第15話 これがいつもの日常です。

 刺激的を超えて強烈かつ地獄的なシェアハウス生活が幕を開けてしまい、俺の日常はがらりと変わってしまった。


 そもそもだ、男一人と女の子三人という共同生活に根本的な無理があると思う。


 だってそうだろ? 幼馴染みとはいえ性別が違うどころか、言ってしまえば兄妹でもない赤の他人と同じ。

 そんな年頃の男女が同じ一つ屋根の下で暮らしているというのだから、ラブコメ好きの神さまもとんでもない爆弾を仕掛けてきたものだ。


 これでもし真理愛さんと二人っきりで過ごせるというのであれば俺も喜んでこの生活を受け入れることができたのかもしれないが、実際にはそんな甘くシュガーな理想の生活とは程遠い。

 なぜなら……


将門まさかど、明日学校行く前にこのゴミ出しといて」

「え、今日の朝プラスチックゴミ出したばっかりなんですけど?」

「は? ゴミ捨てはあんたの担当でしょ?」

「いやいやちょっと待てよ朱華あやか。この前曜日ごとで交代って言ってただろ」

「それはお風呂掃除のことでしょ。もうっ、そんな簡単ことも覚えられないわけ?」

「……」


 そんな屈辱的な日常のワンシーンもあれば、また別の日には――


「なぁなぁまさ兄、ここに置いてたウチのスイッチ知らへん?」

「お前昨日の夜、俺に風呂掃除押し付けて自分の部屋でどうぶつの森やってたんじゃねーのかよ」

「あ、そうやったわ思い出した! ごめんごめん。あとそれとさぁ、ウチのグレーのスポブラどっかで見んかった?」

「はぁ、だからそれも昨日お前が…………って、そんなこと俺に聞くなぁぁぁッ!」



 ……とまあこんな感じで連日心臓に悪いウザ絡みをしてくる心晴こはると、ツンツンぐちぐちとお姑みたいなウザ絡みをしてくる朱華の存在は、甘くないどころかビターを通り越してもはやヘビーだ。


 そして悲しいかな、一番関りを持ちたい真理愛さんについては、いつも物陰から物静かに俺と他の姉妹たちとのやり取りを見守ってくれているだけで、今のところこれといって進展はない。……ぐすん。

 

 そんな奇想天外なシェアハウス生活を送り日々疲弊している自分ではあるが、残念ながら俺の日常はこの家での生活だけではない。


「なんか朝からめっちゃ疲れた顔してるな」

「え? あ、あぁ……」


 朝の教室で机に肩肘を置いて頬杖をついていると、不意に前から話しかけられてしまい思わずぎこちない声が漏れてしまう。

 だって仕方ないだろ。

 爽やかイケメンでクラスでも人気のたちばなから急に声を掛けられたら、普段存在感のない人間なら誰だってそうなると思う。


「ちょっと昨日の夜寝るのが遅くて」

「お、もしかして勉強でもやってたん?」


 ああそうだよ。と進学校に通う優等生らしくそんな返事をしたいところではあるのだが何のことはない、ただ心晴に無理やり付き合わされてゲームをさせられていただけの話し。……しかも朝の四時まで。


 あの小娘マジ鬼畜。と何だか早口言葉みたいなことを心の中で呟き、現実では「いやただ寝つきが悪くて……」と何の面白みもない言葉しか呟けない自分。

 けれども橘はこんな情けない俺に対しても「そうなんや」と優しく笑顔で応えてくれるのだから、俺があと百回生まれ変わったとしても橘相手に勝てるような魅力的な人間にはなれないと思う。……ぴえん。


 そんな自分がこうやって橘から声を掛けられるのは、何も俺自身がカースト上位の地位に辿り着いたからというわけではない。むしろクラスでは抜群の安定感をもってして着々とワーストな地位を築きつつある。


 席替えしたらたぶんこいつも俺の顔なんて忘れるんだろうなぁと、前に席に座る橘をチラチラと盗み見ながらそんなことを思っていると、今度は教室の反対側から何やら賑やかな声が聞こえてきた。


「朱華ちゃん、今度の日曜一緒に遊びに行かへん? ルクアに新しいお店ができてんて」

「うん、行こう行こう! 私もちょうど遊びに行きたいって思ってたから」

「出た、朱華の東京弁! ウチも真似したら朱華みたいに女優っぽくなれそうやな」

「やめときって奈津実なつみ、あんたがやったらお笑い芸人にしか見えへんで」


 うるさいわアホっ! とほんとに芸人のように軽快なツッコミを決めて笑いをとっている奈津美さん。

 いやそんなことより、朱華のやつどれだけクラスメイトと馴染んでるんだよ。俺なんてまだ遊びどころか移動教室に行く時でさえ「一緒に行こや!」なんて誘われたことがないですけど?


 これがカースト制度の実態か、などと世の学生たちの不条理を心の中で嘆いていたら、今度は橘とは違う声が耳を突つく。


「にしても神嶋かみしまさんと幼馴染みなんやったら最初から教えてくれたら良かったのに」


 そう言って俺の右肩をこついてきたのは、今日も朝から知的で素敵な雰囲気を漂わせている眼鏡系イケメンの雨宮あまみやだ。そしてその隣にいるのはもちろんミシン系コワモテイケメンの荒井あらい


 ちなみに今の発言からお分かりの通り、残念ながら俺と朱華が幼馴染みということはすでにクラスのみんなにはバレてしまっている。

 とは言っても、シェアハウスしていることまではさすがにバレてはいないし、そもそも幼馴染みだということがバレてしまったのも俺のせいではない。


 以前昼休みの教室で、俺がたまたま売店で見つけて買ってきた『みっくちゅじゅーちゅ』という大阪名物の謎ドリンクを盛大にこぼしてしまい、不運にも近くにいて被害を受けてしまった朱華が、


「ちょっと将門! あんたほんっと昔から鈍臭くてバカなんだからッ」


 と、思わずいつもの調子でツッコんできたせいで、クラス中に自分たちの関係についてバレてしまったのだ。……って、あいつの方こそおバカさんだろ。


 ちなみにその後、俺と関わりがあるということがご本人にとっては呪いのように重荷と感じてしまっているのか、「まあ幼馴染みって言っても、顔もほとんど忘れかけてたぐらいの関係だけどね」と周りの友人にかなり苦し紛れの言い訳を放っていた。……うん、やっぱあいつの方がマジでバカだわ。


 なんてことを思い出しながら、相変わらず賑やかに話している朱華のことをジト目で睨んでいると、今度は俺のことをギロ目で見下ろしてきた荒井が言う。


「しょうもんは……その、心晴ちゃんとも幼馴染みなんか?」

「え、あ、はい…………でも」


 ほとんど顔も覚えていません。


 と俺は素早く言い切る。……どうやら自分も残念ながらバカさレベルは朱華と同等だったようだ。


 とりあえず俺が心晴とプロレスごっこしたことがある件については、荒井にだけは絶対に言わない方がいいだろう。きっとこいつに知られたら、ガチのプロレスを申し込まれてヘッドロックで殺されてから大阪湾に沈められるに違いない。


 そんな残念で残酷なシーンを想像してしまい、思わずぶるりと肩を震わせてしまう俺。 

 すると自分の心境など知らない橘が話題を投げてきた。


「それにしても今年の北高きたこうはマジで当たり年やろな。神嶋三姉妹って言ったらもう他校でも有名になってるし」

「え? そんな噂が流れてるの?」

「ああ確かにな。俺のバイト先でも違う高校のやつから『北高って可愛い子いっぱいおるんやろ?』ってよく聞かれるぐらいやからな」


 慌てて尋ね返した俺の言葉に、冷静な口調でそんなことを言ってくる雨宮。


 これはマズい……真理愛さんに変な虫がついてしまうことだけはフィアンセの自分が何としてでも死守しなければいけないぞ。


 そんな使命感と共に嫉妬をメラメラと燃やしていると、早くも強敵が意味深なことを言う。


「まだちゃんと会ったことはないけど、心晴ちゃんと神嶋さんのお姉さんとかめっちゃ綺麗な人なんやろな」

「…………」


 おい、やめてくれよ橘。お前みたいな人間が俺の恋敵になるとか、ダースベイダーにダンゴムシが突っ込んでいくぐらい勝負にならないじゃないか。

 などと俺の心も惨めにも挫けて丸まりそうになっていたら、今度は雨宮が言う。


「何言ってんねん鷹斗たかと。お前の姉さんだってこの高校のアイドル的存在やん」

「いやさすがに自分の姉貴はなぁ……」


 そういって困ったような笑みを浮かべる橘。まあ確かにこれだけイケメンとしてご両親からオギャーと生まれてきたのであれば、お姉さんが美人であってもおかしくはないだろう。

 それでも真理愛さんの美しさには勝つことはできないけどな! と一人心の中で声高々に叫んでいたら、不意に雨宮が「そうやっ」と何か思い出したような声を漏らす。


「ところで萩野はぎの、今度お前の家に遊びに……」

「あ。そろそろ俺、朝のおトイレの時間だ」


 そう言って俺は雨宮の言葉を遮ると、出動命令がくだったヒーローのごとく颯爽と椅子から立ち上がり、いつも言い訳という理由に使っているマイ個室へと向けて足を踏み出す。


 そして教室を出たタイミングで、今日の一句を披露。


 

 ――ああ無念、俺の生活、マジ死活。

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