第17話 裏・これがいつもの日常です。

 私こと神嶋かみしま真理愛まりあは食堂の椅子に腰掛けながら、一人焦っていた。

 だって……だって…………



「はぁ―……」



 気持ちいいほど晴れ渡った空を窓越しに見つめながらも、唇から溢れでるのは重たいため息。

 もちろんこのため息の原因は、まさ君のことだ。


 何で私って……こうもダメなんだろう。


 再び小さく息を吐き出しながら頭に浮かぶのは、ここ最近のシェアハウス生活のこと。

 相変わらず賑やかで騒がしい生活を送っている自分たちではあるが、こと私に関していえばまったくと言っていいほどまさ君と仲を深めることができていない。

 いやそれどころか付き合っていた頃やそれ以前の関係と比べてみるとむしろかなり後退していると言っても過言ではない。……呼び方だっていまだに『萩野はぎのくん』のままだし。


 そんなことを思い悩み、思わずまた大きなため息をつきそうになった時、


「――い、おーいっ! 真理愛ちゃん聞いてる?」

「えっ?」


 不意に前から声をかけられて慌てて視線を向けると、目の前で日替わりランチを食べていた真澄ますみちゃんがきょとんとした表情を浮かべていた。


「ごめんなさいたちばなさん。少しぼおっとしちゃって……」

「大丈夫? なんかさっきからため息ばっかついてるけど」


 そう言って少し眉尻を下げて私のことを心配してくれる真澄ちゃん。そんな彼女に返事をするよりも早く、今度は左隣に座っている早乙女さおとめさんが言う。


「ちっちっち、ダメだよ神嶋ちゃんみたいな可愛い女の子がそんな隙を見せちゃあ。じゃないといつ何時……」

「ひゃあんっ!」


 突然左胸を早乙女さんにむにゅっと掴まれてしまい、私は思わず変な声をあげてしまった。


「おっ、神嶋ちゃんもなかなかイイ声出せるじゃないか」

「こらこの変態女っ! あんた真理愛ちゃん相手になんちゅーことしてんねんッ」


 このアホッ! といつものように早乙女さんの頭をすかさずペシンと叩く真澄ちゃん。 

 突然の激しいボディタッチに思わず顔を赤くしてしまった私だが、目の前で賑やかな掛け合いを始めた二人を見ていると少し心が軽くなる。

 ありがたいことに真澄ちゃんと早乙女さんは始業式の日に声をかけてくれて以来、今日までずっと仲良くしてくれている。

 それにクラスの人たちともそれなりに話すことはできているので、学校での生活はまずまずのスタートを切れたといえるだろう。


「にしても食堂のご飯は美味しいんやけど、さすがにいつもこの状況っていうのもなぁ」


 呆れ返った口調でそんな言葉を呟く真澄ちゃんにつられてチラリと辺りを見渡せば、食堂にいる大勢の生徒たちの視線が自分達に向けられていることに気づく。


「相変わらずすごい人気やなぁ真理愛ちゃんは」

「いえ、私じゃなくて橘さんが……」

「いやいやいや、そこは私も含めて罪な女三人組の魅力ってやつ?」


 無数の視線に怖気づいてしまう自分とは違い、何らいつもの態度と変わらずそんな言葉を口にする二人。まあ確かにこれだけ可愛くて綺麗な真澄ちゃんと早乙女さんなので、昔からこういった状況には慣れているのだろう。


 そんなことを考えながらチラチラと食堂の様子を伺っていると、ふと視線の先に友達たちとお喋りをしている朱華あやかちゃんの姿が映った。その直後、今日も朝からまさ君と楽しそうに言い合いをしていた彼女の姿を思い出してしまい、チクリと胸の奥が痛んですぐに視線を逸らしてしまう。


「ってか椿つばき、あんたさっきからふざけたことばっか言ってるけど真理愛ちゃんに何か話あるとか言ってたんちゃうん」

「あ、そうそう! そうでしたっ」


 てへぺろ、っと言わんばかりの勢いで早乙女さんはそんな言葉を口にすると、レンズの向こうに見える大きな瞳で私の顔を捉える。


「うーんとね、ちょっと先の話しにはなっちゃうんだけど……神嶋ちゃんって琵琶湖合宿とか興味ある?」

「琵琶湖合宿?」


 聞きなれない合宿名に、私はこくりと首を傾げた。


「そうっ、我ら北新ほくしん学校の名物行事の一つ! 毎年この時期になるとさ、中学と高校の生徒会主催で勉強合宿という名目のお泊まり会をやってるのよ。ほらウチらの学校って進学校のわりに結構風土が自由でしょ? だからここぞとばかりに生徒会の実権を使ってそりゃもう色んなことをやりたい放題……」

「こら悪代官。そんないらん情報まで喋らんでいいって」


 またも呆れた口調でそんなツッコミを入れる真澄ちゃん。


 琵琶湖といえば行ったことはないけれど、日本で一番大きな湖として有名だ。

 そして琵琶湖がある滋賀県には、これまた有名で美味しい郷土料理がたくさんある。

日本最古のお寿司と言われているふな寿司はじめ、松坂牛に並ぶ三大和牛の一つ近江牛おうみうし

それにカラフルで可愛らしい見た目の糸切り餅なんかも甘いもの好きの私としてはぜひ一度は食べてみたいところ。それにそれに……


 そんな感じで一人勝手に滋賀の美味しい食べ物ツアーに妄想トリップしていると、何やら隣にいる早乙女さんの眼鏡が怪しく光る。


「まあ強制じゃなくて参加したい人は誰でもご自由にどうぞって感じのフランクな合宿だから、もし真理愛ちゃんがちょっとでも……ほんのちょーっとでも興味があればぜひ来てほしなぁって思ってさ」


 そんな風に言ってくれる早乙女さんではあったが、その表情がすでに物語っていた。「来るよね? 神嶋さんもぜったい来るよね⁉︎」と。


「私は……」


 早乙女さんのプレッシャーに思わず言葉が喉の奥で詰まってしまう私。

 確かに滋賀の食べ物には興味がある。興味はあるんだけど、見知らぬ生徒たちに囲まれたお泊まり合宿というのは人見知りの私にとってちょっと……いや、正直かなりハードルが高い。

 ここは何と返事をすべきかと黙ったまま悩んでいると、小さくため息をついた真澄ちゃんが先に口を開く。


「こら椿、そうやって無理やり誘ったりなや。真理愛ちゃん困ってもうてるやん」

「えぇっ⁉︎ この私のお誘いに困る部分なんてあった?」

「そういうとこや、そういうとこ」


 あんたはほんまに、と私の代わりにテンポよく早乙女さんに言葉を返してくれる真澄ちゃん。そして彼女はこちらを振り向くと今度はニコリと笑う。


「真理愛ちゃんが参加したいと思ったらでいいし、別に無理してまでウチらに合わせんでいいからな」

「はい……」


 お気遣いありがとうございます、と私は情けなく小声で言葉を付け足す。


 本当は思っていることもやりたいこともたくさんあるけれど、それを言葉や行動に移すことができない自分。


 そしてそんな自分が幸か不幸か、お淑やかで物静かな人間として認知されてしまっているのだから、今日も明日も明後日も、私はみんなが知っている神嶋真理愛で在り続けるのだ。……ぴえん。

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