第29話 これも私の休日です。その②

 オシャレ書店からそのままトンズラという密かに練っていた計画はあえなく潰されてしまい、俺は今、ルクアという名のダンジョン内を彷徨さまよっていた。


「見てみて将門まさかど! このマグカップすっごく可愛いっ」


 何やら隣できゃぴきゃぴとした声を上げて、大きな瞳を輝かせながらガラス棚を見つめている朱華あやかさん。

 そして俺はというと、女の子なら誰もが胸ときめきそうな可愛い雑貨がずらりと並ぶ店内で、一人場違いなほどムサいオーラを放っていた。

 へーこの店ってフランクじゃなくてフランフランって読むんだー、と動揺する心を少しでも落ち着かせようと違うことを考えていたら、隣でしゃがみ込みこんで棚を見ていた朱華がつんつんと俺のシャツの裾を引っ張ってくる。


「ねえ見てこれ、なんか心晴こはるっぽくない?」


 そう言って、手にしたマグカップを嬉しそうに俺に見せてくる朱華。

 オレンジ色に塗られたそのマグカップにはわんぱくそうなワンちゃんがデザインされていて、ブサかわというのか、たしかにそのちょっとふてこそうな表情が何となく心晴に似てなくもない。

 なのでついプッと吹き出して俺が頷くと、つられて朱華も「だよねっ」と白い歯を見せてニコリと笑う。


「あ、じゃあこの白い猫のほうはまり姉かな?」

「あーたしかに……」


 そんな気がするな、と俺は猫耳がぴょこんと飛び出しているフタ付きのマグを見て、今度は真剣な表情で深く頷く。


 真理愛まりあさんと猫耳……うん、素晴らしい組み合わせだ。


 そんな至高の妄想を一人堪能していると、おそらく姉妹たちに買っていくつもりなのだろう、朱華がマグカップが入った箱を順に手に取っていく。

 そしてそんな彼女の姿を見て近くにあったカゴを手に取り相手のほうに向ければ、「ありがと」と素直に言ってカゴの中にマグカップを入れていく朱華。


 さてさて、お気づきの方もいるかもしれないが……コイツ、何故か二人の時になると意外とツンツンしないのだ。


 これが平常運転ならどれだけ俺も気が楽か……と普段バーサーカーと化している朱華の姿を思い返しながらそんなことを考えていたら、ふいに朱華がぼそりと言う。


「じゃあ将門のマグカップは……」

「え、俺のも選ぶのかよ?」


 まさか自分の分も彼女のお買い物リストに含まれているとは夢にも思わず、驚いてそんなツッコミを入れる俺。

 すると目をパチクリとさせてきょとんとした表情を浮かべる朱華が、「そりゃそうでしょ」と言葉を付け加える。


「だってその……アンタもあたしと一緒に住んでるんだし」

「……」


 おいおい、やめてくれよ。

 なんで自分で言っておきながら、お前の方がちょっと恥ずかしそうに赤くなってんだよ。


 ふいっと俺から視線を逸らし頬を染めている相手を見て、不覚にもぐらりと揺れてしまいそうになった心を、俺はすぐさまぐるりと真理愛さんの笑顔を巻き付けて支える。

 そして妙なむず痒さを背中に感じたまま四つ分のマグカップのお会計を済まし、自分たちは店を出た。


 結局その後も限られた時間の中で、俺と朱華は流行りのアパレルショップを見に行ったり、そして当初俺が一人で訪れようとしていた蔦屋つたや書店に立ち寄ったりと余った時間を何気に満喫していた。


「あっ、もう今年の水着が売ってるんだ」


 再び施設内を二人でぶらりと散策していた時、ふいに足を止めた朱華が真横にあるショップを見てそんなことを言う。

 つられて俺も足を止めると彼女と同じ方向を見て……


 ――うげっ⁉


 突如視界にやたらとカラフルで刺激的なショップが現れた瞬間、俺は思わず心の中で悲鳴を上げた。


「ねぇ、ちょっとだけここも見てっていい?」

「お、お、おう……」


 動揺する自分とは反対に、普段と変わらぬ表情で堂々と下着ショップへと入っていく朱華。

 そんな彼女の後ろ姿を呆然としたまま見つめていると、チラッとこちらを振り返ってきた朱華が言う。


「ほら、将門も早く」

「……」


 …………マジかよ。


 あろうことか、男である俺を禁断の花園へといざなってきた朱華。

 けれどもその表情にふざけたところがないのを見ると、今までと同じくただ純粋に二人で店内を見るつもりで誘ってきたのだろう。

 

 俺はゴクリと大きく唾を飲み込むと、覚悟を決めるかのようにぎゅっと拳を強く握りしめ、そして勇気を振り絞って危険が渦巻く花園へと一歩踏み出した。


 や……ヤバいなこれは……


 狭い店内には所せましと刺激的かつ危険なものが溢れていて、少しでも怪しい動きをすればすぐにでも薄く色気たっぷりのレース生地に触れてしまいそうなほど。


 しかしおとこ将門まさかど、こういう時の対処法は心得ている。


 場違いで慣れていないからといって狼狽えてしまうと余計に悪目立ちしてしまうので、ここは精神を統一して煩悩を滅却し、無欲で無我な世界へと入ってしまうのが一番。

 ということで俺は白目にも近い状態でできるだけ刺激物が視界に入ってこないようにする。……のだが、


「ねぇねぇ将門」

「……ナンデスカ?」


 そろそろ三途の川でも見えてくるんじゃないかというほど意識を飛ばしていると、そんな俺を再び煩悩の海に沈めるがごとく、何やらやけに甘い声で呼びかけてくる朱華。

 そして不覚にも白目モードを解除すれば、目の前で何故か両手に水着を持っている朱華の姿が。


「あたしだったらどっちが似合うと思う?」

「なっ⁉」


 先ほどとは違い、今度は茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべてそんなことを尋ねてくる朱華。

 心晴が悪だくみしている時みたいにニヤニヤしているところを見ると、どうやら水着をネタにして俺をからかっているのだろう。


 くそ……朱華のやつめ。


 普段とは違いトゲのないそのからかい方に、俺の方もいつもの調子で反発することができず、ついその場でたじろいでしまう。

 するとそんな自分をさらに追い込んでくるかのように、「どうどう?」と言って手に持った水着を自分の身体に合わせてこちらの想像力を刺激してくる朱華。 

 白を基調としたカラフルな花柄模様も、逆にシックで大人なひらひらブラックも、どちらも十分際どいデザインなので俺としては全然オッケーだ。


 などと思考が再びエイリアンに乗っ取られそうになったので、俺は慌てて首を振る。

 そして一度大きく深呼吸をすると、心の中で反撃ののろしを上げた。


 甘いな朱鳥……俺がいつもやられっぱなしだと思うなよっ!


 あまりに非日常な空間に居続けたせいか、ついに自分の心が吹っ切れてしまったようで、俺は視界の中に映る一番際どくセクシーでひも状になった水着を手に取ると、「お前にはこれがピッタリだろ」とぶっきらぼうに言って朱華へと向ける。

 するとその直後、俺の勢いについに負けを認めたのか、目の前でかぁぁっと顔を真っ赤にした朱華が慌てて視線を逸らす。


「あのさ将門……」

「なんだよ?」

「それ………水着じゃなくて、下着なんだけど」

「………………」


 朱華のあまりにも衝撃的な発言に、「はぅぅっ!」と思わず俺の方が乙女チックな悲鳴を上げる。

 そしてそのままぶるぶると狼狽えた手つきで、そっと下着を元の場所へと戻した。


 結局下着ショップでの戦いは、萩野将門がただ変態になって自爆するというマヌケな形で終わってしまい、俺は何とも言えないモヤモヤを抱えたまま逃げるように店を出た。


「……あ、紗季さきからメッセージだ」


 同じく俺の後に続いて店を出てきた朱華が、スマホを取り出してそんなことを言う。 

 どうやら他のメンバーも、やっと映画を観終わったようだ。

 これでようやく俺もアイツらにサヨナラを言って自由の身になれると思っていたら、何やらスマホの画面を見つめたまま、またも顔を赤くしている朱華。


「……どうしたんだ?」

「――ッ⁉」


 不思議に思い朱華のスマホを覗き込むように近づいた瞬間、「み、見るなバカっ」と何故か突然ツンツンモードになる相手。

 そして朱華はふんっとわざとらしく鼻を鳴らしたかと思うと、一人足早に映画館がある方向へと向かっていく。


 ……何なんだよ、アイツ。


 幼馴染みの喜怒哀楽の激しさに付いていくことができず、ただただ茫然とその場に立ち尽くしてしまう俺。


 ちなみにさっきチラリと見えてしまったラインの画面に、『二人でイチャイチャしてるところごめんやで!』という夏川なつかわさんからのメッセージが届いていたことは、間違って俺が下着を握りしめた記憶と共に、そっと消去することにする。

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