、小さな約束だった。


 それからまさ君の家に預けられるようになった私は、お世話になるまさ君のご両親に迷惑が掛からないようにと、幼いながらもできるだけ妹たちの面倒を見るように頑張っていた。

 

 大好きだったおばあちゃんとの約束を守れるように。


 ちゃんと自分が二人のお姉ちゃんであれるように。


 神嶋家の長女として、家族みんなのことを支えてあげられるように。


 不器用でダメなところはたくさんあるけれど、それでも私はあの子たちの、そしてまさ君にとっても、頼りになるお姉ちゃんであれるようにずっと努力を続けてきた。


 そう……

 

 だからこそ、怖かったのだ。


 まさ君と付き合い始めて、そして彼に対する気持ちが大きくなればなるほど、そんな自分が変わっていってしまうことが。

 いつからか、彼に対して求めてしまうことが、願ってしまうことがたくさん出てくるようになってしまったから。


 もっと甘えてみたいとか、頼ってみたいとか。

 しんどくなった時は相談にも乗ってほしいし、寂しくなった時はいつでも会いに来てほしい。

 ほんの些細なことでもいいから、嬉しかったことや悲しかったことがあった時は、私に一番最初に聞かせてほしいとか。


 本当は年上である私のほうがしっかりしないといけないのに、いつのまにか自分のほうがまさ君のことを求めるようになっていて、そんな自分自身が受け入れられなくて、いつか彼に嫌われてしまうのではないかと怖くなったのだ。

 だから、あの日……


「本当は私……まさ君が思うような人じゃないんだよ」


 いつか伝えることができなかった言葉の続きを、向かう宛てのない風に乗せるかのようにそっと呟く。


 できることならもう一度、今度こそまさ君にとって理想の彼女になり、彼の隣にいたかったけれど、おそらくそれはもう叶わない。


 結局私は自分の弱さと向き合うことができず、まさ君とも向き合うこともできず、そしておばあちゃんとの約束もいまだ守れず、何もかも中途半端なまま。


 きゅっと胸の奥で締め付けられる痛みを誤魔化すように、私は両手の指先を強く握り締める。


 たとえ今がどんなに悲しくて情けなくても、家に帰れば私はいつもの神嶋かみしま真理愛まりあ

 そう、あの子たちのお姉ちゃんなのだ。


 乾いた心にそんな決意だけを無理やり灯して、そっとベンチから立ち上がろうとした、まさにその時だった。



 ――やっぱりここに居たんですね。



 不意に届いた言葉に、「え?」と思わず自分の耳を疑う。

 そして驚いて見上げた視線の先、青空を背景に私の視界に映ったのは、今でも大好きな男の子の笑顔。


 あぁ……どうして君はいつも……

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