第18話 ひもパンツ事件簿 その①

 ……紐パンツが、落ちていた。


 冗談でもなければ、何かの隠語でもない。

 

 ましてや俺が愛読しているあのライトノベルのことを言っているわけでもない。


 それは学校から帰ってきた矢先、家の扉を開けた瞬間に現実のものとして落ちていた。


「うそ……だろ……」


 俺は靴を脱ぐのも忘れて思わず玄関で硬直してしまう。

 視線の先に映るのは、玄関を上がってすぐのところに鎮座している一枚の布切れ。


 最初見た時は動揺のあまり、ただハンカチを見間違えているだけじゃないのかとも思ったのだが、どう見たってあの紐状かつ面積の少ない布地にそれだけの吸水力は備わっていない。

 それに、思いっきりひらひらでスケスケのレースがついちゃってるしな。

 しかも色が黄色とかチョイスが絶妙過ぎる! と思わず持ち主の好みにツッコミを入れつつも、俺はバクバクとうるさい心臓を落ち着かせようと一つ深呼吸をする。


 おそらくこの状況、ラノベや漫画の世界に憧れる男子諸君であればラッキーなスケベ展開として喜ぶのかもしれないが、現実に起こってしまった俺からすればまったくもって嬉しくもないアクシデント。いやもはやラッキーどころか、ただの厄災でしかない。

 だってそうだろ、こんな状況をもしあの三人(特に朱華あやか)に知られたりすれば、俺はまず間違いなくコンクリートに生き埋めにされて大阪湾に沈められてしまう。


「な、なんでこんな事に……」


 狼狽えた声で思わずそんな言葉を呟くも、見てしまったからにはもう自分も無関係ではいられない。

 そしてこの状況の中で、俺が選び取ることができるコマンドがあるとすれば、それは三つ。


①見てみなかったフリをしてそのまま素通りする。


②己の中にある性善説に従い、持ち主を探して渡す。


③誰のものなのか判明するまで自室で厳重に保管。


 現状考えられる選択肢を慌てて頭の中で組み立てみるも、どれを選んだとしても自分が海に沈められている末路しか見えてこない。

 だったらいっそ交番に届けるという選択肢もアリなのかもしれないが、紐パンツ片手に交番に訪れたらそれはそれで一発アウトになりそうな気がするのでやっぱナシだ。


 そんなことを考えていた俺は、もう一度深く深呼吸をするともっとまともな選択肢はないかと頭を捻る。

 おそらく今の俺にとって一番理想的なのは、一旦この家から逃げ出して姉妹のうち誰かが帰ってきてからもう一度戻ってくるという作戦だ。

 そうすれば俺が紐パンツ第一発見者ではなくなり、あらぬ誤解も面倒くさい展開にも巻き込まれずに済む。


「よし」と自分にとってベストなコマンドを見つけることができた俺は、さっそく回れ右をするとそのままドアノブを右手で掴んだ。……が、


「いやちょっと待てよ……そういえばさっき朱華にラインを……」


 今まさに事件現場から逃げ出そうとしたその瞬間、ふと頭をよぎったのは先ほど朱華から届いていたラインのメッセージ。

『帰ったらお風呂掃除よろしく』とこれまたいつものようにお姑のようなメッセージが届いていたので、それに対して俺はすでに返信をしてしまっていたのだ。


 しまった……あのメッセージだけはアイツに読まれる前に消去せねばっ!


 そう思った俺はドアノブから右手を離すと慌ててズボンのポケットからスマホを取り出す。そして急いでラインのアプリを開けて自分が送ったメッセージを見てみると――



『はい。もう家の前に着いたので風呂掃除しときます。(既読)』


「…………」



 ほぉあああああ――――ッ!!


 わすがな時間差で逃げ切ることができなかった自分の愚かさに、思わず意味不明な叫び声をあげてしまう。

 これで確実に、俺が紐パンツ第一発見者となってしまった。


「くっ、こうなってしまったら……」


 俺はゴクリと唾を飲み込むと、まるで地中から発見された不発弾に近づくかのように恐る恐る紐パンツへと近づいていく。

 もはやこの事態から逃げ出すことができないのであれば、この落とし物と真正面から向き合い、そして問題を解決するしかないだろう。

 そう思った俺はもう一度静かに唾を飲み込むと、今度はポケットからハンカチを取り出してそれを紐パンツにそっとかぶせる。

 そしてハンカチごとゆっくりと慎重に持ち上げた。


「……」


 目の前にぶら下がるのは、男の俺にとっては未知の構造をした物体。


 それにしても、女子とはすごいものである。

 こんなものを穿いて外に出かけるのだから、そのリスクもハラハラ感もトランクスやボクサーパンツの比じゃないだろう。

「というより……こんなもので本当に隠せるのか?」などとそのデザインに根本的な疑問を感じつつも、今はそれどころじゃないことに気づき慌てて思考を戻す。

 そもそもだ、どうしてこんなところに紐パンツなんて落ちてるんだ? いくらシェアハウスとはいえ男の俺がいるのにこれはあまりにも不用心過ぎるだろ。


 そんな至極真っ当なことを心の中でツッコミつつ、俺はこの謎に対して名探偵のごとく眉間に皺を寄せて推理する。

 難事件も難受験も、問題にぶち当たった時はまず初心に返ることが大切だ。

 よく考えてみよう。何故こんなところに紐パンツが落ちてしまっているのか。

 この場所、この状況、そしてこの色……

 点として散らばるありとあらゆる要素を推理という線で結びつけて、そこから俺が導き出した答えは――


「ま、まさか……気づかなかったのか?」


 ピコンっとある推理が脳内に閃いた瞬間、俺は自分が導き出した答えに思わず愕然としてしまう。

 なぜこんなところに紐パンツなるものが落ちてしまっているのか。


 ――それはつまり、穿いていた本人がここで脱げてしまったことに気づかなかったということ。


「おい待てよ……だとすればこのパンツの持ち主は今……」


 そのまま俺の推理という名の妄想は止まらず、さらに次の展開まで予想してしまい再び驚愕。

 いーや待て待て、落ち着け迷探偵めいたんてい将門まさかどっ! いくら何でもパンツが脱げたら誰だって気づくだろう! ……だってやたらとスース―すると思うし。


 たぶん運悪く鞄が何かに引っかかっていたのがこの場所で落ちてしまっただけだ、と俺はそんな無茶苦茶な推理で一旦この問題にケリをつけた。

 そして次に考えなければいけないことは、この紐パンツが一体誰ものかということだ。


「まあ一番可能性が高いのは……やっぱ朱華だよな」


 視界の中でぶらぶらと揺れているものを前にして、俺はそんなことを呟く。

 こんなシゲキックスみたいな刺激的過ぎる下着を着けるやつなんて、あの三姉妹の中だとアイツぐらいだろう。


 ただどうしても引っかかっるのはこの色についてだ。

 不覚にも奴が持っている下着を偶然何度か見てしまったことがあるが、こんな色はなかったと思う。それにアイツの好きな色は赤やピンクといった血色にも似た過激色だ。

 だとするとこの黄色から連想できる人物といえば、明るくて活発な――


「まさか……心晴こはるか?」


 不意に唇からこぼれ出た人物の名前に、思わず目を見開く。

 つい先日俺にスポブラの行方を尋ねていたはずの小娘が、ここにきて急激な進化を遂げてしまったのか⁉


 いやいやいや、だから落ち着け迷探偵。と俺はここで三度目の深呼吸。

 だいたいまだ中学生の小娘である心晴がこんな紐パンツなんて穿いたところで――


 …………うん、普通にエロいな。


 なんてあらぬ妄想をしてしまい男心に思った以上のパンチを食らってしまったことに焦りつつ、俺はこれ以上の推測と妄想は倫理に反すると思いやめた。

 だとすると残った可能性から現実的に考えると、この紐パンツの持ち主は……


「ま、ま、まさか……真理愛まりあさん?」


 俺は衝撃のあまり先ほどよりもさらに目を見開く。

 心晴がこんなものを持っていることも想像できないが、それ以上に真理愛さんのほうがある意味まったく想像できない。

 いやそもそも聖母と紐パンという組み合わせ自体があまりにもタブーで恐れ多すぎる!


 けれども俺はそれが禁忌の領域だと理解しつつも、目の前にぶらさがる誘惑と真理愛さんの姿を思わず無意識に掛け合わせてしまいそうになった、まさにその瞬間――


「ただいまー。……って、将門なにやってんの?」

「――ッ⁉︎」


 史上最悪のタイミングで、いきなりラスボスの登場。

 直後俺は振り返りながらシーフも驚くようなスピードで右手をお尻の後ろに隠すと、そのままつい咄嗟に――

 ハンカチごと紐パンツをポケットの中へと突っ込んだ。


「お、お、お、オウっ! オカエリ、ハヤカッタナっ!」

「……」


 動揺のあまり宇宙人も驚くようなカタコトを披露する俺に、さっそく怪訝そうな表情を向けてくる朱華。

 そして彼女はまるで不審者でも見るかのような目で、俺のことを頭のてっぺんから足先まで見る。


「ってかあんたさ、随分前に家に着いたってラインしてきたくせに鞄持ったままこんなところで何やってたの?」

「…………」


 紐パンツとたわむれてました。

 

 なんてことは口が裂けても言えるわけがない。


 その為俺はただ鯉のように口をパクパクとさせながら、この場から逃げるための言い訳を必死に考える。


「はぁ……まあいいや。今から晩御飯の支度するからお風呂掃除よりも先にそっちを手伝って」

「は、はいっ!」


 運良く相手の方から話を逸らしてくれて、俺はいつになく素直で順従な返事をする。

 するとそんな自分の態度を見て「ほんと意味わからん奴」とぼそりと毒舌だけを吐き出した朱華はそのまま靴を脱いで廊下へと上がり、先にリビングの方へと向かっていく。


「た、助かった……」


 訪れた束の間の安心感に、思わずホッと一息つく自分。

 そして直後俺はすぐさま心の中のトランシーバーのスイッチを入れると、神さまに向かって救援信号を送る。



 えー、メーデーメーデ―こちら将門……お願いだから早く助けて下さいっ!

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