第35話 これぞ漢の真の姿。

 事態は俺が思って以上に、最悪の展開を迎えていた。


 心晴の目撃証言によって運よく朱華あやかの後ろ姿を見つけることができた俺は、そのまま声をかけるタイミングを見計らうためにストーカー……いや、彼女の身を案じる幼馴染みとして後を付けていた。

 こそこそと歩く自分の姿を、すれ違う通行人からは度々気持ち悪がられることもあったのだが、そこまではまだ良かった。

 そう、朱華に声を掛ける変な男が現れるまでは……


「あ、あのー……」


 己の人生史上、ありったけの勇気を振り絞って放った第一声。

 けれども俺は続く言葉がまったく思いつかず、ただゴクリと唾を飲む。

 朱鳥に声を掛けていたいかにもチャラそうなこの男はずっと彼女のことをつきまとっていたばかりか、あろうことか嫌がる朱華と無理やり手を繋ごうとしていた。

 そんな場面を目撃してさすがにこれ以上はマズいと思った俺は先ほど口を開いた通り、まるでヒーローのごとく声を掛けたわけなのだが……


「あぁ? なんやお前は」

「い、いや僕はですね……」


 怪しいものじゃないんですっ! と思わずこちらが言ってしまいそうになるほどの怖そうな気迫。ってか何だよこの、ラスボスを前に間違って裏ボスにエンカウントしてしまいました。みたいなシャレにならない展開は!

 早くもガクガクぶるぶると震えだした両膝を、俺は深呼吸によって無理やり落ち着かせる。


 しかしおとこ将門まさかど、こういう事態でも心得ている。


 こう見えても空手は気持ちだけなら黒帯五段、それに柔道だって中学の体育で経験済み。

 妄想の世界だったらいつでもかめはめ波ぐらい打てるぞ! と一人ビビりながらも気持ちを無理やり鼓舞していると、チャラ男がぐいっと俺の前に近づいてきた。


「俺の邪魔すんねやったらいてこますぞ」

「……」


 いてこます? と頭の中で一瞬クエスチョンマークが浮かんだのだが、この状況を見ればどう考えたってそれが「仲良くしようぜ!」という意味じゃないことぐらい俺にもわかる。

 おそらくコロスとか引っぱたくとかそっち系の物騒な意味だろうと一人解釈して再び膝が震え始めてしまう自分。

 ここはもうとりあえず朱華だけでも解放してもらい、俺がこの身を削って奉公するしかないのだろうとゴクリと唾を飲み込んだ時だった。



 ――将門、早く行くわよっ!



 それまでずっと黙っていた朱華が突然口を開いたかと思うと、彼女は急に俺の右手を握りしめてきた。

 そして俺が「え?」と呆気にとられているうちに、朱華はチャラ男を置いてスタスタと歩き始める。


「お、おいお前らっ!」


 背後から少し動揺した様子のチャラ男の大声が聞こえた瞬間、俺はビクッと肩を震わせるも、前を歩く朱華は振り返ることもなく堂々とした足取りで元来た道を突き進んで行く。


 あぁ、俺ってマジで恰好つかないな……


 女の子を助けるつもりで飛び込んだはずが、逆に自分が助けられてしまった事実に思わず大きなため息を吐き出してしまう。

 けれども前を歩く朱華の後ろ姿には、もう落ち込んでいる様子もなければ悲しそうな影もなかったので、まあこれはこれで良かったのだろう。


「な、なあ朱華……」

「何よ?」


 俺の呼びかけにも立ち止まることもなく、そのままスタスタと前を歩き続ける朱華。

そんな彼女に対して俺も足を動かしながらまたも小さくため息をつくと、再びそっと唇を開く。


「その……手が」

「……」


 いまだに握りしめられたままの自分の右手を見つめながらそんな言葉を漏らせば、朱華は一瞬その場で立ち止まり、こちらをチラッと振り返ってきた。

 けれども彼女は何も言わずにふんっと再び顔を背けると、すぐにまた歩き始める。


 どうやらそのツンツン具合から察するに、完全にいつもの調子に戻っているようだ。


 これは安心していいのかそれとも呆れるべきなのか、俺はそんな彼女の背中を見つめながらただただ肩を落とす。


 嫌がるだろうと思って気を遣って言ってやったのに、それでも何故かこの時だけは、朱華は握りしめた俺の手を離そうとはしなかった。

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